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コラム街

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ここはコラムしかない場所、「コラム街」。 コラムコラムコラム……どこを見てもコラムしかありません。なぜでしょう?  企画力をみがく講座「企画でメシを食っていく」で、 受講生… もっと読む
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#コラム街

はじめての〇〇! 寄席編

このコラムは、僕の初体験を文字と絵で説明し、皆さまの初体験ハードルを下げようという企画。今回は初めて寄席に行った話。 落語はすこし興味があるレベルで、知っている落語は片手で数えられる程度。帰省のときに飛行機の機内放送で聞くぐらいだが、気になっていたので行ってみることに。 落語が演じられる演芸場「寄席」は都内に4箇所あるらしい。年中無休で、「昼の部」と「夜の部」があり、約10日ごとに出演者が変わる。今回は「新宿末廣亭」の昼の部へ。 入場料のことは木戸銭と呼ぶ。キドセン…、

曖昧な世界

ミラーワールドという世界が出来つつあることを最近知った。 ミラーワールドとは現実がデジタル化された鏡像世界のことらしい。 世界はどんどんデジタルと混じり合い、電脳コイルのような世界になるのだろうか? それはそれでワクワクする。 私は個人的にリアルの体験に価値観の比重を置いている。 しかし、今後ミラーワールドが現実になり、 現実(リアル)と仮想(ヴァーチャル)が混じりあっていることが自然な風景となった時、私たちにとってのリアルは今よりも多様で曖昧なものになるのかもしれない

独身のわたしにできること。

ベビーラッシュ到来中。サークル仲間たちのお子が3人も同級生である。 どの子もぷっくぷくの薄毛のブサイクでめちゃくちゃ可愛い。(褒めてる) 私は24歳までには当然結婚しているものと思い込んで生きてきた為、25歳を迎えた瞬間、今まで感じたことのない「もう終わった、すべてどうでもいい…」という虚無感を味わった過去がある。 でも、「まあいいや、逆にどうでもいい」になるまでは早くて、そこからあっという間に30歳目前を迎えた。24歳の時にメンタルをやられまくった"年齢の壁"の追撃が痛

年表を眺めながら#6『無知を自覚する』

わからないことをわからないまま放置する能力。子どもから大人になる過程で、みんなこの能力を大なり小なり身に付けていき、自分がわからないことがあっても、「別に大丈夫」になっていく。 2007 2007年、ぼくはまだイラストレーターには1ミリもなっておらず、英日翻訳の仕事をはじめた。その仕事は国際ニュースに関するもので、海外で撮影されたニュース映像をたくさん見た。当時、イラクではイラク戦争の影響で国内が乱れまくっていて、テロが頻発していたので、毎日のようにテロ現場の映像を見た。そ

枷と幸とフレームと

大人になってからというもの、100パーセントの力を出す機会がめっきり減りました。 部活の頃のように、それさえやっていれば何もいらない、そんな訳にはいきません。 特に家族が増えたり、年齢が上がるにつれて課されるタスクはどんどん増えていきます。 やるべきタスクから逆算して余力を配分する。その術を身につけることこそが、大人になる、ということなのかもしれません。 とここまで考えてみて、自分は大人になってから一度も本気を出したことがないかというと、そんなことはありません。 電車

編集者って、必要ですか?(小説編集者の「先生には言えない話」⑥)

ここ10年くらい悩んでいる。 編集者って、出版社って本当に必要なのだろうか? 出版社に限らず、テレビ・音楽・映画など、 作品を世に出す業界(以下メディアと呼びます)は、ずーっと勘違いしてきたのだと思う。 自分たちは、才能があるクリエイターを「発掘」し「育て」、「プロデュース」する力があると。 だから作品から得られる収益をもらうことができると。 そんな風に、ちょっと偉そうにしていたところがあるのではないかと思う。 でもそれは大いなる勘違いだ。 もちろん、優れた編集者や

はじめての〇〇! フォトスタイリング編

このコラムは、僕の初体験を文字と絵で説明し、皆さまの初体験ハードルを下げようという企画。今回は初めてフォトスタイリング教室に行った話。 僕はデザイン会社のディレクターで、一眼レフは普通に使える程度。仕事でも撮影(指示)は多いので、一度しっかり学んでみようと申し込んだ。 フォトスタイリングは総合デザイン スタイリングされた写真は自然に見えるが、それは「自然を装った、作り込んだデザイン」だった。実物よりも綺麗に、カメラに収める。写真に写るすべてが重要。色、テイスト、構図、質感

最小で最大

最小の空間と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?マッチ箱の中、細胞の中、、解釈の仕方で捉え方は様々かもしれません。 しかし実際に私たちが現実で体験できる最小空間というと、 家、浴室、押入れの中など、実際に体感として体験できる空間の最小単位は限られてきます。 ましてや大人になり身体が大きくなってしまうと物理的にもその数は減ってくると思います。 空間デザインはそういった限定的な空間の中でも快適にまたは刺激的な体験を得る為の手段として世の中で活躍していると思います。 しかし

年表を眺めながら#5「その見え方でOKか?」

2019人は見たいものしか見ない、という「認知バイアス」。 網膜はすべてを捉えているはずなのに、意識したもの以外は脳が認識しない。通勤途中にある建物がある日突然なくなったとき、そこに何が建っていたのか思い出せないあの感じ。 『勉強の哲学』を読んでいたら、「言語的なVR」という言葉に出会った。ヘッドセットを装着しなくても、人は言語で世界を認識している。その人がどんな言葉遣いに馴染んでいるかによって、その人に見える世界は変わってくる。 私たち人間は、(物質的)現実そのもの

自分の信号 他人の信号

鉄道にも『信号』がある、ってみなさん知ってました? 私は鉄道会社に入るまで知りませんでした! だって信号って交差点にあるものでしょ!? 線路に交差点なんてないじゃない!(あります) 車にしろ電車にしろ、みんな信号に従って運転します。 信号とはつまるところ、「安全を保障する担保」なわけですから、それを信じて行動するわけです。 もちろん信号に従っているだけでは不十分なわけで。 高速の合流だったり、車線の変更だったり。 電車だったらホーム上のお客さまの流動が危険でないか瞬時に見

校閲ボーイ?(小説編集者の「先生には言えない話」⑤)

校正・校閲という言葉をご存じだろうか。 石原さとみさんが主演したドラマ『校閲ガール』でその存在を知った方も多いかもしれない。 校正・校閲は先生が書いた原稿の内容や表記の間違いをチェックすることである。 細かく言うと校正は表記の間違いや誤字をチェックする、校閲は内容の間違いをチェックする、という違いがあるものの、私の編集部ではどちらも「校正」と呼んでいる。 さて、実は編集者もこの校正を行う。 専門の校正者がチェックした原稿をさらに編集者もチェックするのである。 それ

何時でも何人でも誰とでも。困ったらとりあえず「民俗村」第五回

「日本で今流行っている芸能人は誰ですか?」 私が明確に覚えている中では初めての、お店の方とのコミュニケーション。 お会計時私がまごついているときに、イライラするどころか会話をしようと声をかけてくれた。お会計のとき大体まごついて焦ってしまうので、妙に安堵感を得たのを覚えている。 (ちなみに「渡辺直美」と答えて会話は盛り上がった) 20年以上東中野でお店を開いているお母さん(店主)の料理は、私の中で一番うまい韓国料理屋であるだけでなく、そのサービス精神が嬉しくて、お腹空

真の美食家は「辺境メシ」もおいしく食べる

この前テレビを見ていたら、プロデューサーのナスDが苔を食べていた。 木や地面に生えている苔をちぎってそのままムシャムシャ。 「甘い!水がいいから甘いなぁ」 自生している苔を平然とそのまま食べる姿にはなんとも言えない迫力があって、まぶしかった。究極の美食家だと思った。 その映像を見ながら、私はノンフィクション作家の高野秀行さんのことを思い出していた。 高野さんは辺境を訪ね、現地の人が食べているヘンな料理を味わう。 タイではタガメの炙りを食べて「和食に合う」と評し(ライムのよう

お店を最後まで味わい尽くす方法

「さて、そろそろ僕たちも帰ろうか」 他のお客さんが出口に向かおうとする、それとまったく同じタイミングで立ち上がるお客さん。そのお客さんのお会計が終わると、他のテーブルでも「お会計お願いします!」と帰るお客さんの無限ループがはじまり、それが終わると、満席だったお店の中が、急に静かになる。そんな状況がよくあります。 飲食店では、ピークタイムというお客さんが特によく利用する時間があります。お昼は、12時〜14時。夜だと、19時〜21時を一般的に言います。だから、ほぼ同じタイミン