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お風呂だけが

まだまだ寒い最近。
温かいというより少々熱めのお湯に浸かりながら本を読むのがマイブームである。給湯器のスイッチがついていない我が家は、追い焚きができないのでお風呂を溜めるときは熱めぐらいがちょうどいい。ただ熱めと言って調子に乗るととんでもないことになる。足首まで入れて最初は無感覚、2、3秒後急激な熱さが襲ってくる。急いで足を引き上げると一瞬で赤い靴下を履いたような状態になっている。一糸纏わぬ姿の人間がありえない速さで足を引き抜く光景は自分でも笑ってしまうほど間抜けである。いくら追い焚き機能がないとはいえ、流石に身を捨ててまでお湯には浸かれないので、水を足していく。1年以上住んでいてもこの温度調整は至難の技だ。

こんなことをこなしながらようやく本を読むのだが、今日まで小分けにして読んでいる本はついに終盤。先程まで日本の伝統芸能「熱湯風呂」を披露していた私のコメディっぷりとは相反し、なかなかしんみりした展開である。
母親に愛されていた自覚がなかった主人公が、歳を取り人生の後半戦を戦うようになったことで、当時の母親の気持ちに痛く共感する場面だった。年老いた母親が「正しいことだけじゃ生きていけないのよ」そんなセリフを口にした。先程まで熱湯風呂芸人だったにも関わらず、この一言に涙腺が破裂してしまった。

常に正しさを追い求めて、誤った選択だったかなと思った時もいいように言いくるめて生きてきた。だって求められるのは常に正しさだから。こうやって生きてさえいれば何事もうまくいくのだろうと思っていた。ただここ最近自分の中の正しいが通用しないことが多くなってきた。自分が正しいと思っていてもうまく結果につながらなかったり、逆に裏目に出てしまったり。なんでこんなにもうまくいかないのか、誰に聞いても解決しない、自分ですら解決できない、というかする術がない悩みに悶々としていた。
だから「正しいことだけでは生きていけない」この一言に全てが救われた気がした。自分の正しさが誰かの正しさと同じものとは限らない。正しさが生き様の縛りになるのなら誤った方に走ってもいい。正しさの裏全てが悪いものとは限らない。

哲学じみたことを考えていたら、熱々のお風呂はいつの間にかぬるくなっていた。これはもう液体に体を浸しているだけの状態なのでここまでくると浸かっているのが気持ち悪くなって立ち上がる。このようにぐるぐると考えすぎてしまう癖を、いつもお風呂は強制的にストップさせてくれる。さらには温まった体はすでにリラックスモードに入っているので、この状態で布団に潜れば即入眠できるのだ。清潔な匂いに包まれて、気持ちがいい。

正しさとは何なのか、その哲学じみた問に対する絶対的な答えは一生出ることがないが、これだけはわかる。
お風呂だけは永遠に正しい。
清潔になって健康的。心も休まり、安眠につながる。
さらには笑いだって取れる。
お風呂が悪になることは決してない。


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