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AIに感情があると主張してGoogleをクビになった一件から見えるAI事情と西欧キリスト教主義

米国ウォールストリートジャーナルより、AIは人格を有したと出張したGoogleのエンジニアがクビになったそうだ。

しかし、主観確率や条件付き確率、メールのスパムフィルターを作ったり学んだ人ならこの主張は、そらそうだ!と納得のハズだ。
ただし、プログラミングの工程を介したAIやロボットならば、そればAIが独自でもつ感情ではなく、人類の誰かしらが判断させたの結果物である。
我々日本人は、この人間による被造物の恐ろしさはよくわからない。
強いていえば手塚治虫先生ならわかるかもしれない。
養老先生や宮崎駿もそうかもしれない。
ただ、これはフランケンシュタインやホムンクルスに見られるキリスト教的な呪いや罪の概念が根底にある。
これは日本の神仏習合の双方の概念や価値観、文明では恐ろしさがわからない。
このキリスト教的な呪いこそが、回避するがあまり事態を悪化させ、AI暴走させる構造やプログラミングにつながる原因となりうるのではないかと私は思う。


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