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いい塩梅の情報開示を

本日は久しぶりに友人と長いこと話した.付き合いの長い友人である.話したい内容をお互いポンポンと投げ,気が変わったら違う方向にハンドルを切ってもお構いなしである.急に込み入った話を挟んでも,すぐに対応してくれる.そのぐらいの軽さで話せるのが非常に心地よいのである.

でもこれまでも話していたことなのに,なんとなく食い違っている気がしたた.確認すると私が意図する内容に捉えられてははなった.これまでもなんでだろうと不思議に思っていたけれど,大人な友人はとりあえず流してくれていたらしい.

原因としては,私の話し方の癖だった.そのテーマの核心をズバッと言えば良いものの,昔からなんとなく濁してしまう節がある.それが軽い話,重い話関係なくである.自身から話しているにも関わらず,心の内が他人にバレてしまうのがなんとなく怖かったり,気恥ずかしいと思ってしまうのだ.今までなんの疑問も持たなかったけれど,貴重な休みとかスキマ時間で話しているのに,そのような話し方しか出来ないのはただの時間泥棒でしかなかったのだと.

もちろん言えないものもあるから,それはさておき.相手の時間を取って話す以上は,必要な情報を伝えるのが筋ってものであろう.そして話す相手により,開示内容の選別しなければならない.きっと私はここの選別をミスり易いため,端っから閉じとく傾向が強くなったのだと思う.

誤解されることも,なかったとは言わない.しかし,相手側の問題だろうと,他人に責任を押し付けてきたところはある.特に直接言われるようなことはなかったから.

こう今までの傾向を振り返ってみると,よくもこんな状態で学生生活を済ませ,社会人として生活してきたなと思うのである.これに限らずなのだけれど.こんな事実気付きたくなかった.否,そのまま歳とるよりかは数億倍マシなのだけれど…

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