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飯田泰之『財政・金融政策の転換点 日本経済の再生プラン』読んだ

最近は積極的にマクロ経済学のお勉強をすることもなくなってしまったので、たまにはこういう本も読まなくてはならないのである。

全体としてはタイトルのように、マクロの経済環境が変化していることを踏まえて政策も変わっていくよ、ということが述べられている。

昔からのリフレ派の中で、いまだにマネーを発行すればいいのだとSNS等で主張するひともいる。
原理原則を理解していないから環境の変化を認識できずに醜態をさらしている。これは似非MMTerも同様である。

つまり過少な需要によるデフレは終息し、供給サイドが制約になる時代に突入したのである。リフレ派が待ち望んでいた状況がやってきたのである。

供給に対する需要の超過が常態化することで、需要に引っ張られる形で供給サイドも強化されていく。これを高圧経済と著者らは呼んでいる。

そして著者も指摘するように、高圧経済は必ずしも心地の良いものではない。だから理解の浅い反緊縮の皆さん(以下ハンキン)は、自分たちが心地よくないのは財政支出が少ないからだと思ってしまうわけである。

あるいは金利生活者とか、景況と賃金があまり関係ない職業についている人間にとって高圧経済は嬉しくない。財の名目価格は高騰し、客が殺到するから質も低下する。

得をするのは労働者だが、彼らとて実質賃金の低下圧力を受け続けるので、メリットを体感しにくいだろう。
供給サイドの強化によって長期的には消費者も得をするのだが、目先の物価上昇により、短期的にはメリットが感じられないだろう。

このような論点を整理して理解する上で、本書は最適であると思われた。

経済学にあまり触れたことのない人からよく言われるのは、経済学者によって言うことが全く違っており、なにを信じたらいいかわからないということである。

しかし本書に書いてあることは概ね信用してよい。常識と、高校生レベルの経済学の知識と、超初歩的な簿記がわかっていれば、納得できる内容である。

わかりやすさのために正確性を犠牲にしている箇所がいくつかあるが、現状の理解の妨げとなるものではない。金利と貯蓄水準とGDPの同時決定など知らなくても、常識で考えれば理解できる。

以下チラ裏です。いつものように、本に書いてあることと自分の考えがごっちゃになっているところがあるかもしれない。それくらい私は飯田先生をお慕い申し上げているということでご容赦ねがいたい。

また気になった人は是非ご自身で読んでほしい。歴史的背景まで踏まえた丁寧な解説書である。


第一章は国債とはなにかから始まり、知識の整理、補充に役立った。

日本は政府の債務が多すぎるといわれるが、資産との兼ね合いで考えるべきであるという当たり前の観点が提示される。自説の都合にあわせて、どちらかをカウントしないというのは駄目。

もちろん日銀のバランスシートも連結すべきである。現時点では負債と資産はおおむね一致しているので、連結してもインパクトはないが、金利の上昇局面で、保有する国債の時価評価が下がって債務超過となった際には連結して考える必要がでてくるだろう。
また現時点では、負債は準備預金、資産は国債とどっちも政府のものなので連結する意味が薄いが、将来的には国債の流通量が減って、金の延べ棒、社債などを保有するようになるかもしれない。

公債の発行は将来世代へのつけ回しだという俗説についても、詳細に検討されている。ここでいちばん重要なのは、公債や税の実質的負担は、政府がリアルなお買い物をした時点で発生するということだ。

公債が発行されるのは、政府がそれを財源として何らかの支出を行うためだ。政府がより多くの財・サービスを費消するのだから、供給量が一定であれば、民間が利用可能な資源は減少する。例えば、関連企業や建設技術者が公共事業を受注し、工事に取りかかっている間にはその他の民間工事を請け負うことはできない。このような一種の機会費用は公債発行(による財政拡大)の負担といってよい。政府支出によって民間の利用可能資源が減るという負担は、公債が発行され、財政支出が行われる現在時点で発生する

太字は引用者

ただしこれは公債発行時点であることに注意されたい。では償還時点ではどうかというと、内国債であれば、公債と現預金が交換されるだけなので、つまり持ち主が変わるだけなので、その世代の負担とはならない。ただしその現預金が徴税によって調達されるならば、徴税されたものは痛税感を味わい、資金の活用に自由を失うことになる。

政府側はもちろん、購入側である家計・企業も、その時々の国債の価格に納得のうえで公債を購入している。一方で、償還時点に税の徴収が行われたとき──この課税は強制である。取引の自発性と強制性といったミクロの観点に注目すると、公債発行の負担が生じるのは償還時点となる。

つまり世代全体では国富の減少は生じないとしても、世代内では負担が生じている可能性がある。また公債を購入しているのは富裕層だから世代内の格差を拡大するかもしれない。ただしこれは再分配の問題であって、現在であっても、将来であっても、別個に考えるべきである。

実際には借り換えで調達するだろうから、あまり問題にならないんじゃないだろうか。またインフレが継続すれば、徴税によるとしても負担感は大きくはなるまい。償還される者も、インフレに見合った金利を受け取れると見越して購入しているはずだから問題ない。

静的に資金移動だけ考えれば公債発行が将来世代へのつけ回しとはいえないことがわかった。しかし常識的に考えれば、民間で使えたはずのリソースを政府が横取りすることで、将来になにも影響しないとは思われない。

つまり公債という代替手段があることで、民間の投資が過少になる可能性がある。特にその公債が赤字国債であった場合、そのまま消費されて終わりである。工場の一つでも作ったほうがマシだったかもしれない。

つまり公債発行の最大のデメリットはクラウディングアウトを起こすことで、将来世代のために必要な資本形成がなされないことである。

しかしついこないだまでは、民間の資本や労働力は余っていたから、政府が使える余地(MMTの用語でいえばfiscal space)があったのだ。デフレ・ギャップとかGDPギャップマイナスといいかえてもよい。
だから国債なり政府通貨なりを発行して、財政支出を増やしまくることに正当性があったのだ。
その証左にいくら日本国債が発行されても、いっこうに金利が上がらなかったのである。これは黒田日銀が異次元緩和を始める前でもそうだった。また白川総裁時代と変わらない規模の国債買い入れが続いていたとしても、実際よりもやや金利が高いくらいだったと思う。そういう意味で、私は金融政策にそれほど力があるとは思わない、特にGDPギャップがマイナスのときは

GDPギャップがマイナスのときは、政府支出の乗数効果は1を上回るだろうから、その意味でも公債発行は正当化されると考えられる。

そもそも需要が弱い、つまりみんながお金を使いたいと思ってないときに、民間企業ががんがん設備投資すると考えるほうが頭おかしい。倒産するやろ。経済学の問題は、常識の問題であることが多い。


第2章は金融政策について。貨幣とはなにかからお話が始まるので、いろいろ復習になって良かった。

ただし金融政策の力を信用しすぎじゃないかと思う、特に時間軸について。ほとんどの日本人は日銀の物価目標など知らないし、いちいちインフレ予想をたてて買い物をするわけではない。

とはいえ金融機関などを通じて、ある程度は一般人の生活に影響を与えている。その割合はわずかだとしても、分母が一億二千万人とかなりの数の人間が影響を受けることになるのだから、金融政策を軽視してよいわけではない。

しかし、一回目のゼロ金利政策が導入された1999年から2000年にかけて当時の速水日銀総裁や日銀幹部からは「副作用というかマイナス効果というものも出てきている」(2000年4月12日総裁会見)など早期のゼロ金利解除の必要性が強調されていた。そして、導入当初には「デフレ懸念の払拭ということが展望できるような情勢になるまで」(1999年4月13日総裁会見)継続するとしていたマイナス金利政策は物価上昇率がマイナスの状態で解除される。これらのちぐはぐな対応により、ゼロ金利政策に本来期待されていた時間軸を通じた影響力は大きく低下してしまったと考えられる。

このときのゼロ金利解除こと忘れていたのに、また腹立ってきたw こういう愚かな決定をした人たちのことは何度でも蒸し返して馬鹿にしまくらないと歴史の教訓とはならないのかもしれないが、私の精神衛生的にはよろしくない。

この時点の判断としてはやむをえなかったとは言わせない。植田和男現日銀総裁はゼロ金利解除に反対していたのである。

まあそれはおいといて、本書では日銀の転換点を2012年に求めている。より具体的には2012年9月26日に安倍晋三が自民党総裁選に勝利した時点である。

安倍氏がより大胆な金融政策を掲げていることが徐々に知られるようになって期待感が高まったところで、11月14日野田佳彦首相の唐突な解散宣言とともに12月16日の総選挙に向けて日経平均先物は駆け上がっていくのだった。。。ふつう選挙後は株価は下がる傾向にあるが、自民党の予想外の大勝を受けてさらに上昇していく。

この時期のことが詳しく書いてあって、思い出してしんみりしてしまった。あの頃はよかったなあ、なにかが変わるという高揚感があった。

あのときの期待感を打ち砕いてくれたのは言うまでもなく2014年4月の消費税増税である。金融政策シコシコ頑張っても、増税したら指先一つで吹っ飛んだっていう、、、消費税もやばいが、こっそりじわじわ上がり続ける社会保険料はもっとやばい。

コロナの自粛も破壊力抜群だった。消費の激減もさるころながら、若者の雇用がどうたらこうたら言ってたオールドリフレ派と積極財政の皆さんが、自粛に走っていたのもげんなりした。なんだお前ら綺麗ごとばっかり言って、自分がかわいいだけだったのかよと。
なお飯田先生は、若者を犠牲にして自粛せよなどということはけっしておっしゃらなかった。また私がかつてネオリベと軽蔑していた人たちの一部が、自粛騒ぎの中でもリベラリズムを貫いていたのは見直した。

そういうわけで、本書に書いてある金融政策の要諦はとても大事だとは思うが、私はだいぶ前に関心を失ってしまったのでした。

そして飯田先生もリフレ政策はチャンス待ち政策だと認めている。積極的な政策ではなく、基本的に待ちなのである。

様々な要因によって現在(というか2022年以前)の日本は、自然利子率はマイナスになっている。物価上昇率がゼロ以下なら、名目金利はマイナスにはなれないのだから、どうやっても実質金利は自然利子率よりも高くならない。

だから海外の好況などによって、自然利子率が高くなって、物価が高くなるタイミングを待つしかない。金融政策にできることは、そういうときでもおいそれとは政策金利は上げませんよと信じてもらうことくらいだ。

簡単に刈り取れる投資案件が無くなってしまったこと、人口動態がよろしくない、などなど色々な要因によって自然利子率が低く安定してしまっているというのが、長期停滞論である。ちょっと懐かしいかも。

自然利子率がどうなったのか、あるいは自然利子率なんてものがあるのかはわからないが、コロナ騒動により労働力が一時的にかつ急激に減ってしまい、またウクライナ戦争によりサプライチェーンが世界的な影響を受け、なんでか知らないが一方的な円安もあり、物価は上昇しはじめた。

そして実質金利が自然利子率が下回ったかもしれない情況でも日銀が緩和的な金融政策を続けたことが功を奏したのかどうかわからないが、どうやら日本は長いデフレから抜け出したっぽい。


第3章は今後の金融政策と財政政策のありかたについて。

ここでまたしても貨幣とはなにかが説明される。貨幣の負債性、国債の貨幣性を理解すれば、財政政策のあり方が昨今の物価上昇局面で大きく転換したか見通しが良くなる。そして過去の日本政府と日銀の政策がチグハグであったこともよくわかる。

財政政策を論じるにあたり、ちまたに溢れる財政破綻論についても丁寧に反論されている。

日本のように自国通貨建てで国債を発行している場合、財政破綻とはハイパーインフレのことである。FTPLによれば、現金・日銀当座預金残高・国債を合わせた統合政府の債務の増加率が金利よりも低いという前提を置けば、物価は中央銀行と財政当局の行動によって決定される。つまり望ましい物価水準に誘導できる(ハイパーインフレにならない)。

また国債残高のGDP比が発散するなら、財政破綻するといえる。プライマリバランスがゼロのとき、国債残高の増加スピードすなわち国債金利rが、経済成長率gよりも低ければ、国債残高のGDP比が発散することはない。いわゆるドーマー条件である。

なおドーマー条件にはプライマリバランスや国債残高対GDP比の初期値は含まれていない。

例えば現時点の政府債務がゼロであったり、プライマリバランスが黒字であったりしても、ドーマー条件が満たされていなければ発散することがある。

またr<gという式はドーマーが示したのではなく、オリジナルのドーマー条件を日本人が変形したものらしい。。。知りませんでした。

ドーマー条件のrはトマ・ピケティのrとは違う。ピケティのそれは国債も含めた資産の平均利回りである。つまり普通は国債金利よりは高い。ピケティは恒常的にr>gとなっていることを示したが、これは以下のように書き直せるだろう。

ピケティのr>g>ドーマー条件のr

オリビエ・ブランシャールの近著では米国ではドーマー条件のrよりもgが大きい情況が続くと指摘しているらしい。先に述べたように、先進国では自然利子率は低くなりがちなので、まあそうなるかな。

2000年代の日本はたびたびr>gとなっている。名目金利はマイナスになれないので、外生的ショックがあると簡単にGDP成長率を上回ってしまう。著者は金融政策が大幅に転換した2013年以降はコロナショックのとき以外はr<gになっていると言うが、たんにショックがコロナ以外なかっただけじゃないのかと思った。あ、消費税増税があったな。

ドーマー条件は発散しないといっているだけで、じゃあ国債残高対GDP比が100倍とかに「収束」したとして、それを財政破綻していないと言い張ることは可能なのか、、、まあ可能かもしれないが、それは極端すぎやしないかと飯田先生は述べている。私もそう思う。

そして親切にも計算してくださっている。g-r=0.5%であれば、国債残高対GDP比を維持するのに必要なプライマリバランスは-3.05%らしい。なんだ赤字でいいんだ、余裕じゃん。ただしg-r=0.5%を維持するには恒常的なインフレが必要と思われる。

健全なレベルの物価上昇率であれば、名目GDP成長率も保たれるだろう。

金利が上がったらどうするんだとすぐ騒ぐ人がいるが、そういう人たちは近視眼的だなあと私は思う。
金利が上がるのはどういうときか考えないのだろうか。経済が好調なときだろう。そういうときは金利は上がるかもしれないが、物価やGDPも上昇基調なのでr<gになってる。そもそも税収の自然増でプライマリバランスも大きく改善しているだろう。

あるいは物価が上がらないのに国債金利が高かったら、、、みんな国債に殺到すると思うけどw みんなっていうかまず俺に国債を売ってくれって感じだ。そして俺のところに回ってくるころには金利はすっかり下がっているだろう。

物価が低位安定している自国通貨建ての国債がデフォルトすることは考えられないからな。もちろんそれでもデフォルトすることはありうるが、日本国債が償還されないような事態って核戦争とかそういうのでしょ。そういうときは他にもっと心配せなあかんことがあるやろっていう。


第4章はマクロ経済環境の変化を踏まえて、つまり高圧経済のもとで望ましい経済政策を論じる。

需要が供給能力を引っ張り上げるという直感的に当たり前の話をオークンの法則をひいて説明している。

これは現在ではより理解しやすいのではないか。コロナショックで雇用が途切れる人が大量に発生したことが、世界的な労働供給不足とインフレを引き起こしている。インフレはけっこうだが、供給能力が経済の天井になってみんなの生活が不便になるのはよくない。

OJTとかヒステレシス効果とか難しい単語を用いなくても、継続的に雇用されていることでスキルが維持・更新されることは直感的に明らかであろう。

すなわち低圧経済のダメージはことのほか大きいので、金融・財政政策は十分すぎるほど高圧になるまで引き締めてはならないということになる。そのために遅行指標である雇用の統計は注意して見なければならない。

そして需要が十分に供給を上回ったなら、もう今までのように財政支出にフリーランチは存在しない。それをわからずに昔ならがらのリフレ派の皆さんが、お金を刷ればいいんだーと言ってるのをみると、なんだか哀れだと感じてしまう。この人たちなにもわからずに金を刷れとか言ってたんだな。こんな不勉強な人たちが旧日銀のことをクソミソに言ってたんだね。まあいいけど。

閑話休題

財政政策によって需要を作ることは供給能力を強化することにもなる。そこで昭和のように官が産業を選別するのではなく、減税によって需要を作り、選別は市場に任せるのがいいのではないかとのこと。私も賛成である。わざわざクラウディングアウトを起こす必要はない。

減税・給付の対象は若年者がよいという意見も賛成である。若者はお金が必要だし、また彼らの消費にはレバレッジがかかるからマクロの経済成長にも資するだろう。

高圧経済では人材の有効活用が大事である。雇用流動化とミスマッチ解消が大事らしい。雇用流動化は不人気だが、高圧経済では企業に賃上げを促すので労働者にとって好ましい。もちろん経営者にとっても好ましく、中小企業の事業継承問題の解決に寄与するかもしれない。

みんなの大好きな社会保障についても提言がある。

高圧経済ではシニア労働者も貴重である。医療サービスの需要となるだけでなく、医療によってより長く労働市場にとどまれる。
ただし医療は労働集約的な産業であり、人手不足が恒常化している高圧経済にあっては、医療や介護に労働者を取られすぎると他産業が困るのでよろしくない。

かように高圧経済というのはバラ色の未来ではない。30年近く待ち望んだ需要が供給を上回る世界だが、いざそうなってみると不便なことも多いと私も実感している。でももうデフレには戻りたくないよね、、、と思うのであった。



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