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友人は職人だ。だから体が仕事を覚えている。僕の関わる福祉は、価値があり、その上で知識があり、さらにそれを使う技術がないと表せない。

よく社会福祉士には、冷静な頭と熱い心が必要だと言われるが、そうでなければ、支援なら、それに一生懸命になり過ぎて、自分が何に基づいてアプローチしてあたるのかわからなくなる。

ある研修を聞いてて、ストレングスモデルを考えたり取り入れることは、その人の尊厳を考えることになるとのこと。そしてストレングスモデルを考えれば考えるほど、利用者は力がついてエンパワーメントされる。

僕はそうでなければ、その人を支援の必要な人。利用者は自ずと一人過ごしているときに、それを単純に一人過ごしているんだなと思うと思う。もちろん気分等は想像します。

だけど、利用者がにストレングスを発揮して自分をセルフケアできるようになれば自信が持てる。その時に、今こんな支援が必要だなと言う考えに変わると思う。

そういう意味で、過去の計画書を眺めてたら、後になって、その技や知識が見えたり気づいたりするのではないかと思う。

その時も、リアルな瞬間も知識や技を発揮しているかもしれない。ただそれは自分でそれらを通訳できない。それは他者にはわかるんだろうけど。

でも、やってきたことの中には知識や技術も入っていることはわかる。例えば、英語で支援して、あとで振り返って日本語に訳すと気づくみたいなイメージ。

だけど確かな何かを身につけたいとは思う。

思いをダイレクトに拾って、何かをするからそこには利用者の言葉があるため、それが知識や技に繋がっていくように思う。だから、正直難しいと思う。単独の知識や技術でないから。

全然実践もできてないけど。僕の経験。