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カメリア


■本編

 なぜだろうなあ。無性に火が見たくなったのよ。真っ赤な蛇の舌のような火をな。
 村人による詮議の席で、荒縄で体を縛り上げられた霜造は悪びれることなくそう答えたという。
 霜造は自らが当主を務める屋敷にある、蔵の行李に油を撒いて火を点けた。蔵の中には高価な着物やかつて藩主から贈られ、代々受け継がれてきた水墨画などを始めとする芸術作品、それから新田家の家系図や歴史書が数多く所蔵されていた。そのどれもが燃えやすい材質だったことが災いし、火の手は瞬く間に広がり、母屋を焼き尽くすまでそれほど時間はかからなかった。
 屋敷に住み込みで働いていた下男下女含め、助かったのは霜造の末娘のツバキだけだった。それ以外の家人は全員、炎に焼き尽くされ、死体の判別もままならないが、ツバキの証言で確認がとれた当日屋敷にいた人数と、焼死体の数が一致したため、新田家はツバキ以外全滅したと判断された。
 本来なら真っ先に官憲に引き渡し、司法による裁きを受けさせるべきであったが、霜造の長男に嫁いでいたのが同じ新田の分家筋に当たる矢島家の娘で、その父親が強硬に村人の手で始末をつけるべきだと主張したので、詮議の席が設けられた。
 霜造の様子は常人のものではなかったという。屋敷が燃えている間も、屋敷を見下ろせる裏山の頂に登り、着物をたくし上げ、下半身が露わな状態で奇態な踊りを踊っていたというし、詮議の席でもぼんやりと虚空を見つめてはぶつぶつと要領を得ないことを呟き、かと思うと突然般若の相になって村人を罵倒し始めたという。
 決定は突然なされた。火傷を負って臥せっていたはずのツバキがそこに現れたのだ。
 彼女は顔の半分を包帯にくるまれた痛々しい姿で、洋装の赤いドレスがいかにもその場に似つかわしくないものだった。だが、彼女の名には相応しい、と誰もが思った。
 ツバキはよたよたとよろけながら詮議の席に割って入ると、その異様な姿に衆人も彼女を止めることを忘れ、ぼんやり見入ってしまった。
 ツバキはよろけて父親の胸の中に飛び込むと、霜造の目がかっと見開かれ、おう、という短い声を上げて、首ががっくりと垂れた。口の端を鮮血がつつと流れ落ちて、ゆらりと体が揺れたかと思うと横倒しに倒れた。
 ああっ、と群衆の中から声が上がり、女たちは悲鳴を上げて手で目を覆った。
 霜造はにやついた顔のまま絶命していた。その笑みは狂気ゆえか、愛娘の手にかかったゆえか。霜造以外、誰にも分かりはしない。
 ツバキはふらりと立ち上がると、血走った目で群衆を見回し、大音声でこう言ったという。
「我は誇り高き新田の一族。父は一族の恥であった。それを認めない一族の惰弱さが滅びを招いた。刮目して見よ! 誇りを失った家はかく滅びるさだめ。村とて国とて変わらぬ。我は最後の血族として責務を全うした。薄汚れた官憲にこの身を差し出すまでもない。我は誇り高い最期を選ぼうぞ」
 そう叫んで、手に持った父の血に塗れた短刀で首を掻き切ると、父の隣に屍を晒した。
 ツバキの最期に感銘を受けた村人たちは、霜造の火付けを失火として官憲に届け出、霜造とツバキの亡骸は秘密裏に新田家の墓地とは別の山奥に葬ったという。

――ねえ、お母さん。どうしてわたしの名前を花の名前にしたの。鳥の名前にしてくれたらよかったのに。
――ごめんね。おじいちゃんがどうしてもって聞かないから。けど、なんで花じゃなくて鳥がいいの。
――だって、花は地面に根っこを張ってどこへも行けないじゃない。鳥なら、その翼でどこへでも行ける。
――ふふ、子どものイメージね。
 母の笑顔が凍りついて、次の瞬間には何の感情も宿さない死に顔に変わり、椿は夢から覚めて起き上がった。
 そこはいつもの河川敷の土手だった。まだかすかに冬の残り香を孕んだ生ぬるい風がひょうと吹き抜けていく。土手には一足早くハルジオンが顔を覗かせ、風にさやさやとその花を揺らしていた。
 空を見上げるとトンビが旋回するようにはるか上空を飛んでいた。
(あんただって自由ってわけじゃないのにね)
 椿は立ち上がってスカートについた乾いた葉を払って、学生鞄を拾い上げる。また一週間前のように警察に補導されても面倒だし、と土手を上がって、幹線道路を一本渡りこじんまりとした公園に入る。そこの公園は公衆トイレが新設されたばかりで、まだきれいだった。トイレの個室の中に入ると、鞄の中に押し込んできたロングTシャツとデニムに着替えて、トイレから出る。
 解放感に大きく伸びをすると、春の暖かな日差しを浴びて、眩しくて目を瞑る。瞼が赤く透ける。血が通っているからだ。なら、死者の瞼は何色に透けるのだろうと思った。永遠に知ることはできないけれど、と自嘲して、燃えるような赤色が炎を連想させて、椿は顔を顰めた。
 街中に向かうと、補導されやすそうなゲームセンターや年齢確認されてしまうカラオケなどは避けて、人に紛れ込める無難な駅ビルの中をあてもなくウインドーショッピングした。好きなブランドのアパレルショップがあったので入ったが、ティーンズ向けのショップだったためか、店員に「お若いですね。おいくつですか」と探るように見られてしまった。咄嗟に「十九です」とだけ答えて、シュシュを一つ買って店を出た。
 そうして時間を潰していても、やがて飽きてしまう。椿は駅ビルを出ると、足の向くまま気の向くままにぶらぶらと歩き、気づくと人気のない裏通りに入り込んでしまっていた。シャッターが下りてはいるが、飲み屋や夜の店などが立ち並ぶ通りのようで、「やば……」と椿が焦った時には、前方と後方から不自然に男たちが歩いて来ていた。春なのにぼろぼろのコートを着た、真っ当とは思えない出で立ちの男たちだった。表情は暗くて分からない。
 どうしよう、と椿が狼狽していると、ちょうど横にあった喫茶店の扉が開き、その中から清潔そうなシャツの手が伸びてきて椿の手を掴み、中に引っ張り込んだ。
 男たちは何食わぬ顔で喫茶店の前を通り過ぎて行ったが、その中の一人が店の中を一瞥した。その目は人間味のない、冷酷な猛禽類のような目だった。
「危ないところでしたね。しばらく休んでいくといいでしょう」
 そこにいたのは、白いシャツに黒いエプロンを身に着けた若い女性だった。二十代くらいだろうか。少なくとも三十に届いているようには見えなかった。艶のある黒髪をポニーテールにしていて、黒縁のシンプルな眼鏡をかけている。その奥の目は優しげに緩やかな弧を描き、ペールピンクの口紅を塗った唇の描く曲線に、椿は「完璧な微笑」と名付けたくなった。
 どうぞ、と誘われてカウンターのスツールに腰かける。喫茶店の中を見た男の、無機質な目を思い出して体を抱えてぶるっと震える。今になって恐怖がやってくる。あの人を人とも思わない冷たい目。あの目に囚われていたら、自分はどうなっていたのだろう。椿は考えるほど、あの目が頭の中にこびりついて離れなくなった。
「まずは温かいものを口にすると落ち着きますよ」
 女性は椿の目の前にコーヒーを差し出す。香ばしい、ほっとする落ち着いた香りだった。
 椿は気恥ずかしそうに言葉少なに礼を言うと、コーヒーに口をつけた。
 女性は椿の真向かいに立って丸皿を拭いては積み重ねていく。ここは料理も提供するのだろうか、と椿は母とよく行った近所の洋食屋のオムライスを思い出した。
「あまり感心しません。あなたのような娘さんがこの辺りをうろうろするのは」
 女性は皿を拭き終えると、開店前ですので、と自分にもコーヒーを淹れて、香りを味わってからゆっくりと啜る。
「あなたはどうなのよ」、椿は精いっぱい虚勢を張って、口を尖らせて言った。
 女性は困ったように笑んで、「私は大丈夫なんです。家の影響力もありますし、武術の心得もあります」と答えた。
「家の影響力?」
 女性は「さあ、それは」ととぼけると、「私はここ『喫茶カメリア』のオーナーの燕です」と名乗る。それにつられて椿も、「板之橋高校の矢島椿です」と名乗って頭を下げた。
 頭を上げてにこやかな燕の視線にぶつかると、何だか癪で横を向いた。
「高校生がこんな時間に何を、とは訊きません。でも、この界隈は安全ではないですよ。特にあなたのような娘さんにとっては」
 燕は目を細めて笑っているように見えるが、椿には笑っているようには見えなかった。この人は怒らせてはいけないと直感し、素直に向き直って「すみません」と謝った。
「まあ、開店前ですし、ゆっくりしていってください。帰るときは安全なところまで送ります」
 では、お言葉に甘えて。と椿はコーヒーで喉を湿らせながら、店の中を窺った。内装はレトロだが、古臭い感じはしない。きっと部屋の要所要所に飾られている色鮮やかな花だったり、ハーバリウムや天然石のアクセサリーが飾られている、女性的な華やかさが男臭くなりがちな古びた木製のテーブルや椅子に彩を加えているせいだろう。
 ごくりとコーヒーを飲み込んで、壁に設えられた本棚に釘付けになる。一面は最近の流行りの本ばかりを収めた本棚があって、もう一面には専門家が読みそうな、古く貴重な本が数多く所蔵されていた。作家と作曲家の書簡集や、絶版になって入手ができない詩集や全集など、祖父が見たら涎を垂らしそうだ、と椿はカップを置いて立ち上がる。
「興味がおありですか」
「いえ、別に」と椿は早口に否定して、けれどまたすぐに座って燕と向き合うのも癪なので、店の中を歩き回って、掛けられている絵画や流れている音楽、掛けられているアクセサリーについて矢継ぎ早に質問した。
 燕も姉が不始末をした妹に対して見せるような慈愛の笑みを浮かべ、「それはティツィアーノです」とか、「今の曲はモーツァルトのディベルティメントですね」、「それはターコイズのイヤリングです」と一つずつ答えてやった。
「学校、行きたくありませんか」
「訊かないんじゃなかったの」と椿は美しい絵画、音楽、宝石に触れて緩んでいた心が一気に現実に引き戻され、敵意に近いきつい眼差しを返す。
「答えなくていいですよ。ただ、一つだけ言っておきたくて」
「なによ」、椿はもう燕の方は見ずに、シトリンのネックレスを手に取って、その薄い黄色の輝きの石に見入っていた。
「大人の気を引きたいなら、おやめなさい。あなたを惨めにするだけです。そうではなく、学校があなたの居場所じゃないと感じているのなら、ウチで働きませんか」
 椿は深いため息を吐いてネックレスを元の場所にゆっくり戻すと、「説教とか、うざ」と言って髪の毛をかき上げ、「あんた何様?」と燕のことを睨みつける。そこには敵意の色はもうなかった。
「いえ、そんな偉そうなものではなく。ただ、経験者として言っておこうかなと思っただけですよ」
 ふうん、と椿は燕の困った笑顔をじろじろと眺め、「あんたもなの?」と訊いてスツールに座った。
「ええ。半年間くらい行ったり行かなかったり。でも、最後は馬鹿馬鹿しくなってやめました」
 そう、と呟いて椿はコーヒーに口をつける。
 温い。熱いと思ったものでも、すぐに冷める。
 椿の脳裏には中学校最後の、県の陸上大会の光景が思い浮かぶ。四百メートル、最後の直線。最終カーブを曲がり切って、椿は単独でトップに立っていた。自分の前にある風を妨げる者のいない、新しい風を切って行くような感触は、何度味わってもいいものだった。後ろとは距離がある。このままスパートをかければ逃げ切れる。そう思って休みなく走り続ける足を叱咤し、一歩を踏み出したとき、自分の中で何かが断裂する音が嫌になるほど響いて、景色が傾いた。ゴールテープが斜め、それから縦になり、トラックが目の前にあった。他人の足音が自分の鼓動のように響いていた。トラックの独特な臭いまで、記憶に呼び覚ますことができる。何が起こっているかしばらく理解できなかった。自分が倒れていることを悟り、そして痛みはその後に来た。
 リハビリは過酷です。医師はそう告げたが椿はやり遂げた。高校に入学し、陸上部に入り、椿のスタミナと速力は一年生の中でも抜きんでていて、ブランクを感じさせなかった。
 だけど、母が死んだ。誰よりも応援し、リハビリにも懸命に付き合ってくれていた母は家族にガンであることを隠し、治療が遅れて帰らぬ人となった。椿は自分のせいだと思い込んだ。自分の復帰のために、母は犠牲になった。そう思うと、陸上にかけていた情熱はあっという間に冷えきり、椿は部活に顔を出さなくなり、そして学校に行かなくなった。
「奇遇だね。わたしも馬鹿馬鹿しいなと思い始めてたところ」
 でも、とカップを置いて立ち上がり、燕の顔を真正面から見据える。
「あんたのところで働くか、それは考えておく」
 ええ、と燕は柔和な笑みを浮かべ、エプロンのポケットから無機質な金属の名刺入れを取り出すと、椿に一枚の名刺を差し出した。
「その気になったら電話してください。迎えに行きますから」
 ふん、と椿は鼻を鳴らすと、名刺をひったくるように受け取り、店を後にしかけて、思い出したように立ち止まり、「コーヒー、ご馳走様」と呟いた。
「いいんですよ。じゃ、車を店の前に回しますから、少し待っていてくださいね」
 燕が車のキーを手に店を出て行くと、椿は受け取った名刺を見つめた。
「新田燕さん、か」
 壁に寄り掛かり、ティツィアーノの描いた美しい女を横目に見ながら、そう呟いた。

〈続く……かも?〉

■あとがき

今回あとがきを設けましたのは、一話完結型の短編を書いているつもりが、何だか色んな設定が回収しきれず、とっちらかって思わせぶりなまま、無理矢理風呂敷を閉じようとしてしまったがためで。

このまま終わらせてもいいのですが、読者には釈然としないものが残るのかなあと思った次第です。特にここ最近は蟹だったり箱庭だったり、魔物だったり、何か明確なことが起こって話が展開するものを書いていたので、今回の話は何か起こるわけでもないし、書いていてももやもやというか。

冒頭だけぱっと決まって、現代にシフトしようと思ったんですけど、現代でどういう話にするかはノープランでした。とりあえず主人公は女性。女子高生くらいがいいだろうかということで、名前は椿。
誰かに助けられるという展開を考えたところでその救い主をどうしようかなあと思案して、最初はナイスミドルな感じだったんですが、しっくりとこず。青年店主、というのも違うなと。やっぱりここは女性だよなあ、と落ち着いたわけです。ここぐらいまで決まってようやく冒頭と色々リンクさせたりとか、考えがまとまってきました。

というわけで、続きを書いて公開するかは需要次第で決めたいなと思います。続きを読みたい方はコメント欄に続編希望の旨ください。

一定数コメントいただけたら続編作ってみたいと思います。

期限は特に設けないので、気長にコメントお待ちしております。

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