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今ふりかえる極東ロシアの旅⑨ お節介なぐらいに親切なロシア人

 2017年の夏、私は極東ロシアの旅に出かけ、「暗い」「冷たい」「怖い」というロシアのイメージを随分と変えた。それから約5年後、この原稿を書いている2022年4月の時点で進行しているロシアによるウクライナ侵攻はいかなる理由があっても正当化できるものではない。しかし、いまの時点にたって当時、極東ロシアで見聞きし、感じたたことを伝えることは意義があることだと考え、何回かに分けて極東ロシアの旅をふりかえることにした。

 2017年夏のロシア極東の旅のレポートを、ロシアによるウクライナ侵攻が続いている2022年4月にあえてnoteにアップしてきたわけだが、最後にこの旅でもっとも印象に残ったできことを書きたい。

クルーズ船の乗り場を発見する

 ウラジオストク1日目の夕方、私は港のあたりをブラブラと散歩していた。すると、ウラジオストクの近辺をぐるっとクルージングする観光船の発着場に出くわした。まったく予定には入っていなかったのだが、これからナイトクルージングの船もあるかもしれないと思い、チケット売り場のある建物に入った。ところが、掲示類はすべてロシア語。こういう時に限って、WiFi端末の調子が悪く、Google翻訳も使えなかった。

クルーズ船の乗り場

 ただ、18:30発の船があるらしいことだけはわかったので、チケット売り場の窓口付近いいたロシア人のお兄さんをつかまえて、「今から、クルージングに行ってここに戻ってくる船があったら乗りたいんですけど、乗れますか?」という趣旨のことを英語で聞いた。

親切なお兄さんにチケットを買うのを手伝ってもらう

 そのお兄さんは、英語が得意ではないらしが、たどたどしい英語でなんだか一生懸命に対応してくれた。「18時30分発の船に乗れるよ」と伝えてくれ、チケットを買うのを手伝ってくれた。やれやれ、やっとチケットを買えたと喜び、そのお兄さんと一緒に近くの店に飲み物を買いに行った。

 しばらくして、お兄さんが、「ところで、あなたはこの船は×▽*というところへ行って、今夜はウラジオストクに戻ってこないことを理解していますか?」と聞いてきた。

 「え~! そら、困るわ!」

 そのときすでに出発10分前。

 ただ、運賃は600ルーブルなので約1100円程度。この船に乗らず、運賃がムダになっても仕方ないと思った。

 私は、「OK。ノー・プロブレム。互いに英語でのコミュニケーションが不十分やった。こっちへ戻ってこないことを十分に理解せずチケットを購入した私が悪いので、お兄さん、気にせんでええよ。むしろ、そのことを教えてくれて、ありがとう」と言った。

チケットの払い戻しまで手伝ってくれる

 しかし、お兄さんは「私がええかげんなことを教えたがために申し訳ないことをした。運賃は払い戻しをさせなあかん」と、チケット売り場に一緒に行ってくれた。

 しかし、チケット売り場のおばさんは、いかにもロシア的な超不愛想な表情で、払い戻しなんて断固「あかん!」という対応。お兄さんは、18時30分に船に乗ろうとしていてまったく時間がないのに、不愛想おばさんをしきりに説得してくれた。

 ついに、不愛想おばさんも、「しゃあないな」という表情で何か書類を出してきて、「これに必要事項を書け」と言ってきた。ところが、これがまたオールロシア語でさっぱりわからなかった。そこを、お兄さんが、「これはパスポート番号で」「これは名前で」「これは住所で」とサポートしてくれ、なんとか必要事項の記入ができ、運賃が戻ってきた。

 それが船の出発の1分前。

 お互いにメールアドレス等の交換もする時間もなかった、最後の名前を聞いた。

 お兄さんの名前はダニエル。

 ダニエル、ありがとう! 

 もし、この船が今夜はウラジオストクに戻ってこないことを教えてくれなかったら、エラことになっていた。ダニエルは、「迷惑をかけて申し訳ない」といって、自分が買い込んだビールのうち1本をくれた。その夜、ホテルに帰ってから、彼の気持ちを心に焼き付けて、ビールを味わった。

ダニエルさんがくれたビール

親切なロシア人

 私は、民族的な偏見を持つことには大反対のつもりの人間である。でも、お恥ずかしながら、ロシア人というと、「怖い」「そっけない」人たちだというイメージを持っていた。シベリア抑留だとか、満州におけるソ連兵の婦女暴行だとか、あるいはエリツィン、プーチンのような強面の政治指導者などから、そんなイメージが私の頭の中に作られたのだと思う。

 しかし、生身の個々人のロシア人と接してみると、ダニエルさんに限らず、日本人からみると”過剰”だと思うぐらいに親切だった。道中で、道を聞いたロシア人も、英語は苦手でも、微に入り細に入り、徹底的に教えてくれた。ハバロフスクのガイドさんも、所定のガイドの仕事がおわって、再び街で偶然にであったときも、「何か困ったことはないか、どこか行きたいこところがないか」と、お節介なぐらいに聞いてくれた。

 わずか数日の旅で、ごく少数のロシア人としか触れあっていないので、これがロシア人の本質がわかったなんどというつもりはない。ただ、お節介なぐらいに親切・・・というのは、ロシア人のある一面を示しているものではないかと思う。

「凡庸な悪」に陥らないために

 このように親切で、善良だと感じたロシア人たちなのに、いま、ロシア軍がウクライナで行ったとされている残虐行為がなぜ実行できるだろう? (西側の報道でロシア側が行ったとされる残虐行を100%信じるかどうかは別問題。しかし、ロシアが他国に軍事侵攻した時点で、やはりかなりの残虐行為がロシア側によってなされていると私は個人的に判断している)

 私は、かつてナチスドイツの親衛隊の将校で、アウシュヴィッツ強制収容所 へのユダヤ人大量移送に関わったアドルフ・アイヒマンのことを思い出した。かれは、第二次世界大戦後、アルゼンチンに逃亡して潜伏したが,1960年にイスラエルの特務機関に発見されて、イスラエルへ送還された。その後、かれは首都エルサレムでの裁判により,ユダヤ人虐殺にかかわった罪で絞首刑の判決を受け、実行された。

 しかし、このアイヒマンは狂信的な反ユダヤ主義者だったかといえば、そうではなく、家族思いのごく普通の善良なドイツ人だった。ユダヤ人をアウシュビッツへ送り込んだ行為については、あくまでも職務として、真面目に仕事を遂行したに過ぎないとして、本人は無罪を主張した。たしかに、家族と自分の生活のために働く一職業人として、その主張もわからないではない。

 政治哲学者のハンナ・アレントは、アイヒマンのあり方を「凡庸な悪」と喝破した。善良な人々でも、国家や組織にからめとられ、命令されると、何も考えず、平気で残虐な行為を「職務」として淡々と遂行することになるのかもしれない。かつての日本軍もそうであった。あの親切なダニエルさんも、ウクライナ戦争に動員されていたとしたら、どうなっているのだろう。

 こういうことが繰り返されていいのか。いったん組織にからめとられ、さらに国家や戦争という大きな動きがあるなかでは、これに抵抗するのは難しいかもしれない。しかし、日本人であれ、ロシア人であれ、ウクライナ人であれ、刷り込まれた偏見やマスコミ報道で作られたイメージではなく、たがいに生身の人間を知ることがまず大事ではないかと痛感する。それがあれば、「悪の凡庸」に何らかのブレーキがかかるのかもしれないと感じた。

 ウクライナでの戦争が激化する時期に、あえて5年前の極東ロシアの旅の記録をnoteに公開したのも、このことを少しでも多くの人に伝えたいと思ったからだ。

<今ふりかえる極東ロシアの旅⑧|今ふりかえる極東ロシアの旅⑩>


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