純邦楽⑳

今日は予告通り、また脇道に逸れますが、自分が「純邦楽」を好きになれない理由について書きたいと思います。

最大の理由は和服が嫌いだったことです。

音楽と関係ないじゃないか、と言われるかもしれませんが、事実だからしょうがない。

小学生の頃から長唄をやっていたのですが、やはりその年頃だと、もっとかっこいい服着たいじゃないいですか。

これって感性の問題なので、和服をかっこいいと思う方もいらっしゃるとは思います。

ただ、やはり家に昔からあったものだから、新鮮さも何もないんですよ。

もちろん、別に和服着なくても「純邦楽」が出来ないという訳でもありません。従来の枠内でやらなければいいだけですから。

ただ実はこれ、音楽でも言えることなんですよね。

あまり身近にあり過ぎると、その魅力って分からないものです。いつも聴いている、というより年がら年中流れていると、やはりその音楽自体にも新鮮さを感じないんですよ。

ただもちろんそれだけではありません。もう一つ理由があります。

これも感性の問題なのですが、長唄、三味線がうるさいんですよ。

基本じゃかじゃかじゃかじゃか鳴らすことが多い。

ある意味三味線って打楽器的な要素があって、それが自分の耳に心地よくない。更に言うと音色自体が好きではないように思えます。

自分自身、大半の曲でドラムを入れていません。根本的に打楽器が好きではないんだと思います。

まあ実際に使うことがないのは、苦手意識のせいも大きいのですが。

長唄の後は現代音楽の道へ進んだのですが、そこで和声や対位法を学ぶことはあっても、ドラムのアレンジには役に立ちません。他のパートであれば役に立ちますが、ドラムには旋律もコードもないから全く役に立ちません。

すみません。また話が脇にそれてますね。話戻します。

ハードロックとか聴いてもそれほどうるさく感じないんですよ。楽器自体の音は大きいし歪んだ音も多いけれど、旋律が割としっかりしているじゃないですか。

そういう要素ってあまり長唄には感じないんですよ。あまり起伏がないように感じるんですよね。

もちろん長唄以外にも様々な「純邦楽」はありますが、自分にとって魅力を感じる楽器も無ければ旋法もない。どの「純邦楽」も聴いていてあまりいいと思えない。

「純邦楽」には何らかの共通する要素があるのかもしれません。

「西洋音楽」ってやはり良く出来ています。例えば調性音楽であれば、ヨナ抜き長音階(「純邦楽」ではありませんが)のような、導音のない音楽は自分にとってはありえないんですよ。やはり導音が主音に進むのは美しいと感じるし、もっと言うと半音進行自体が好きなんだと思います。

現代音楽だと無調も多いからその辺で半音好きになったのかもしれません。いずれYouTubeにもその頃の作品も投稿する予定です。

まあそれでも長唄をやっていたのは藝大を視野に入れていた、というだけの話です。自分の場合ピアノだと技術的に苦しいですから。

単に「西洋音楽」に毒されたせいかもしれませんが(笑)。

明日はそろそろまとめに入りたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。