スクレ

理系出身のしがない28歳.アウトプットが苦手すぎて,noteで練習中.

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最近の記事

3年ぶりのショーヘア ―ヘアドネーションへを経て―

この春で伸ばし始めて3年.入社したすぐは襟にも届かないスッキリとした首元だったのに,いつの間にか胸を超えて臍に届こうかという長さになっていた.ここまで長いのは人生初ではないだろうか. 単に髪長いのを体験したかっただけなら,きっとこんなに伸ばすことはなかっただろう.それもこれもヘアドネーションをしたいという気持ちがあったからである. 極力長さを残したいな...そう思いながら切りたい誘惑にも耐えてきた.こんなに伸ばすこともないだろうからと、太めのコテも買ってみた.巷では"ヨシ

    • ”ちょっとした勇気の積み重ね”

      私が普段使っているPCには,一枚小さな付箋が貼られている. そこにはたった一言.”ちょっとした勇気の積み重ね”とだけ. この言葉はどこからか引用したものなのか,はたまた自身で思いついて書き残したものなのかは分からない.気づいたときにはそう書かれた付箋が存在し,なんとなく捨てられないままPCに貼られたままになっていたのだ. ”ちょっとした勇気” 私からは,随分とかけ離れた言葉である.何故ならひたすらに”現状維持”を望み続けたからだ.ファミレスに入れば食べ慣れたドリアを選ぶし

      • いい塩梅の情報開示を

        本日は久しぶりに友人と長いこと話した.付き合いの長い友人である.話したい内容をお互いポンポンと投げ,気が変わったら違う方向にハンドルを切ってもお構いなしである.急に込み入った話を挟んでも,すぐに対応してくれる.そのぐらいの軽さで話せるのが非常に心地よいのである. でもこれまでも話していたことなのに,なんとなく食い違っている気がしたた.確認すると私が意図する内容に捉えられてははなった.これまでもなんでだろうと不思議に思っていたけれど,大人な友人はとりあえず流してくれていたらし

        • 地元はそんなに好きではないけれど,たまにふと戻りたくなる

          実家からぶどうが届いた.小ぶりな五房のぶどうである. 私の地元は全国区とまではいかないけれど,果物の町だと思う.春にはいちご,夏には梨とぶどう,秋には栗を楽しむことができる. そんな環境で育った私は,小さい頃からフルーツを当たり前のように食べて育った.旬の時期は朝晩出るのが普通だったし,1回でぶどうを一房分や梨を二個半食べたところで何も咎められることはなかった. でも一人暮らしをするようになってから,果物は贅沢品ということを身に沁みて感じるようになったのだ.如何せん,値

        3年ぶりのショーヘア ―ヘアドネーションへを経て―

          成長したと思えば成長したのだ

          先日健康診断を受けた.いつもは春頃なのだけれど,個々最近の流行病のために延期に延期が重なっていたのだ. 小学生の頃はぐんぐん伸びる身長の記録を見るのが好きだった.小学校高学年の頃には1年に10cmずつ伸びるものだから,学年ごとに身長が覚えやすくて非常に楽だった.元々大きかったところにその成長期なため,私は将来170cmは行くのではないかという期待に胸を膨らませていた. しかし,その成長期もそこまで.中学生にも上がると成長曲線は非常に緩やかになり,160半ばでストップした.

          成長したと思えば成長したのだ

          なんだかんだ人と話すことは好きらしい

          基本的にそんな話す方ではない私だけれど,たまにものすごく話したくなるときがある.4月の自粛期間中にすごく強く感じたけれど,自分にとって話すことは生命線らしい.話すことがだんだん少なくなって,発狂しそうになるのだ. 今までは職場に加え,洋服屋さんや薬局などで店員さんを捕まえて話すことが多かった.しかし最近の残業続き,そしてこの状況下.話す機会なんて作れたものではない.そうやって私の生気は抜かれていくのだ. メンタルが骨と皮に化した今日の帰り,ひとつ上の先輩とバッティングした

          なんだかんだ人と話すことは好きらしい

          私が欲しいと指差したのは,50色もある色鉛筆だった.

          それは小学校3年生のときだった.当時実家では生協で野菜やお肉などを購入することがあった.来た品物と一緒に,次回注文用のチラシがあり,何を買うか決定権がないのに真剣に眺めていた記憶がある. チラシの後半のほうには本や小物なども載っており,たまに選んでいいよなんて言われることもあった.何がいいかなと目を通していると,色鮮やかなものが目に止まった.色鉛筆である.当時色のある筆記具と言えばクーピーだった.そのため色鉛筆は少しお姉さんへのステップのように感じていた.またそれは50色展

          私が欲しいと指差したのは,50色もある色鉛筆だった.

          フィルムはタイムカプセル

          シャッターを切り,再びレバーを引こうとするも,重くなって微動だにしなかった.カメラの中で放って置かれてたフィルムをやっと使い切ることが出来たらしい.終わったという達成感と,まだ撮りたかったのにという不完全燃焼とを同時に味わうあまりない経験をした. 私は今まで,趣味をカメラにしていた.していたというのも,個々最近めっきりカメラを持ち歩く回数が減ったからだ.それは重量的な問題もあったし,私の精神的かつ肉体的体力の低下というのもあった.そのためデジタル一眼とフィルム一眼と持ってい

          フィルムはタイムカプセル

          ”絶対”を和らげてみたらなんか楽しめた

          今までの休みは,出かけるなら午前中から出かけないともったいない気がしていた.交通費もかかることだし,何かしらしないともったいないと. しかし思ったように物事は進まず,夜ふかしが影響して朝起きるの遅くなったり,溜まった家事をしたり,何かするのを決められずダラダラしたりしてしまう.そんな間に14時過ぎになってしまう.なんかやりたいなと思うことを十分にするにも出来ないしと,この時点で失敗した休日になってしまうのだ. そんな休日を社会人になってから何回も見送ってきた.けれどなんか

          ”絶対”を和らげてみたらなんか楽しめた

          焦げたチーズに潜む幸せ

          今日,少し出かけていたら思ったより時間が遅くなった.お腹も空いてきたためご飯でもと店を探すけれど,行き慣れていない場所.どこに何があるかが分からない.店を見つけても,今は気分じゃなかったりもする.面倒だから帰るかと,駅へ向かうと緑の看板を見つけた,サイゼリヤである. サイゼリヤ.それは庶民の味方である.代表的なミラノ風ドリアを筆頭に,700円もしないで十分なメイン料理を食べることが出来る.またサイドメニューも種類が豊富で,お腹の具合がまちまちのメンツで集まっても楽しめるのが

          焦げたチーズに潜む幸せ

          何をやるにも気力と体力

          やっと一週間が終わった. そう思って私は部屋に流れ込む. 最近は通常の8時間に3時間の残業がセットになった日々が続いている.学生のころは一日の半分も働いているなんて考えたこともなかった.もう疲労で動けないのか,はたまた夜という時間を終わらせてしまうのがもったいないのか.こんな時間まで何をするでもなくダラダラと過ごしている.明日の予定決めて寝ればいいのに.世話が焼けると自分でも思うのだ. 人という大きな主語を用いていいかわからないけれど,少なくとも私は一度腰をおろしたら立ち

          何をやるにも気力と体力

          またあの席で揺られたい

          私は中高で駅からバスで10分ほど離れた学校に通っていた.最初のうちは遅刻してはいけないの一心で,駅に着くのは始業の40分以上前.一番乗りでバス停にポツンといることが多かった. 一番乗りということは,来たバスに一番先に乗れる,つまり席が選び放題なのである. ど・こ・に・し・よ・う・か・な お決まりの遊び歌が口から出てくるけれど,私は決まって運転手さんの真後ろの席,または運転手さんを右斜め前に眺められる席を選んでいた.車酔いしないようにという思いもあった.他の席より一段高く

          またあの席で揺られたい

          私の外見と中身は平行線

          「入社されてからずっとこの部署なんですか?」 うちの部署に移動してきた方に,そんな不思議な聞き方をされた.会社の制度的にそんなちょこちょこ動くことはないとご存知だろうに.そうですね,まだ3年目ですので.そう返すと相手は大きく目を見開いた.あ,若手に見られていなかったらしい. 昔からそうなのだ.必ずと言っていいくらいに上に見られる.小さい頃はどの瞬間を切り取っても,後ろから数えたほうが早かった.小学校6年にもなると160cmに届いたので,今思えばランドセルとちぐはぐだったん

          私の外見と中身は平行線

          紙飛行機に私を乗せて

          今日青々とした空が広がっていた. 紙飛行機を飛ばしたいと思った. そのように思うことが多々あったし,実際に飛ばしたこともある. きっと紙飛行機は動けないでいる私の代わりなのだ. 外に出たい,意見や気持ちを外に出したい.でも出せない. そんなもどかしい瞬間はいくらでもあった. そんなとき,私の代わりを託して紙飛行機を飛ばすのだ. いつか出来ますようにの願いも込めて. 今はどっちだろう.やはり外への出たいという気持ちが強いかもしれない. 今年は本来なら旅行三昧の予定であ

          紙飛行機に私を乗せて

          檸檬爆弾も今なら理解できる.

          ふと思うのだ. 今ガラス窓に水筒投げつけたらどうなるかな. 就業中に叫んだらどうなるかな. ここだけ読んだら非常におかしな人に思われるかもしれないけれど,私は至って正常である.何が言いたいかと言うと,たまに常識の範囲を超えた行動を取りたくなるという話だ. 昔からその考えはあったかもしれない.よく分からない鬱憤がたまるとき.そんなときは発散方法としてカラオケでも,買い物でも良かったし,急な旅行にだって行けた. でも今はそう簡単には叶わない. だから日常空間の中で何かしでか

          檸檬爆弾も今なら理解できる.

          チームスポーツでの青春に憧れる

          最近,私の数少ない友人が2人ほど”ハイキュー!!”にハマりだした.高校生ががむしゃらにバレーボールをするのが非常に感動するのだと.きっとあなたも好きになると思うから読んでくれと.ただ連載当初からはまったならまだしも,もう20巻以上出ている漫画を今から買って追う気力もなく,落ち着いたら読むねなんて軽くいなしていた. それが約2,3ヶ月前のこと.今日ネットサーフィンをしていると,ハイキュー!!が10巻まで無料の文字が.読むかのような口ぶりで,友人を勧めを避け続けたことに多少の罪

          チームスポーツでの青春に憧れる