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クリスマスの思い出

 昔からクリスマスは一人で本を読んでいた。大学院の頃、クリスマスに友人と食事に行き終電まで学問の話をしていたが、あれは例外的なイベントだったのだろうか。
 いや、あの日彼女は待ち合わせに遅刻してきたので結構な時間を一人で待った。その日もやはり本を読みながら。手にしていたのはコリン・ウィルソンの「賢者の石」だった。何だか、思い返してみても例外的なイベントとまでは言えなかった気がするな。本を読み、そして彼女がいた。終電まで続いた学問についての議論。それがその年のクリスマス。例外ではなかったが、特別楽しかったよ、ありがとう。

 もう1つ例外ではないが忘れられないクリスマスの日がある。それは高校生の頃のクリスマス。
 ――本を読みたいから今日は早く帰るよ
 ――エト可は本の虫だからなあ
 友人は呆れているのか面白がっているのかどちらともとれる笑い方をした。とても優しい笑い方だった。そんな会話をしながら帰途へと向かう。
 ――エト可、
 遅れてきた友人が一人。
 ――飯行かね?飯か買い物いきたいんだけど
 ――いかねーよ、エト可はこれから本読むんだよ。邪魔すんなよ?
 先に来ていた友人が横から止める。
 ――わかったわかった、エト可何読むか決めてるの?
 ――一応候補はあるよ。じゃ。あ、図書館籠城するし閉館後は家で籠るから電話とらないからな。
 ――りょーかい!エト可の気が向いたら電話しろよ、そのときはとってやるからなー
 ――邪魔する気満々じゃねぇか!さっき邪魔すんなよっつっただろ!
 ――大丈夫、電源切っとくよ

 そんな大騒ぎをしながら駅へ向かう。駅までは同じ道を通る。
 そして一人が電車から降り、また他の一人が降りる。僕は一人で図書館に向かった。酷く寒かったことを覚えている
 図書館ではマザー・グースを翻訳した本を読んだ。要はその年はクリスマスにマザー・グースを読みたかったのだ。窓硝子が妙に冷たく見えた。いや、ガラスの外の景色が寒そうでそう見えたのかも。いずれにせよ、そのクリスマスの日は友人を思い出すことは無かった
 
 あれから随分時間が流れ、今更あのクリスマスの皆の優しい顔をよく思い出す。彼らは僕を図書好きのエト可、変人のエト可としてそのまま受け入れてくれた。それがどれだけありがたいことだっただろうか。
 だけど、僕がもう一度皆と会う日は恐らくこの先の人生には存在しないだろう。親友は僕が卒業するまでに消えた。読書の邪魔してやるなと怒られていた友人に最後に会った日も、心を開くのが苦手な僕は、別れ際寄せられた〝笑ってくれて有難う〟という言葉にも――うん、としか言えなかった。誰もが明るく振る舞いながら、楽しい未来を想像するには今の自分たちが足元に伸びる黒い影をおいていけるほど大人にはなれないことを知っていた。もう二度と会えないだろうことも、どうすることもできないことも知っているのに気の利いた言葉は出てこない。僕らは当時、いわゆる「普通の学生生活」ができない者どうしが集まって遊んでいた。

 ――みんな、元気にしていますか?
  みんな幸せにはなれましたか?
 出会っていたのはヒドイ時代だったね
 僕はあの頃から成長してなくて、今年のクリスマスもきっと籠城して本を読むよ

 そして窓硝子が妙に冷たそうに見えて――いつまでも皆のことを忘れない

 そうそう、あの日のクリスマス、楽しかったんだ


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