生きてるからこそ、死にたい。
約1年近く、毎日「死にたい」と言い続けていた時期があった。
皮肉なことに、その「死にたい」気持ちこそが、私に「生きる」ことを教えてくれた。
生きるのが辛い
死にたい訳ではなかった。
生きるのが辛かった。
こんなに辛いのなら、いっそ死にたい。
正しくはそういう感情だったと思う。
死にたくなった私は、どうやったら死ねるのかを考えた。
でも、死への恐怖心と不安感が勝るくらいの判断力は残っていた。
周りを悲しませることに対する抵抗も、私を留める理由の一つだっただろう。
自分は生きている
次第に私は、自分が生きていることを自覚するようになった。
それ以前の私にとっては、大きな不自由もなく過ぎていく毎日が当たり前だったのだ。
そんな毎日が、決して当たり前ではなかったことを知った。
自分が「生きている」存在であることを知った。
「生きている」からこそ、「死にたい」のだと知った。
隠された幸せ
それから2年以上が経つが、私は今も生きている。
毎日が幸せかと聞かれると、胸を張って笑顔で幸せだとは言い切れるほどの自信は、正直まだない。
でも、日々のなかに、幸せが沢山あることに私はもう気付いている。
あの頃の自分が当たり前だと思っていたことも、幸せなことだと思える。
生きるを知る
死にたい気持ちなんて、味わいたいものではない。
出来るならそんなもの知らない方がいい。
でも、あの気持ちがあって、今の私がいる。
その事実も変わらない。
ただの事実だ。
私は死にたいをもって、生きるを知ることができた。
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