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超短編小説【おそらく聞いたことがない話 NINE PIECES】

9つの、おそらく聞いたことがない話

朝起きたら、ぜんぜん寒くなくってさあ、なんだかあたりの様子がやたらインドっぽいな…と思ったんだ。

っぽいというか、本当にインドだったんだよ。俺は練馬に住んでいたはずなのに。

しかたがないから、いまちょうどガンジス川を下って会社にむかっているんだけど、インドに俺の会社があるのかどうか、正直不安だ。


ラトゥラナ=ラナジュナはラトラ教の聖典である。開祖ラトラの言行録「バロ」、世界の滅亡と再生を綴った「ケル」、様々な秘術の記された「キテレツ大百科」の三部によって構成されている。


その年の冬はたくさん雪が降り、道が凍ってしまっていたので、私はとにかく、よく転んだのです。

ある日、道で転んだら、5年くらい前に入れた右下の銀歯がとれてしまって、拾い上げてみたら、裏に「当たり」と書いてあり、歯医者さんに持って行ったら金歯を入れてくれました。

つぎの日、道で転んだら、10年くらい前に入れた左上の銀歯がとれてしまって、拾い上げてみたら、裏に「餅」と書いてあり、歯医者さんに持って行ったら切り餅を1パックくれました。

またつぎの日、道で転んだら、15年くらい前に入れた右上の銀歯がとれてしまって、拾い上げてみたら、裏に「象」と書いてあり、歯医者さんに持って行ったら、子どものアフリカ象をくれました。ハナコが我が家に来ることになったのは、そういうわけなのです。

またその翌日、道で転んだら、子供のころに入れた左下の銀歯がとれてしまって、拾い上げてみたら、裏に「真実の愛」と書いてあり、歯医者さんに持って行きました。

佐智子が我が家に来ることになったのは、そういうわけなのですが、本当にそれが、書かれていたとおり、真実の愛なのかどうかは、確かめたくともなんだかよく分からないのです。私はいま、佐智子と一緒に毎日を幸せに暮らしています。ハナコは餌をたくさん食べ、どんどん大きくなっています。


空に顔たちが浮かぶようになってからもうどれぐらい経っただろうか。ぼくが最初にそれを見たときには、皆ずいぶんと悲しい表情をしているのだな、と思った。ほんの数ヶ月前までは、まだ浮遊する顔たちの頬と頬の合間から、雲や太陽を覗くことができたのだけれど、顔はどこからともなくその数を増して、今はもう、ぎゅうぎゅうと空にひしめいているので、地上は彼らの落とす影のせいで真っ暗だ。おかげで、大好きな「キテレツ大百科」を屋外で読めなくなってしまった。顔たちはふらふら浮かんでいること以外にやることもないらしく、日がな一日、こちらを眺めている。


鰯崎「私の前世は何だったんでしょうか」

占い師「あなたの前世は、宮崎あおいのブラジャーです」

鰯崎「ありがとうございます」

占い師「いえ」

鰯崎「どうにかして、前世の姿に戻ることは可能でしょうか」

占い師「不可能です」

鰯崎「戻りたいのですが」

占い師「不可能です」

鰯崎「わかりました。本日はありがとうございました」

占い師「お力になれず残念です」


耳もとで

したの?

と尋ねられたので

してない

と答えた。

私たちは、いつもお互いがどういう風に変わってしまったのかを確かめなければ不安でしかたがない。


上がり き物たちは いながら になって っていた。

中の ツネの ルーネックシャツは 朝 独だった。

っきから らんふりしてた ずめが 止して 談した。  

だちに んで たくなった シャツを りにいきましょう。

け者の 匹の ーは ていたので った。

く! 暮れには 雪が 野を 走するから。

って! 半ばで ササビが 々に 申す。

っぱり っくり 子見だな…

クダとか イグアナとか 人猿とかいった 中が 狽する。 

々 げないだろ?

ー…


昨日、上野動物園からパンダが消えるという事件が起こった。檻の中から、パンダ自身が残したと思われる言葉が発見されている。笹の葉に、丁寧な字で「客寄せパンダからの脱却」と綴られていたという。


冬休みに入ってからというもの、私は毎日のように森安さんのところに通い、お手伝いをするようになりました。

とろとろと泡を吐き出しながら、けだるそうに泳ぐ金魚を、森安さんは見せてくれました。金魚がひれを動かすたびに、水槽の中の水がぬるりと揺れるのです。水槽のガラスの傍に近づいてきたときには、金魚の体がきらびやかな朱色によって彩られているのが分かるのですが、それも束の間、すこしでも離れてしまえば、粘っこく、青くろい水が金魚の輝きを覆い隠してしまうのです。

「二酸化マンガンを溶かしてこういう黒い水を作っているんだよ」

と、森安さんは言いました。

「この黒い水のなかに、金魚を入れておくんだ。そうやって何年もすると、はじめはぴかぴかに輝いていた金魚が、この水の色と同じように、だんだんとくすんで、しまいには青くろい色になるのさ」

そう、金魚の体の色を、きらきらした朱色から、青くろい色に変えてしまう、それが森安さんのやっていることなのです。それを森安さんは、「救い」と言いました。

「金魚の体の、ぴかぴかした朱色というのは、人間が鑑賞して楽しむために作り上げてきたものだ。突然変異を起こした赤いフナ同士を交配させ、色のきれいなものだけをさらにかけ合わせて、観賞用の魚としての金魚を作ったんだ。それは身勝手で傲慢な人間のしたことなんだ。だからぼくは、人間のわがままから金魚を救うために、元の色に戻そうとしているんだよ」

そう話しているときの森安さんの目を、私はよく覚えています。いつもより少し黒目の部分が大きくなり、かすかに揺れているように見えました。それは、自分の言葉を完全には信じられない、不安に苛まれた人間の目だったのだと思います。

二酸化マンガンの中に入れられた金魚は、何ヶ月もすると、森安さんの言うように、だんだんとその輝きを失っていきました。森安さんは青くろい水槽の中を泳ぐ、くすんだ金魚を、やはり黒目を細かく震わせながら、眺めていました。私は少し残念な気持ちになったのですが、森安さんの前でそんなことを口に出すことはできませんでした。それが森安さんの言う人間のわがままなのですから。でも、輝く金魚をもとの色に戻すことだって、金魚が望んだわけではありません。森安さんが勝手にやっているのです。それを森安さんは一体どのように考えているのか、結局尋ねることが出来ませんでした。私に勇気がなかったからです。

森安さんは純真な人です。その純真さが長所でもあり、短所でもある人です。もしそんな質問を投げかければ、森安さんを深く傷つけてしまうことに違いなかったのです。でも、私が聞かずとも、すでに森安さんは傷ついていました。魚の生態に人が介入することを嫌った森安さんが、結局自らの手で金魚を脱色している、という矛盾。そして何よりも、森安さんはあざやかな色彩の金魚を愛していたのです。そもそもあの金魚の鱗の一片一片が放つ透き通った朱色の光彩に魅せられたがゆえに、森安さんは金魚を愛し、かつ人間の傲慢を知ったのです。自分の愛する金魚の美しい体が、幾多の罪によって彩られたものであることに気づいたのです。

私には、森安さん自身が金魚のように思えてなりません。金魚の透き通った朱色の体のように、けがれのない森安さんの純真な気持ちは、しかし、金魚を愛したいという、ひとりの人間のわがままから生まれたものでしかないのです。そして森安さんのわがままが、青くろい水の中に金魚を閉じ込めることとなったのです。金魚の美しさも、森安さんの純真な心も、人間という生き物のわがままから生まれたものに他なりません、森安さんの震える黒目を見つめながら、そのように思いました。

あなたがおっしゃるように、森安さんを殺したのは私です。森安さんが、彼のわがままから発した「救い」によって、金魚を青くろい水のなかに沈めたのと同じように、今度は私が、森安さんを青くろい水のなかに沈めたのです。二度とその黒目が震えることのないようにしてあげようと思ったのです。これは森安さんを愛してしまった私が彼へと差し伸べた「救い」であり、そして私のわがままでもあります。

write by 鰯崎 友:https://note.mu/iwa_t

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