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ボクともぐらと 90_社外も社内も競争で勝つ。そういう発想にはなれない。

ボクの夢は、恥ずかしくて心にひっそり思っていたけど、やさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーになること。「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)に出会い、やさしさの強さを再確認。皆に伝えることにした。そしたら同じくやさしいひとになる夢をもつ同僚のもぐらさんに出会った。2人でやさしいひとになり、やさしいリーダーになる夢に向けて学びの綴りを始めたのがこのnote。

ボクは10年弱、小さな20名ほどの会社を経営したことがあった。3名で創業して。その前にブランドコンサルティングという類の会社に6年ほど。アメリカの会社。その前は4年ほど経営コンサルに。同じくアメリカ産。

こういうコンサル会社、アメリカの会社は、競合分析とか競合優位性の構築とか、好きですね。ブランドづくりでは、自社の目指したい姿と、ターゲット顧客ニーズとの合致と、そして「競合差別性」が求められます。

それをロゴ、商品特性やパッケージ、価格、広告、各種タッチポイントで一貫的に実現。社内に対しても一貫的な思考・行動を共有し、日々の仕事で、そのブランド”らしさ”をターゲット層に伝え、思惑通りに感じてもらい、記憶し・調べ・試し・信じ、そして購入してもらう。

「これ、私に合ってる!」そして「他とは違う!」と差別性を感じてもらい、選んでもらう、を目指す。

飲料やお菓子、日用品や化粧品、アパレルとかでは差別化、大切です。一般的に、プレイヤーが多数で、購入価格がとても高くなく、消費者が人生かけて吟味して買う訳ではなく、スイッチも容易で、販売チャネル(場所)の方がプレイヤーが少なく、棚割・WEB画面争いあり、消費者が”一瞬で判断する”この手の消費財では、製品本質はともかく、見た目に差別性があり、ブランドイメージに明確な差別性が無いと選ばれ難い。

でも、この豊かな世の中で、”違い”ってなかなか無いのが事実。これじゃないと困っちゃう、なんてことはなかなか無い。花王の石鹸でもライオンの石鹸でも、ユニクロでも無印でも、スタバでもタリーズでも、ファミチキでもLチキでも、三越でも高島屋でも、富士通でもNECでも、おーいお茶でも綾鷹でも、コーラでもペプシでも。

浮気しないファンづくり、とても大変。スタバ好きでも近くにタリーズがあればそっちに行きます。hp好きでも安かったらNECのPCにします。

でも、あきらめずに「常に今ココにある競争」で「目指せ差別化」です。消費財以外の業界でも、競合がいない/とても少ない場合でも、ターゲット層のお財布は無限ではない、ので、否が応でも競争です。同業他社のみが競争相手ではありません。

ふー、疲れる世の中だ。でもしょうがない。「常に今ココにある競争」で「目指せ差別化」。

でも、これって本当に本当???

本当に競争相手と違うことを目指さないとダメ? 競合優位の戦略とか、ブルーオーシャン戦略なんて流行ったけど本当? 競争相手が何しているかは気になるけど、でも、だから違うことをしないといけないの? 競争相手は静的なの? 明日違うことを始めたらどうするの? 毎日見るの? その結果で自分達が決まるの?

それに違うって一体どういうレベル? ちょっと違う? 中程度に違う? すごく違うの? 競争相手に勝ったら(勝つって一体何?)それでOKなの? 勝った後は何するの? 

差別化って頭では解るのだけど、経営してる時も今も、競合を考えている余裕が、恥ずかしいけど正直あまり無い。自社商品・サービスをお客様に選んでもらうにどうしたらよいか、どうやってマーケティング・営業・顧客サポートしよう、効率的な社内管理や仲間が元気かなとか、仲間の成長をどうしよう、とかで頭いっぱい。

他社の事例から勉強はする。外の情報は自然にも入ってくる。でも、競争相手を定義し、差別化ポイントを決めて、どう差別化するかを真剣に研究・議論する余裕がない(ボクだけの問題かも?)

正直、相手が誰かもよく解らない。ターゲットの時間もお金も1つだから、誰も彼もが競争相手に見える。

で、こんな主張を見つけた:

「もっとも成功している企業は、競争に勝つことを第一に考えている」というのは神話で、事実ではない、という主張

「ビジョナリー・カンパニーは、自らに勝つことを第一に考えている。これらの企業が成功し、競争に勝っているのは、~「明日にはどうすれば、今日よりうまくやれるか」と厳しく問い続けた結果自然に成功が生まれているからだ。そして、この問いかけを生活の習慣にして、ずっと続けてきた。」(「ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則」ジェームズ・C・コリンズ著、日経BP出版センター)

ですね!こうありたい!

でも、特定の競争相手に”勝つ”ことを夢見る会社もありかも?復讐的な。韓流ドラマ?”梨泰院クラス”・”六本木クラス”みたいな。現実はないか。

そして、社内でも、競争を意図的に生み出すことに疑問。OffJT・研修でのゲームは別にして、意図的に誰かと誰かを競わせよう、ってスポーツの試合みたいにできるのだろうか。「次期社長レース」みたいに第三者が競いあっていると表現しているだけ、かなと。

だから「社内で競い勝つ」が組織の強さを生み出す、は信じられない。無駄な緊張、あざむき、だまし、自分勝手、秘密主義などが生まれるだけのように思う。未熟かも?ただ、ボクの信じる道はこれではない。

自分の成長に向けて努力する、リーダーも支援する。誰かとの競争ではない。自分への問いかけだ。仲間を競わせる必要は無い。人が複数いると自然に、競争意識はそもそも生まれる。そういうものだと思う。実は”競争好き”なのが人間のサガ。で、競争が過度だとストレス、諦め、空虚になる。だから、組織として更に競争環境を生むのは反対。

昨日の自分より今日・明日の自分が成長することを、個々人の夢に近づくことを支援する。他人から学びはするが競争はさせない。これがボクの目指すやさしいリーダーの活動だ。

逆に意図的に助け合う機会をつくる。これがボクの目指すやさしいリーダーの活動だ。

等級や役職、賞与の額などで”差”はでる。結果の平等は無い。でも、これは他人との競争の結果ではない。自分への問い、自分への自分の貢献の結果で決めたい。この点には違う意見もよく読む。ただボクはこうありたい。

「常に今ココにある競争」で「目指せ差別化」では無く、「社内で競い勝つ」でも無い。リーダーの夢に組織が近づくにはどうするか。夢に共感して集まってくれた仲間のそれぞれの夢に近づくにはどうするか。昨日より今日、今日より明日の自分はどう成長できるか(自分との戦い)、が問われる課題かと。

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