礼司

物書きです。 重い一撃みたいな言葉を書きたい。 □心的外傷後成長 □挫折と逆境の先で生…

礼司

物書きです。 重い一撃みたいな言葉を書きたい。 □心的外傷後成長 □挫折と逆境の先で生きたい人生をデザイン □アダルトチルドレン □LGBTQ □ベンチャー企業勤務

最近の記事

信仰でいい。信仰がいい。

僕には生きている上で信仰しているいくつかの事項があって、宗教ではないのだが「信仰」と呼んでもいいほどに僕が生きていくために必要な中核的な信念になっている。 そのうちのいくつかはこんな風だ。 ・内向型の人間は外向的な人間よりも生きるのが苦しい。だが高い共感的能力と豊かな内的世界を有している。 ・機能不全家庭に育ったアダルトチルドレンはできないことが多い。できないことは努力で変えられることではなく機能的な欠陥なので、できない前提から「どう生きるか」を考える必要がある。 ・

    • 努力すれば叶うという言葉は劣悪なポルノ

      「努力すれば叶う」 「頑張る」 という言葉が嫌いだ。 正確に言うと、嫌いになった。 理由は、努力という言葉がしばしば他者から「努力しなさい」という文脈で発せられ、同時に「(努力していない)今のあなたはダメ」という、今あるがままの自分を否定する言葉であるから。 「努力すれば叶う」という言葉には、 ・叶えられなかった人間は努力をしなかった ・努力しない人間はダメだ という糾弾が内包されている。 人を糾弾するのは気持ちがいい。 努力崇拝、努力至上主義というポルノ、つまり一部

      • 内臓露出狂と内臓を持たないジョン・ドウズについての個人的見解

        太宰治の「人間失格」という作品は、【分かる】人間と【分からない】人間がいる。 この作品は主人公葉蔵が、自分の本性を知られないために道化をする、という描写から始まる。 人間は表の顔と、魂的な何かのふたつを持っているという仮説の元の話。 「取り繕う」という言葉があるように、人間は本心と違うことを言動として表現できてしまう。 人間失格という作品は、醜い本心を押し隠し道化を演じてきた人間にとっては【分かる】のであり、幸運にも本心と言動をさほど乖離させることもなく一貫した自己とし

      信仰でいい。信仰がいい。

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