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VTuberという存在を哲学する:「VTuberの哲学」を読んで

皆さんこんにちは。本日は月1を目標にやってます書籍紹介第2弾です。
第1弾は現在のエンタメ業界を体系的にまとめている「クリエイターワンダーランド」を紹介させていただきました。

今回はこちらの「VTuberの哲学」を読む機会があったので少しこちらについて綴っていきたいと思います。

本書は24年3月21日に初版が出ているので比較的新しい書籍です

正直ちゃんと哲学的なアプローチでVTuberという存在の解釈を試みているので、一般的な書籍に比べるととっつきにくい部分はあると思います。一方で、その中でも文章全体の論理構造も丁寧なのでエンタメと哲学に興味のある方は是非読んでみるといいなと思いました。

いつも通りあまり書きすぎてもネタバレになるので、個人的な感想含めて本書の特徴を簡単に紹介したいと思います。


VTuberという特異な存在に対する独自の哲学的解釈

VTuberという領域は近年ANYCOLORとカバーに代表される大型上場でようやく世間的認知があがってきた領域ですが、多くの人に馴染みがない分いまだにVTuberとは何か?という問いを聞くことがあります。業界を代表するカバー社の代表がこちらの動画でも説明してますように「アニメルックなアバターを使いながら活動しているエンターテイナー」、いわゆるアニメキャラクターとYouTuberのような配信者の両面を兼ね備える存在として説明されるのが一般的かと思います。

本書はこの議論をもう一段階深く掘り下げてVTuberという存在に対して学術的なアプローチから説明してます。(プロからみたらニュアンス等微妙にずれているかもしれませんが)自分の解釈という意味合いも含めて自分の言葉で少し紹介しますと、上記で説明したVTuberはリアルな演者とアニメキャラに通ずるIPとしての一面を持ち合わせていますが、本書では同説明は間違ってはいないものの、VTuberの配信の在り方や鑑賞の在り方を深堀っていくと、いずれの存在あるいは両面を持ちうる存在としては完全に帰結できない(哲学用語的には還元しえない)ということで、そもそも独自に定義する必要がある立場をとっています。(専門用語でいうとVTuberという存在を非還元主義的な立場から、本来もつ物理的構造だけでは遂行しえない機能である地位機能というものを宣言することで規定する制度的存在者としている)。ちなみに少し長いですが、本書ではVTuberを以下のように定義しております。

身体的・倫理的・物語的なアイデンティティの結びつきによって生じるVTuberのアイデンティティを保持しながら活動状態にあるという条件を満たす任意の配信者が、VTuber文化において「VTuber」という地位を有し、VTuberとしての機能を遂行する」という事態を、そう宣言することで成立させる

「VTuberの哲学」より

以降VTuberをVTuberたらしめる、身体的アイデンティティ・倫理的アイデンティティ・物語アイデンティティについて、それらの十分条件が揺らぎそうになる具体例を提示した上で、どのように解釈すればいいか説明しています(例えば身体的アイデンティティであれば「3Dモデルが機能しなくなった場合それはアイデンティティの喪失につながるのか?」「2人の演者の俗に言う“中の人”が入れ替わった時どのように解釈すればいいか?」など。)

VTuber愛の伝わる圧倒的事例の多さ

個人的に本書の1つの大きな魅力は圧倒的な事例の多さです。すべては到底書ききれませんが、イメージが湧く程度に以下テーマとその好事例となる該当コンテンツを貼っておきます。まずは1回ざっと読んでそのあと紹介されているコンテンツを見ながら該当箇所を読むとよりしっくりくるかもしれません。

(例1)演者が入れ替わった時のVTuberのアイデンティティ解釈に関する議論

宝鐘マリンと戌神ころねのいわゆる"中の人"が入れ替わった事例:VTuberの存在を規定する一部として"中の人"が当然含まれていますが、それが入れ替わった時にVTuberの身体的アイデンティティ・倫理的アイデンティティをどのように解釈すればいいのかを説明するために紹介された事例

(例2)VTuberのフィクション性と非フィクション性の議論

鈴谷アキさんのプロフィール変更事例:VTuberのフィクション性と非フィクション性の議論の中での1つの論点として挙がるVTuberのプロフィール問題の事例として元々運営側が設定したプロフィールから日々の活動やファンとの触れ合いの中で垣間見えた演者の性格に合わせてプロフィールが後から変更された事例

最後に(本書を読んだ業界への示唆)

本書はVTuberという存在を哲学的に解釈していくものですが、個人的には昔からあるテクノロジーの発達による我々のアイデンティティがどのように変容していくのか?何が現実で何が虚構か?という普遍のテーマをVTuberという部分にスコープを当てた(初めての?)書籍ということで面白く読ませていただきました。
個人として特に興味深くさらに続編を勝手に期待したい部分は鑑賞者心理の部分でした。本書でも鑑賞者がVTuberという存在をどのように捉えてどのように鑑賞するのか?という部分については説明はありましたが、(多種多様なVTuberの方がいらっしゃる上にその鑑賞心理も千差万別なので非常に難しい課題と認識しつつ)そもそもなぜ人はVTuberに沼るのか?という過程の部分は触れていなかったので、ここに焦点を当てたものが出てきますと実務レベルでも、“なぜVTuberは流行っているのか?””VTuberはマス化するのか?”という1番本質的な質問に迫ることが出来る気がしました。

最後まで読んでいただいた方はありがとうございました。本日は少し小難しい内容になりましたが、こんな感じで好きなエンタメとファイナンスについて1人1人悶々と日々考えながらたまに綴ってます。興味ある方は是非Twitter/noteフォローしていただければと思います。

それではまた明日から頑張っていきましょう~


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