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私とむげん堂 3

さて、むげん堂思い出話、3話目。
今回は、ファッションの思い出話。

■ファッション
中高生時代は、いくら安いむげん堂でも、中々たくさんのお買い物でが出来なった。

それでも、高校時代には古着に合わせたエスニックコーデをよくしていた。特にLIVEやデートの時は気合が入ったものだ。
今だに当時からの友達には、昔はエスニック系だったよね。とよく言われる。 

高校卒業後、校則制服制圧世界から解放された私は、コーデの中にむげん堂のお洋服を取り入れる機会が増え、髪型もそれに合わせて変化した。

まず初めに挑戦したのは、髪色は黒で、左側サイドはコーンロウにして、エクステを付けて腰あたりまで長くした。
ちょっとB系に思われそうだが、着ている服はもっぱらエスニック&古着。

エクステは、色んなデザイン・色に挑戦した。
こげ茶のストレートから、ギャルっぽい明るめの茶髪で緩めスパイラル、個性派に分類されそうなサイケ色。
特にサイケ色はハマって、基本は黒色で、肩下から毛先にかけてグラデーションで右側は薄紫、左側は薄緑の二色使いは、好きだった。

夏場は、頭のてっぺん辺りで大きなお団子をよくしていた。
当時、大きな緩めのお団子ヘアが、女優の宮﨑あおいさん等をきっかけに流行っていた。それの真似。  

お洋服はというと、夏場は定番のタイダイワンピや、綿のトップスに手染めのロングスカートやショートパンツ。
特にお気に入りだったのは、ベリーダンス用のチェーンベルト。
あ、これはむげん堂だっけ?失念…
ちょっとくすんだ金色で、コーデのアクセントにもなった。
友人達には、blueちゃん近づいてくると音で分かる、と笑われながら言われたものだ。苦笑 あの時はシャンシャン鳴っていてごめんね…
手染めの品物もお手頃価格で置いてあるむげん堂、すごいなぁなんても思った。 

秋や春は、ジャージが多かった。むげん堂に売っていたベージュ色の上に深緑の象のアジアっぽいイラストが背中に描かれていた物だ。
一気にこなれ感が出て、好きだった。
古着のシャツを中に着込み、腰下はデニムやロンスカ。

冬は、古着の革ジャンの下に、袖は綿レースで胸元に刺繍の施された白いブラウスを着て、エスニックより、ちょっとカントリーっぽいまとめ方だったかな。
むげん堂のお洋服って、ザ・エスニックが多いけど、可愛らしいレースの物や花柄の物もあって、豊かだったなぁと思う。

アクセもよく買っていた。
むげん堂には、控え目なピアスや指輪もあったし、ザ・エスニック!みたいな大振りのピアスもあって、とても可愛かった。
手染めのトップスが合いそうな、個性的な変なネックレスも買ったものだ。

しかし、悔しい思いをした商品もあった。
ターバンとヘアーバンドである。
渋谷店に、細くて美人でターバンのとても似合う店員さんがいて、陰ながら憧れていた。なので挑戦してみたものの…

むげん堂のターバン売り場には、ターバンの巻き方手順表みたいなモノが置いてあった。それの通りにやっても、ただ全体がデカくなるばかりで、どうやら顔の大きな私には似合わなかったようだ。
ならば、と思い手に取ったのがヘアーバンド。
しかし、これも、私の頭サイズではキツくて、頭に着けるとゴムの伸縮の勢いでスポッと頭から外れてしまった。
暫く、バンド部分を切って自分で長さを調整して使ってみたが、お裁縫不器用な私は、ほつれてしまい断念。
可愛いデザインがたくさんあったのに…
みんな頭蓋骨がそんなに小さいのか…と、残念に思った記憶がある。

ターバン等は上手く出来なかったけど、小物の多さはすんごいむげん堂。
ポーチやストールは定番だけど、バッグも可愛いのが多い。
学生の頃、旅行でも行くの?みたいな大きなインドの鞄を、あえて中身を最小限にしてクシュッとさせて使うのが、マイブームだった。
これも勝手に、こなれ感ってやつね。

むげん堂の商品は、衣料に関わらず、ベッドやソファに掛けられるような布製品も、色落ちし易いので、お風呂の時に手洗いをしていた。
洗濯機に頼らず手で洗うから、より愛着が沸いて思い入れが強くなったように思う。

手間を愛しむって、素敵なこと。
そんな事も、教えてもらった。


先日も、羽織にもワンピにも使えそうな衣服を購入。
2019年夏、メインコーデで頑張ってくれてます!






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Photo:blue river

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