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はっとしてぐー

やれやれ

また

毎度おなじみ

「欧米人に言われてはっとした」案件ですか。
(というか、このひとたちはこの動画を見るまで、まったく無自覚にそれらの作品を見てたんですか……なんともはや、ちょっと羨ましくなるくらい男性としての自信に満ち溢れたアティチュードを感じますわ)

 動画の内容はおおむね「男性/父性のジェンダーロールから落ちこぼれた、または大人の女性を相手に男の甲斐性を発揮するムーブに疲れたダメ男の心を慰めるために、物語の中に”Born Sexy Yesterday=性的に成熟した大人の肉体に純粋無垢な女児の精神を宿すキャラクター”を登場させて搾取するのはいかがなものか?」というポリコレ的に大そうウケが良さそうなの問題提起だ。
 人の嗜好というものは実に多岐にわたるので、こういう「倫理道徳との答え合わせ」的な視座で映画やらアニメやらをまなざすことが好きな方もそりゃいるんでしょうけど、人が善く生きようとするがゆえに抱く「世のコンテンツを、それを享受する人々を正しい方向に教導したい」という欲求はほんとやっかいやで……。

 ところで、この動画は2017年にYouTubeにアップされたものだけど、動画の中で取り上げられているいくつかのサンプルで、一番新しい作品は2012年に公開の「クラウド アトラス」だ。ただ、「クラウド アトラス」に登場する「Born Sexy Yesterday(以下、BSY)」なヒロインは「無垢なる存在が男との色恋に擦れることなく一人の人間として純粋に成長する物語なので問題は無い」として肯定的に扱われている。「クラウド アトラス」の次に新しい作品として挙げられているのは2010年公開の「トロン:レガシー」で、一方この作品のヒロインは「非モテ男に都合のいい”身体はセクシーな大人、心はイノセントな幼女”なキャラ」として否定的に扱われている。
 はて……BSYを批判するサンプルとして、直近5年以内のメジャー作品が挙がらない……ってことは、もしかして2010年代のトレンドとして、BSYを求めるような傾向は完全になりを潜めている、とまではいかなくても相当下火になっていると見ていいのではないか?

 もちろん近年BSYを扱う作品が全く存在しないということでもないだろう。実際本邦でも「全てのキャラクターがBSY」という特殊な物語構造を持つ「けものフレンズ(2017)」が社会現象を伴う爆発的大ヒット作品となった。しかし、この作品には「彼女らとつがおうとする男性キャラクター」が一切出てこない
 加えて、「バブみ」やら「オネショタ」「ロリババア」等のキャラ属性を扱うコンテンツの隆盛を鑑みるに、(少なくとも自分がSNSや掲示板で観測する範囲では)今日日この日本でオタコンテンツをたしなむ人々(この場合は往々にして男性)が女性キャラに対して望む属性が、BSYが帯びる「処女性」「無垢な存在を意のままにコントロールしたい」とは真逆の、「母性」とか「強い女性の庇護に入りたい」「なんなら生殺与奪権を預けてもいい」というベクトルに寄っているように見えてならない。かく言う僕もその手の属性を有するキャラが登場する作品を描いたり読んだりするのが大好きだ。

 これらの傾向は「一部のフェミニストが(口では)そう望むように、世の男たちが男性/父性のジェンダーロールから降りようとしている、もしくは実際問題としてそれを背負うことに疲れている」ことを如実に反映していると思われるが、このBSY告発動画をつくったような「正しい人」やこの動画に「はっとした」などと同調してしまう「正しい人々」の傾向として、早晩「母性や強い女性に守られたい願望の受容体としての女性キャラが登場する作品とそれを嗜む人々」すらも「女性はお前のママじゃない!!」と攻撃の対象にするのだろう。いや、もしかしなくてもすでにそうなってるかも。
 とにかく難儀なことですわ。
 何というかもう、「不正義を排し、正しさに溢れたコンテンツで世の中を満たしたい」という願望とムーブこそ、件の告発動画で批難されているところの「純粋無垢な存在を教え導き、自分好みのパートナーに仕立て上げたい」という願望とそれを叶える物語構造とコインの裏表を成しているように思えてならない。気のせいだといいのですがね。

 一方、今年の初めにツイッターの絵師、漫画家、作家クラスタの間で大流行した創作ジャンルに『魔女集会で会いましょう』というものがある。

 これらは「悠久の時を生き続ける賢く自立した魔女が、読み書きもままならなず情操の発達に問題を抱えた(時には死にかけた)孤児の男の子を拾い、育ての親となり、関係を育み、頼もしく成長した男児と師弟愛、親子愛、異性愛、共依存がない交ぜとなった強い絆で結ばれる(老衰していく男児と死別するケースもままある)」といったテンプレートを共有するショートストーリー群だ。上記のまとめを参照して貰えばわかる通り、作者の大部分が女性である。
 僕も大いに楽しませてもらったが、これらの作品群はお察しの通り、最初の動画で告発された「Born Sexy Yesterday」(無垢でセクシーな女性キャラ)が登場する物語群のジェンダー勾配をそっくり入れ替えた(庇護される側の肉体が成熟しているか未発達かの違いはあれど)物語構造を有している。と同時に「バブみ」「オネショタ」「ロリババア」等の需要にも応える作りになっている。

 BSY告発動画の作者や動画に同調したような人々は、『魔女集会で会いましょう』の作品群も「自らの歪んだ願望を、無垢な弱者を強者の都合でコントロール、搾取することで叶えようとする正しくない物語」として忌避し批難するのだろうか?
 仮定に仮定を重ねるのはいささか以上に気がひけるが、もし批難しないのだとしたら、ダブルスタンダードであると自分には感じられるし、批難したとしてもその檄文に耳を貸すことで得られる利益は無いに等しいどころか失うものの方が多くなるだろうだろう。
 しかし実例として今夏、「正義のクレーマー」の声に屈し『幸色のワンルーム』のドラマ放映を中止したテレビ朝日は、得られるはずだった視聴率と視聴者からの信頼を失った。


 さて、そろそろ自分でも何が言いたいのブレブレになってきたし、もういい加減この一銭にもならない駄文を打ち切りたいので無理矢理まとめようと思う。

 ひとつ前のnoteでも書いたけど、僕個人の信条として、ある種の作品群は「その作品が”正しいから”嗜むのではない」という確信をさらに強くたし、「正しさでは救われない魂」を癒す物語の中にある優しさを信じたいと思いました。


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