身体感覚から考える~関係性に期待しない~
人間、期待するから落胆するなんて、耳にしますよね。
背景に「私がそうなんだから(当然)相手もそうだ」という思い込みがあります。
知らず知らず、私の正しさ(常識)を相手に重ねているだけかもしれません。
実質、相手の真を観ず、自分自身にも気づけていない。
言い換えると「人は誰もが、自分の好きなように世界を観ているだけ」で「全く相手を理解していない」「耳を傾けてすらいない」かもしれません。
自ら限定した世界の地平線上で一喜一憂し、四苦八苦している、そんな構図が見えてくるかもしれません。
「(よくわからないが)そういうもんなのね」と、己の現状を理解すれば、一先ずは、腹も立たなくなります。
でもこれ、家族やパートナーなど身近な人間関係ほど、こころ穏やかで居られないものであることも確かです。
じゃあ、どうするか。
そのまま相手を見ようと力むのではなくて、相手のなすがままに流されるのでもなくて、自分自身の在り方に意識を向けてみます。
① 自分が今、何を感じているか。よく観察して、一つ一つ確認する。
② 言語化する。書くのが得意な人は、ノートに書きだしてもいいかもしれません。
③ 自分の気持ち、考え、感じていることを、相手に正しく伝える。
反応がどう戻ってくるかは、私の問題ではありません。相手の問題です。私の対応は、私が決める。あとは、①に戻り繰り返しです。全く、期待は要りません。
さて、
関係性には、日常茶飯で期待と落胆はするのに、そもそも自分自身の身体感覚に無関心では、なんとも勿体ない。自分の人生の主体は、いつだって自分自身ですからね。
実は、私は何もわかっていない。(2回目)
ここに立ち戻れる人は、強いです。強いって、弱さがない人じゃなくて、自らの弱みをきちんと自覚してること。
ご自身の身体感覚を観る。未知であればあるほど、そこに等身大の希望がある。そこには、そもそも期待などする余地もないです。
信頼できる自分自身を、自ら育てましょう。
『答えなど~どこにも~ない~ 誰も~教えてくれない~(平井堅)』
三人寄れば文殊の知恵で、今年も参りましょう。
ぼくの主催する場を、体癖論ほか知識を得る場だけでなく、自らの生活を豊かにするためのお稽古場、あるいは自己実現の実験場のようなものとして、活用して下さい。
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