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「様々な探り合い」を端折らないで

小学生の頃、学校の「囲碁・将棋クラブ」に在籍していたことがあります。

ある日、トーナメントがおこなわれました。たまに父親と指していたこともあり、すんなり決勝へ進みました。相手は2学年下。まあ大丈夫だろうと油断していました。

ところが恐ろしく強い。序盤の攻防でレベルの違いを痛感しました。見たことのない手で来られ、まったく対応できなかったのです。

後で「将棋好きのおじいちゃんとほぼ毎日指している」と聞かされました。

友だちには「惜しかったね」「勝てたよ」と言われました。でも実力差は本人がいちばんよくわかっています。そして見る人が見れば、早い段階でどちらが上かを看破できたはず。

プロレスにも似たような要素があります。開始から数分間のグラウンドレスリングを見れば、どちらの方が強いのかなんとなくわかるのです(もちろん強い方が常に勝つとは限りませんが)。

ただでさえ昨今は「スピード重視」のご時世。メジャーリーグの「ピッチクロック」が話題になりましたが、たぶん日本も追随するでしょう。しかし本当にそれでいいのか? 様々な探り合いが端折られることで戦いが大味になり、各々の競技が培ってきた深みや醍醐味が失われやしないか? 

ましてや新日本プロレスには、すでに「15分1本勝負」でスピーディーな攻防を楽しめる「TV王座」が存在します。ならば「G1クライマックス」は普段あまり見られぬ腰を据えた競い合いや意外な引き出しを堪能できる場であってほしい。客のリアクションと尺に追われるチャカチャカしたプロレスではなく。

おそらく時間切れ引き分けが増えます。それも余力を残した形で。ファンが「G1」に求めているのはそういうものではない気がします。もしレスラーの身体的負担への配慮が目的なら、内藤選手が言うように出場枠を絞り込む方が先でしょう。

完全燃焼の熱いファイトを見たいです。

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