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お金の大事な使い方

人生には限りがある。なぜなら人間には時間という資源が限られているからだ。



同じようにお金という資源にも限りがある。

独立行政法人労働政策研究・研修機構の『ユースフル労働統計 2021』によると、日本人の生涯年収は大学・大学院卒の男性で約2億6900万円、女性は約2億1700万円、高卒の男性は約2億1300万円、女性は約1億5200万円とされている。

中央値ではどうだろう。別の調査では少し目減りはするが大体2億くらいだ。性差が大きいのは専業主婦が多いからだろう。

何かを買う時にしばしば「また仕事を頑張ればいい」という決めセリフが使われるが、その原因は無から有を生み出している意識であるからであろう。このようなデータに基づけば、実際は2億という決められた金額を長い人生の中で消費し続けているとも考えられる。



際限なく資源があれば無駄遣いするのもよい。
が、それは選ばれたものだけに許される。

もっと伝わりやすく言うと、あなたや、わたしはそうではないのだ。



こういったことから、我々が人生を楽しむためには2億円という金額を、何に、いつ、使うかということが肝心であるとわかる。何かした分、何かを諦めることになっているのだ。

逆に言えば、ここぞという場面を見誤ると金(と時間)を無駄遣いしてしまいかねない。
お金は大事であるがさらに大事なのはその使い方である。

わたしと一緒に考えてみてほしい。



ある人の物語

例えば、第一子が産まれた新婚夫婦を想像してみよう。

彼らは子供もできたから、と3階建ての注文住宅を建てるらしい。

土地代は含めずとも、"一生の買い物"をこだわった場合は3000万〜4000万円ほど(手数料など含めず)かかることになる。彼らはローンを使って支払うようだ。

やっと完成した夢のマイホームで暮らして、数ヶ月たったある日のこと。



彼らは気付いてしまった。


う〜ん。この位置に階段は邪魔だったなぁ〜。

トイレは1階だけでよかったかも…。


家は3回建てないと思ったとおりにはならないと言われている。間取り、内装、素材など思ってたのと違うことになるのは想像にかたくない。

他にも
家の周りをへんな人が歩いている

野生動物や鳥の糞が多い

ゴミ屋敷がある…などなど。

あげればきりがない。


さらに難しいことは未来がどうなるか誰にもわからないことだ。



また想像してみよう…。





大きくなった子供が大事な話がある、という。


子どもがはなしたそうにしているぞ…!



勉強熱心な我が子のことだ、大学の話かな?と思う両親。

一人暮らしさせられるくらいの貯金はしてある。

とうとう、離れるときが来たか……。


意を決して口を開いた子供。




「海外留学したいんだ」




何も口から出てこない両親。

出てこないばかりか、「まだ家のローンが…」という言葉が出そうになるのを堪える…。




ただ、こういったことは子供が積極性を持って行動しているし、いいことなんじゃないかとも捉えれそうだ。


では、次の場合はどうだろう。


例えば、両親のどちらかが働けなくなってしまったら?


足腰が悪くなって、階段を登れなくなってしまったら?


今の職場から転職したいと思ったら?


家族を失ってしまったら?


辛くなってきたんじゃなかろうか。
要するに、未来のことは何もわからないのに、人生の全財産である2億のうち1/5ほどを一度に使うなんて正気とは思えないのである。

人生のお金の1/5を消費したのに、人生がまだ2/3残っていたら不安にならないのだろうか。
そうすることによって、人生は全体の幸福度と釣り合っているのだろうか。





この記事でわかること

相変わらず前座が長くて申し訳ない。

この記事は若い頃に家を買ったほうがその分家賃を払わなくていいから得だとかそういう次元の話ではないのだ。

自分の将来の問題、家族の問題、健康の問題は下調べではどうすることもできないし将来のことは誰にも予測できない。



だからといって、わたしが言いたいことはその2億を使うな、将来のために貯蓄をしろ、ということではない。もちろん家を買うなということでもない。

お金の使い方には言わば、「”人生”の”バランス感覚”」が求められるということを伝えたいのだ。

おわかりいただけたと思うがわたしは保守的な人間である。正反対の人には響かないかもしれないが、同じ側の人間にはかなり興味をそそられるような記事になっていると思う。

どうか最後までお付き合いいただき、ご意見を頂戴したい。
まず初めに「”人生”の”バランス感覚”」の”バランス感覚”の方から説明していく。






バランス感覚とはなにか?

 

消費する人


給料が入ったらそれを全て使い切ってしまう。そんな生活は誰しも長く続かないかもしれないと思うだろう(もちろん否定はしない)。

マイホームの例はまるでマイホームの購入が誤った消費のように紹介したが家を買うこと自体が問題であるわけではない。

高額で、生活に絶対に必要ではない場合、しかも「周りがしているから」という理由で深く考えずに金を使う時はリスクが高いだけである。


CMやSNSやYouTubeで、話題になっているものを買っている。
出かける度に何か買っている。
セールと聞くと買わないと損した気持ちになる。


こういう方は商品がどうしても欲しいというよりはお金を使うことがストレス発散の方法になっているだけかもしれない。

もしくは、わたしの言う、「生涯で得られる金額」は無限であると錯覚しているのかもしれない。




貯金する人

では、逆を考えてみる。

消費を控えて、貯金や投資をせっせと行う場合だ。

こういったことができるのは勉強ができる賢い人が多い印象である。

マシュマロテストではないが、我慢ができる人と言えるかもしれない。なぜなら、今の小さな娯楽(利益)を後回しにすることで、より大きな利益を将来手にしようとしているからである。

自慢ではないがわたしはこのタイプだ。
金を使うことを恐れて、将来のことを恐れて、質素倹約に努めていた。


貯金を行う。節約をし、切り詰めていく。
自分の必要最低限の生活水準を守っていた。

そして、さらに賢い人はより積極的に金を作る。すなわち投資である。

(ここでの投資とはインデックス投資のとことを言う。なぜFX取引や株式投資を含まないのかは議論しない。)

貯金することで将来の生活を守り、投資することで利益を得る。
言わば、お金の守りと責めである。


完璧な計画のように思えるが、どうだろう。
一つ欠点がある。



それは今を楽しめないということである。

将来へのリスクへの対処をするだけで、例えばそれが過剰な対処であったらどうだろう。


50歳で交通事故でこの世を去る、病気とは縁遠い70歳でしかも貯金が2億ある。

そんな可能性は0ではない(もちろん100%起こる訳でもない)。

せっかく我慢した分の果実を食べずに人生を終えてしまったり、将来は世界一周しようとしていても気づいたら70歳で旅行に行くより軒先でお茶をすすりながら盆栽の手入れをしている方が幸せということになりかねない。



バランス

今の幸せが将来幸せとは限らず、また今の不幸せが将来不幸せとも限らない。

自分が幸か不幸かを決めるため、その時の自分の価値観が変われば、幸か不幸かも変わってしまっている可能性がある。あなたは5年前、何に夢中だったかすら、もう忘れてしまっているのではないだろうか。


このようにその時に好きなことや幸せなことは移り行くものである。
従って、将来のためだからとそのまま熟成させておくこともまたリスクであり、同様に今!この瞬間の一つのことに全振りすることもまたリスクである。

そこでこれらのいいとこどりをしようという都合のいい考えがわたしがバランスと言った理由である。

具体的なバランスのとり方

やり方はひとそれぞれあると思うが、わたしは外食や植物、本(趣味)などの消費額として月々の収入の1割ほどを充てる。そして生活費を引いて残った額の半分を貯金、半分を投資へと回している。

もちろんこれは今のわたしの心地いいバランスである。将来もしかしたら消費が2割になっているかもしれないし、5割になっているかもしれない。

このような価値観は移り行くものであるから今のわたしにはどうしようもない。想像するだけ無駄である。

また、わたしのようなアラサーであれば生活費を引いて残った全額をインデックス投資に入れるのが最も合理的だと(頭では)思う。

わたしがそうしないのは起業をするための資金にするためである。今までは貯金の悪魔に取りつかれたように節約・貯金をしていたが、それだけでは後悔してしまうのでは?とふと思ったのだ。

だからわたしは欲しいもの、やりたいことにあらかじめ決めた割合の金を使うし、残った金で投資も行う。わたしにはこれが心地いいバランスであるからだ。


バランス感覚には”人生”の舵取りが必要

舵取りとは優先順位をつけることである


さて、「”人生”の”バランス感覚”」の解説、後半戦。

なぜバランスに”人生”とつけたのか、である。

バランスをとるためには、重きをおく方針が必要になる。
それがなければ、今日はお金使ってみようかな、今日は使わないでおこうかな、とふらふらしてしまうからだ。人生について考えなくてはバランス感覚を語ることはできない。

だからこそ、人生のバランス感覚が重要と説いているのだ。

そもそも、やりたいこと、人生の目標などがある方は特に困らないかもしれない。そのために日々努力するだけだからである。

人生で特に何も目標がない人。何となく仕事をして、何となく休みを過ごして、何となく結婚して、何となく家を買い、何となく……。
そんな人にもぜひ人生を考え、舵取りをできるようになってほしいと思うのだ。

どうしたらよいか、お教えしよう。

具体的な舵の取り方


目標がなく、日々を生きている人であっても、やりたいこと、楽しいことがあるはずである。

もうすでにやっていること、ついやってしまうことがまさにそれである。

そういったことが人生でやるべきことを示唆してくれる。

すなわち、自分の行動に、どれだけそれをやりたいかという視点で優先順位をつけるのだ。



優先順位の付け方はどのようなものでも良いと思う。
例えば、「7つの習慣」という世界的に有名な本の著者である、スティーブン・コヴィー氏が提唱した方法などがある。一応紹介しておこう。


全てのタスクは「緊急度」と「重要度」の2軸で、「必須」「効果性」「錯覚」「浪費・過剰」の領域(象限)に振り分けることができます。

(A/第1象限)重要度も緊急度も高いタスク=「必須」
(B/第2象限)重要度が高いが、緊急度が低いタスク=「効果性」
(C/第3象限)緊急度が高いが、重要度が低いタスク=「錯覚」
(D/第4象限)重要度も緊急度も低いタスク=「浪費・過剰」

https://www.jooto.com/contents/priority-matrix/

このように四象限に分割した表に、やりたいことを振り分けてそのうち重要度も緊急度も高いものを優先するというのもよいだろう。


ただ、実際に行った上でわたしに合っていたことも紹介しておく。少し前半戦でも出てきたことだがポイントは「後悔」である。

まず「やっておかないと死ぬときに後悔するかもしれないこと」をリストアップする。
それらの内、今やっておくべきだろうということは優先する。

これだけだ。

少し恥ずかしい話だがこれらを踏まえてわたしの最近優先していることを紹介しよう。


私が今優先していること①

脂っこいものでも、なんでも腹一杯食べれる(まだ)健康な胃を持っているので、財布の許す限り美味しいものをたくさん食べたい。
というより、食べた方がいいんだろうなとわかっている、という表現が適切だろうか。
と言っても、若い頃に一流のものを知っていた方がいいとか自己投資になるからとか、そういうことではない。
そういう誰かが言ったからやる、というのではなく、自分の頭で考えた結果、やらないと損じゃね?と心から思うのが重要だ。


私が今優先していること②

他にもある。親孝行(笑)である。

以前の記事で書いたが、祖父が亡くなるとき後悔しないため、ことあるごとに祖父に電話し、たっけぇ介護用品を買ったりした。ありがとうと言ってくれるのが嬉しかったのもあるが、自分のためでもあった。

祖父が死ぬ時、死んだあと、何もしてあげられないと後悔したら嫌だろうな、と思っていたからだ。

両親に顔を見せたり、ごはんを食べたり、電話をしたり、そういったことをなるべくするようにしている。


このように後悔するかもしれないことは何かを考えておくと、自分の人生の優先順位の高いものがわかるのではないだろうか。

わたしはよく「今のまま年をとって死んだら何を後悔するだろうか」と死ぬ時を想像する。

どのような節目でも良いと思うがこんな極端な想像をしてみるとよいのではないだろうか。


まとめ


さて、これで"人生"の"バランス感覚"がお金を使う上で大事だとわかっていただけたと思う。



まとめると、こうだ。

〇使えるお金には限界があるため、人生の中で優先順位の高いことを決め、それらに自分のお金を使う。

〇将来の貯金・投資だけで終わる人生や、今楽しむために全ての金を使う人生ではなく、それらの間の心地いいところを目指して、後悔しないようにお金を使う。



人それぞれの心地いいところがあるはずだから、ぜひ自分の人生を考えてみてほしい。

まるで人生が2回目であるかのように偉そうに人生を語っているが、わたしもまだ考えて、試行している段階である。

何もすべてが体系的になっていて、それを布教したいわけではない。わたしの考えの一端でも何か参考になればと思って記事を書いているだけだ。

お金は大事であるが、もっと大事なのは使い方だと考えていてだからこそこのタイトルにしたつもりだ。


もしよければ一緒に考えて、あなたの考えもきかせてほしい。


ではまた次回。




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