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私の好きな“表現”(読書記録)

本を読んでいると、文に込められた力やメッセージ性の強さに惹かれる文章以外にも、この表現とても面白い!と思う文章に出会うことがことがよくあります。

今回はそんな表現、その中でも“登場人物の名前”に着目して、個人的に私が好きな文章を2つ書いていきます!

おばあちゃんはあそこを「マイ・サンクチュアリ」と呼んだ。

西の魔女が死んだ:梨木香歩

中学校に行けなくなってしまった主人公のまいは、西の魔女である母方のおばあちゃんの家でしばらく生活を共にする…というお話です。

おばあちゃんは、自分の庭の好きな一区画をまいに与え、自分で面倒を見てその場所を大切にするよう忠告しました。
そんなまいが選んだ区画をおばあちゃんは「マイ・サンクチュアリ」と呼んだ…

「マイ・サンクチュアリ」の“マイ”の部分は、主人公である“まい”のサンクチュアリ(聖域)であると共に、発言者であるおばあちゃん“my”にとってのサンクチュアリでもあるというダブルミーニングであることに気づいてしまいました。
それ以来、登場人物の名前を気にするようになってしまった根源とも言える作品です!


自分好みの角度で撮影した自撮りの写真は、まるで、真実が真実ではないようにおしゃれで、架の知らない彼女の顔をしている。
 けれど、真実だ。

傲慢と善良:辻村深月

西澤架(にしざわ かける)は、いきなり姿を消した婚約者の坂庭真実(さかにわ まみ)を探していく中で、今まで全く知ることのなかった彼女の過去と向き合うことになる…というあらすじの本作。

消えた婚約者の痕跡を探る途中、架は自身も知らなかった真実のSNSのアカウントを発見してしまいます。
投稿内の彼女は普段からは想像もできないような姿で写っており、架はそれに驚きます。

「真実が真実ではないように〜」や、「けれど、真実だ。」にある“真実”は人名であるため読みは(まみ)なのだが、ルビを振らないことで(しんじつ)と読めるようにもなっています。
また、そのように読めることで、架がこのアカウントは彼女のではないと思いたいが、事実彼女であるという現実を叩きつけられた時の軽い絶望感を感じ取りました!


これら2つの作品のせいで、人の名前に意識を向けるようになってしまいました。

これらの好きなところは、ミステリによくある名前を並び替えたら実は、、、のようなものではなく、現実世界でもよく見る人の名前をそのまま文の中に落とし込むだけで多様な意味をとれる構成がされているというところです!

このような表現は文章でしかできないだろうと思っています。

またいつか好きな表現を好きなだけ書き連ねたいです!

ありがとうございました!!

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