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リーダーは静か/謙虚/臆病/心配性でもイイ。ただ1つ、ダメなことがある


ボクは優しいリーダーが、優しい組織が、成長を実現すると、信じている。利益をたたき出すかどうかはわからないが、優しい組織なら、リーダーも、仲間も人間として知的に人格的に「成長」する。その結果、会社も「成長」する。売上なのか利益なのか、両方なのか、一歩一歩、「成長」する。なぜなら、リーダーが優しければ「挑戦」が加速するから。

優しさは、何でも許す、という意味ではない。厳しくない訳でもない。厳しい環境・挑戦をお願いすることもあるから優しくあるべきなのだ。

優しさは、無関心で、八方美人ということでもない。テキトー、無責任、自信がなく、放任・放置で、弛む組織を良しとする、なんてことでもない。そんな訳が無い。それは優しさとは全く関係ない。

心が強くないと優しくあれない。精神力がないと優しくなれない。強い心が優しさを生む。

責任感があるから、組織の仲間に優しくなれる。ひとは努力の過程で失敗するし、人間なんだからうっかりケアレスミスすることもあるし、同じ間違いを繰り返すこともある、とわかっている。そんなことでイチイチ・イライラしない。自分は(人類は)完璧でなく、曖昧だと知っているから、他人の失敗も許容できる。自分と仲間と未来を信じる優しさと強さがあるから今ではなく次にフォーカスできる。現象ではなく原因にフォーカスできる。そこから学び、解決に集中し、原因を究明し、再発を防止し、沈む仲間を次の挑戦へ鼓舞し、希望を運ぶ。

だから挑戦が加速する。挑戦とはそもそも難易度が高いのだから、失敗が続くのは当たり前。失敗しないように取り組んでも失敗は起きる。ただ、リーダーに失敗を失敗と定義しない優しさ=心の強さがあれば、叱責されなければ、次にフォーカスされるならば、ひとは挑戦を継続する。

厳しく外堀を埋められ、拘束され、指示され、恐怖政治で挑戦を加速することもできる。が、挑戦すれば良い話ではない。結果を求めての挑戦。現場で思考し、柔軟に対応し、いわゆる真実の瞬間にどうするかを自発的に決め、動かないと挑戦の結果は付いて来ない。

恐怖政治では、思考・行動は硬直する。ビクビク動いているだけ。失敗を恐れ、挑戦という名で、実際は無難な試みに終始。結果は付いて来ない。またまた怒られるだけ。結局、去って行く。。。

社員は怒ると次は成功し、褒めると次は失敗する、というありがちな上司のコメント。優しくすると組織は弛むと嘯く。優しさを貫いたこともないのに、そう単純に思考する。褒めた次に失敗が来るのは、弛んだのではく、単なる「平均回帰の法則」が生じているだけ。人間の「記憶のバイアス」が生じているだけ。

それに、仲間の失敗にイライラし、怒鳴り、責任転嫁する組織は、ありがちだけど、幼稚。

で、こんな挑戦の意義を理解する精神力ある優しいリーダーであれば、静かでも、おとなしくても、謙虚でも、臆病でも、心配性でもいい。

でも、ダメなことがある。「不安」を口にすること。組織の前で、仲間の前で、リーダーが「不安なんだ」と言ったらお終い。そう思うのです。

あれ、臆病や気弱や心配性と、不安は何が違うの?ということだけど、臆病や気弱は自分の性格。だけど、不安は「将来」についての「漠然」とした「結果」を示唆している。将来が漠然としているのは当然だし、それを前提に挑戦するのだから、あえて「不安」という必要もないが、あえて言うことに悪影響がある。「将来が不安だなぁ」とこっそりひとり思うのは良い。でも、そしたら不安がないように仕組むべきだし、それでも「不安」なら心にぐっと我慢すべき。社員に今向かっている将来が「不安」と言ったら、口に出したらダメだ。終り。そう思う。

「ビクビクしながらでいいじゃん、挑戦しようよ。失敗したっていいよ、挑戦しようよ」と「不安だ」は違う。「挑戦」と「不安」は整合しない。

うまく説明できているかわからないが、「不安」という言葉には、動こうとしている仲間・部下の挑戦心・勇気・気概を弱める厄介なチカラがあるように思う。。。

組織の、最後の砦である、社員の心の支えであるはずのリーダーが「不安」を口にしてどうするの? ビジョンが明確で、やりたいこと、進みたい道が明確ならば、正直、心に不安もあるだろうが、リーダーなのだから、わくわくを前面に出さないと。静かでも、穏やかでも、心配性でも、臆病でも、リーダーならわくわくを伝播させる。「不安」の伝播は控えたいな。


(読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_48)


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