内臓露出狂と内臓を持たないジョン・ドウズについての個人的見解
太宰治の「人間失格」という作品は、【分かる】人間と【分からない】人間がいる。
この作品は主人公葉蔵が、自分の本性を知られないために道化をする、という描写から始まる。
人間は表の顔と、魂的な何かのふたつを持っているという仮説の元の話。
「取り繕う」という言葉があるように、人間は本心と違うことを言動として表現できてしまう。
人間失格という作品は、醜い本心を押し隠し道化を演じてきた人間にとっては【分かる】のであり、幸運にも本心と言動をさほど乖離させることもなく一貫した自己とし