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鴨とアヒルは一緒?味同じ?脳の限界と多様性について

私、鴨蕎麦!暖かい方。
ボクは普通のざる蕎麦。
あ、俺も。

蕎麦屋での締めの注文。友達3人で。

「アヒル好きなんだ?」とボク。
「アヒルじゃないよ、鴨。鴨が好きなの私。トゥールダルジャンは行ったことないけど、行ってみたいわ」と友達。

「トゥールダルジャン?誰?」
「誰って、ダルタニアンじゃないわよ。東京にあるフランス料理。鴨肉の料理で有名なとこ。連れて行ってよー」

「なんで、アヒル食べにいかないといけないんだよー! おまえとー(笑)(昔からの友達なので、女性相手ですがこんな口調で失礼)」
「だから、鴨だってばぁー。アヒルじゃないの!」

「鴨もアヒルも『ダック』で同じだよ!
 アヒルがいっぱいぶら下がって家畜されている環境保護団体があげた動画見たことあるよ。」
「え、鴨ってダックだっけ?アヒルはダック?ドナルド・ダック?舞浜にいる?同じなの?え、そうなんだ。調べてみる」と携帯でぴこぴこ。

「え、違うよ。鴨は、あ、ん、Maybe? ってあるよ、あ、違った。カタカナで入れたからか。Maybeは、だぶん、おそらく、のカモだ(笑)。えっと、あれ、本当だ、ダックだ。え、鴨とアヒルは一緒なの? アヒルって聞くとあまり食べる気しない。。。」
「マガモが飼育されたのをアヒルと言うらしいよ。つまりアヒルも鴨も同じ。でも、北京ダックは美味しいよね。北京ダックのダックは受け入れられるね。ダック蕎麦やアヒル蕎麦って言われるとちょっとね。北京鴨ってのも北京アヒルってのもなんだかね。不思議だよね」。

このネタ好きなんです。鴨とアヒルとダックのネタ。自分の周りでは、鴨とアヒルが全然違う鳥だと思っていて、英語だとダックで同じ(同じ鳥)と気づいていなくて。そんな友達がたくさん。ボクもその一人でした。お馬鹿なだけ。。。そして、だいたい同じ反応。「え、アヒルって言われると食べたくなくなる。どうしてだろう」って。

こんな知識不足や思い込み、勘違いは、よくあることです。

それは、ま、良いのですが、”怖い”のは、正しいことを伝えられて調べて理解・納得しても、それでも「払拭できないイメージ」が残る、ということです。面白い?怖い?不思議?です。

同じと言われても、脳がアヒルと鴨を同じと認識してくれない。脳の限界?長年の刷り込みの怖さに気づく。

こんな事例、自分の中にたくさんありそうです。鴨=おいしい。アヒル=おいしくない。でも鴨=アヒル。整合しない。でも、自分では気づかない。そして、気づいたとしても持っているイメージを変えられない。

やっぱり鴨はおいしくて、アヒルは食べたくない。

アメリカに住んで20年ほどの友達とお話したんです。今はコネチカット州に住んでいます。見た目は純粋ジャパニーズ。英語も上手いけどネイティブほどではない。でも、「日本人ですか?」とか、「アジアのどこからですか?」なんて会話にはならない、というのです。

彼はアメリカで何度か引っ越しているけど、引っ越した先やそこらのお店でもアメリカ人として普通に会話が進む。誰かとの初対面で、出生場所や人種、母国が問われることは無い。全く無い訳では無いが、ほぼ無い、とのこと。

一方、日本で海外の方との初対面だと、どちらからですか? どれくらい日本にいるのですか? 日本語上手いですね、となる。日本で生まれ、日本で育ち、日本語しかしゃべれない場合も、目の前の方は日本人だ、と脳が認識してくれない。どうしても違いを感じてしまう。自分の意志とは別に。鴨とアヒル現象。

海外からの旅行者を見て、一瞬、怖い・違う、と思う自分。常にではないが、ときどきある。脳が最初にどうしてもそう思ってしまう。でも、次の瞬間には、理性で知恵でいやいやそんなことないでしょ、決めつけはダメ、日本に来てもらってありがたいじゃない、自分の海外の友達と同じじゃない、などなど、次の瞬間には切り替える。

ただ、一瞬ではありながら差別している、とも言える。無意識に、脳が瞬間的に。

アメリカの多様性と日本の多様性は雲泥の差と思う。例えば、このアメリカに住む友達が言う「日本で、見た目が明らかに海外の方に、道を尋ねたり、地下鉄の乗り換えを尋ねないよね。アメリカでは日常的なこんなこと、日本では起きないよね。それが起きてきたら多様な国だね」と。

ラグビー日本代表が日本の縮図、と言えるようになるのはまだまだ先。あるいは永遠に未達で、人口がどんどん減り、この国は消えてしまうのか。

話変わって、企業には多様性が必須。専門知識、専門スキル、キャリア、コンピテンシーなどが多様じゃないと組織はまわらない・成長しない。全員がピッチャーでは、野球はできるかもしれないが、試合では勝てない。

でも、日本の職場の多様性なんてまだまだ。今後、さらにアジアを中心とした海外の方に喜んで来てもらえるようになるのか、つまり、より多様になるのか。。。ならないのか。。。

個人としては、日本の組織での低い多様性レベルをまずは円滑に受け入れないとですね。違いにイライラせず、違いに感謝し、建設的にコミュニケーションしていく。

リーダーならば、多様性とは何か、多様性を受け入れる考え・行動とはどういうことかを知恵として仲間・部下に授けないとですね。脳は直感的に「多様性=違い」を排除しようと思います。だから危険なんです。理性・知恵でカバーするしかないのですから。

アメリカの友達いわく、日本で一番進んでいるのは:
色んな海外の方が働いていて、少量多品種が棚に正しく並び、商品寿命が短く商品がころころ変わり、サービスも多々提供され、都度のキャンペーンも多々あり、そして、24時間営業するから海外の方含め色んな客が来る、そんなコンビニ現場の運営が、多様性という意味ではとても進んでいるかもよ、とのこと。

そうかもしれませんね。近くに学びがあるものですね。

職場を良質にするコンセプトv6_23
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


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