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うまくいかないときに、その責任は誰にあるのか?「僕という心理実験」

今朝は東伏見公園で動画の撮影をしえていました。ギリギリまで撮影していたので開店時間ピッタリに店に到着。するとお店の前にご婦人が立っている。もしかしたらお客さんかな…と思って「すみません」と謝りながら近づくと、そのまま店主の存在を認識しなかったかのように去っていきました。ああ、またやってしまった。うまくいかないなぁ。

話題は変わり、当店ではネットでも本を販売しております。そこで問い合わせがあのに売れない本というのがあります。今日はその本についてなんとなく調べたところ、突然興味が高まりました。そこでさっそく読んでみることに。それは「僕という心理実験~うまくいかないのは、あなたのせいじゃない」というぶ厚い本でした。

ページをめくると、なかなか面白い。哲学の本だと思いますが難しくない。しかし、普通に読み進めると読了に1週間はかかりそう。しかも全部理解して通読しようとすれば更に時間を要することは間違いない。では、どうするか?結局、理解できそうな文章を中心に読み進めることにしました。

この本は、前著「『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。』」という本の続編だそうです。ただ、最初の方を丁寧に読めば、前著を読まなくても著者の言いたいことはおおよそわかりました。

「個人的な考えを自由に書いた」とも冒頭で書かれている通り、本当に溢れるように著者の言葉が続きます。この著者の独り善がりとも思われる文章をどう受け止めるかでこの本の好き嫌いが分かれるでしょうね。ちなみに店主は好意的に受け止めました。

この本を貫く思考は「私たちが自分の意思で決定していると感じている自由意志は、実は決められていた未来をなぞり、行動した後から、思考によって生み出さたものにすぎない」という考えです。要するに私たちの自由意志とは後付けの理屈だというわけです。そして、そういった思考から逃れようとしたのが仏陀だと。ああ、なるほど。確かにそう考えることが出来なくはない。そう考えると誰もが人生を楽に生きることができそうです。教員である私の父は認めないでしょうけど。

そしてこの本の中で、私たちが自分で意思を持って考えて行動を決めているという錯覚は、「行き過ぎた進化」から生まれたものだとの記述に目がとまりました。例えるなら孔雀のオスは求愛行動でその見事な羽をメスに見せつけますが、どう考えてもその羽は行き過ぎた進化でしかない。捕食者から狙われたときに羽が邪魔で逃げられない可能性があるからです。そして、実は我々の脳もそれと同じではないかというのが著者の指摘です。脳が巨大化して頭がよくなり進化しているようで、ただ単に悩むことが増えてしまっただけだという考え。なるほど。それも確かに一理ある。

しかし、今自分が誰もいない古本屋のパソコンの前に座りキーを叩いていること、そしてそのキーを叩き損ねたことも、全て事前に決まっていたことと考えると、いささか奇妙な気がします。

そういったミクロで考えず、マクロで考えるようにと本に書いてあった様な気もしましたが、そのへんの記憶も徐々に抜け落ちてきています。これもあらかじめ決まっていた事なのかもしれません。そして現在、このブログの締めの言葉を考えているのですが、なかなか思いつきません。それすらも遺伝子レベルで決まっている・・・いや、それは流石にないよね。ブログを面白く書けるかどうかは本人の問題です。運命に抗って、明日からも書き続けたいと思います。


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