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ブランド効果に関する2つの実験

先日、ロキソニン(鎮痛剤)を買い足そうとドラッグストアに行きました。店頭にパッケージは陳列されていたのですが、どういうわけか「処方箋売場で買ってください」と言われ、仕方ないので店の外にある処方箋売場で買い求めました。買う時に「同じ薬でジェネリックのものもあります。こちらだと若干値段が安くなります」と言われました。店にとって利益率が良い上に、国が推奨していることもあるので、どこの処方箋薬局でもジェネリックを薦めます。「ジェネリックもナショナルブランドも効果は同じですよ」。有効成分が同じならば、当たり前のことです。それに顧客が買う時点で「〇〇ブランドのジェネリック」と知らされているわけですから「ブランド名が出ていないだけのブランド」なのです。

なんだか当たり前の話をしているようですが、ブランドが表示されていることの効果について、ちょっとだけ話しましょう。鎮痛剤を使った興味深い実験があります。「ブランドのないプラセボ(偽薬)」「ブランドのあるプラセボ」「ブランドのない有効成分薬」「ブランドのある有効成薬」をそれぞれ4つのグループに投与して頭痛がどの程度おさまったかという実験です。ここから「プラセボ効果とブランド効果」をマトリクスで測定するわけです。『この実験の結果によれば、ブランドの効果はプラセボ投与群と有効成分薬投与群との間には見出されなかった。ブランドの効果は、むしろ有効成分薬投与群の間で現れた。有効成分薬投与群において、ブランド付きの有効成分薬投与群のほうが、ブランドのない有効成分薬投与群よりも頭痛の治療効果は大きかったのである。すなわち頭痛薬の有効成分自体の効き目は、効果全体の2/3から3/4程度であり、一方、ブランドの効果は1/4から1/3程度であった。(ブランド戦略論/田中洋著・有斐閣)』

興味深いのは「ブランドのあるプラセボ」と「ブランドのないプラセボ」でどの程度、鎮痛効果があったかです。残念ながらこれは詳しく書かれていません。しかし上記結果から鎮痛剤としての機能的価値とは別にブランドが付くことによる後光効果のようなものが確かに存在すると考えてよいのではないでしょうか。

これを書いていて別の実験を思い出しました。ワシントンポストが行ったジョシュア・ベルの実験です。ワシントンDCの駅、朝の出勤時間。世界的ヴァイオリニストのジョシュア・ベルは一介のストリートミュージシャンに変装してバッハを6曲、45分間に渡り演奏しました。ジョシュア・ベルというブランドを隠して演奏した時、どれくらいの人がその演奏の素晴らしさ=価値に気付けるかという実験でした。その時の映像がこちらです。

結果は1,097人が通過して、お金を置いたのは28人、ちゃんと立ち止まって演奏を聞いたのは7人、そしてベルだと気づいたのはたった1人でした。この時にベルが得たお金は32ドル。この実験は「たとえ名演奏が行われていても、注意深く観察しなければ人はその価値に気付けない」ことを証明したと言われています。ただベルの名誉のために反論するなら、朝の忙しい出勤時間で演奏以外のことで頭がいっぱいの人たちが、どの程度立ち止まるかというと必ずしもフェアな実験ではないと思います。しかしそれを認めたうえで「ブランドがなければどれほど品質や機能性が良くても人々はスルーしがちだ」とも読めます。おそらく彼がベルだと知ったら、通勤途中のひとでも300人から600人くらいは足を止めて演奏を聞いたのではないか。いずれにしてもブランドの効果とはこういうものでしょう。もしジョシュア・ベルというブランドを掲げていれば一人から200ドル貰える演奏も、ブランドを隠してしまえば一人1.14ドル(32ドル÷28人=1.14ドル)の価値しかなかったと言えます。