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人間にとって健康とは何か【おそらく聞いたことがない話】

斎藤環、という人をご存じだろうか?
たまにテレビにも出演しているから、そこそこ知名度はある、と言えるかもしれない。
精神科医で批評家、1998年に『社会的ひきこもり――終わらない思春期』という本を執筆しており、「ひきこもり」というワードを広く一般に認知させた人物なのだ。
臨床医として、ひきこもる人々のケアと支援を行いつつ、そこで得た経験で批評家としてひきこもり問題を分析するという、社会的に言ってとても有意義なお仕事をされている素晴らしい方なのである。


■人間にとって健康とは何か。


その斎藤の近年の著作に、『人間にとって健康とは何か』というタイトルの本がある。
斎藤は精神科医であるから、主にメンタル面での健康について書かれた本だ。昔の医学と現代の医学では、病気と健康に対する考え方が違ってきている、という。
昔の医学とは病気というマイナスを、健康という±0の地点に戻すという発想のものだった。
しかし、現代の医学はそういう考え方を改めつつある。±0に戻れば治療は終わり、というのではなく、今後発生するであろうマイナスの要因を予防するといったことも行われる。
メタボ検診などがそうだ。メタボの人は、その状態ではまだ病気ではない。けれども今後の病気のリスクに備えて、いまの段階での健康度を高めておこう、というのがメタボ検診の思想である。
「病気を治す手段」→「健康を生み出す手段」へと医学の目的が変わってきているのだ。
そういうバックグラウンドありきのなかで、精神医学的にはどういうことをやっているか。そもそも精神の健康とは何か?

『人間にとって健康とは何か』という本のさわりをざっと説明すれば、こんな感じとなる。
社会にとって、たいへん有意義な本だ。
その本を、素晴らしいお仕事をされている斎藤先生が書いているのだ。
じじつ、この本はたいへんためになることが書いてある。
世の中の真面目な人々にぜひ読んでほしい本だと思う。
真面目に真面目に読み進めていってほしい。
そして、読み進んでいくうちに、中盤あたりから事態が急変するのを目の当たりにしてほしい。


■高いレジリエンス(復活力)をもつ意外な人物。


本書によれば、精神的な健康をはかるものさしとして「レジリエンス」(復活力)というものがあるそうだ。
人間が何かしらのストレスにさらされた時に、柔軟性や多様性をもって病気になることを回避する、あるいはそのストレスすらも糧として自分の強さに変えていけるような能力のことだ。
たとえば、学校や会社でいじめにあっている人がいるとする。
これを「馬鹿に何を言われても平気だ」とか「本当はいじめる人間のほうが心が弱い」とかいった発想で受け流せる人のことを、レジリエンスが高い人という。
さらに、自身のいじめられた体験をばねに勉強を頑張って東大に合格したり、他のいじめられている人の心を汲み取って支援したりするような人は、めちゃくちゃレジリエンスの高い人である。

レジリエンスが高ければ、本当なら精神を病んでしまうような状況でも、健康を維持できる、あるいはより健康になれるという。
まことにすばらしい能力である。ぜひレジリエンスを高めたいものだ。
そして、斎藤は「史上稀に見る高いレジリエンスをもった人物」の名前をひとり挙げる。
だれだろう? 推理して下さい。

幾多の逆境を乗り越え天下を取った徳川家康とか、
丁稚奉公から一代で世界的大企業を作り上げた松下幸之助とか、
はたまたプレッシャーをも自分の能力にしてしまったような大活躍をした水泳金メダリストの北島康介とか…
レジリエンスの高そうな人はたくさんいるが…斎藤先生が挙げた超レジリエンスの高い人物とは、上のいずれでもない。
というか、これを当てられる人はほとんどいないと思う。

正解は、「アドルフ・ヒトラー」だ。

もういちど言う。『人間にとって健康とは何か』という本で、斎藤が「史上稀に見る高いレジリエンスをもった人物」として紹介しているのは、

アドルフ・ヒトラー。


■斎藤先生の"アク"。


ここで、今回のコラムを書くにあたって、筆者が内緒にしていたことを告白することにする。
社会的に言ってとても有意義なお仕事をされている素晴らしい斎藤環先生は、そのいっぽう、

少しアクが強い

のである。
筆者は斎藤のデビュー作からミーハー的ファンとしてその活動をなまあたたかく見守っている。
ひきこもり問題の臨床医として働くいっぽう、批評家としての斎藤先生は、ギャグ漫画家、吉田戦車の作品の批評を試みたり、「おたく」の精神分析を展開し、「おたくと普通の人の差は、二次元の女性で抜けるか抜けないか(要約)」といってみたり、『ゲームラボ』というちょっとマニアックなゲーム雑誌でコラムを連載(おたく神経サナトリウム)したりといったアクの強い活動を展開しているのだ。

そんな斎藤が「史上稀に見る高いレジリエンスをもった人物」として紹介するのが、家康や松下や北島康介なはずがないのである。
「ヒトラーのレジリエンスがめちゃくちゃ高い」というのは、換言すれば「ヒトラーはどんな逆境にあっても精神の健康を維持できる、あるいは逆境を糧により健康になることができる」ということなのである。
「ヒトラー=極悪人」という図式は世の中の誰もが考えていることだが、
「ヒトラー=超健康」説を提唱した人間がこれまでいたか。

斎藤はべつにヒトラーの思想を支持しているわけではない。
ただ、思想の善し悪しと健康の良し悪しは別物、といっているだけだ。
斎藤は"ヒトラーの思想は狂気によって導かれた"とする。
しかし、「病気というものが、通常は社会適応力を下げ、その人本来の能力の発揮を妨げるものとすれば、彼の狂気は逆であり、「『健康』と『狂気』の組み合わせがもっともタチが悪いのかもしれない」と記している。

斎藤環という人のことを全く知らずに書店を訪れ、『人間にとって健康とは何か』という真面目そうな本を手に取ってみる人というのは、たぶん真面目な人なのだろうと察する。
そして実際、『人間にとって健康とは何か』とはそういう真面目な人が読むに値する、社会的に有意義な本であることは間違いない。
ただし、である。斎藤のアクの強さに仰天した真面目な人がたくさんいるだろう。
しかし、そのアクの強さが有意義なだけではない斎藤の面白さだ。
斎藤は、すごく有意義なことをしているし、面白い。その一端にぜひ触れてほしい。

write by 鰯崎 友

参考:『人間にとって健康とは何か』2016 PHP新書 斎藤環

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