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松里公孝『ウクライナ動乱』其の四 分離紛争の「解決」とは?

昨日に続いて松里公孝『ウクライナ動乱』の読書ノートです。

今日でおしまいです。

本書の主題である分離紛争をいかに解決するか?についてまとめ。

国家にとって領土は身体であって、領土を減らされるのは手足をもがれるのと同じ、領土は大きければ大きいほど良い、という観念を私達が捨てることをできないならば、分離紛争を平和的に解決する手段はないということがわかった。

できることはとにかく停戦で合意して、その合意を取り繕いながらできるだけ長い年月もたせるくらいしかなくて、それは「解決」からはほど遠い。

しかも停戦に合意すると、現在の戦線を国境線として認めるということになりがちなので、ウクライナの人々には受け入れがたいだろう。もちろん本音では、今更クリミアやドンバスに戻ってこられても、と思っていたとしてもだ。

しかもロシアの支配領域はドンバス、クリミアだけでなく、ノヴォロシアに及んでいるからだ。

ノヴォロシア主義とは

黒海北岸エリアはしばしばノヴォロシアと呼ばれる。ノヴォロシア主義とはこの地域もロシアに帰属すべきという主張である。その中身は以下のとおり。

①黒海北岸地方をオスマン帝国から奪ったのはエカテリナ二世とグレゴリー・ポチョムキンなどロシア帝国の皇帝と高官である。したがって、この土地はロシア帝国の継承国であるロシア連邦に帰属すべきである。
②黒海北岸地方が歴史的概念としてのウクライナに帰属していたことはソ連以前にはない。むしろ、この地は歴史上一貫して多民族地域であった。
③ロシア人とウクライナ人は、単一のエスニシティである。黒海北岸地方はその居住地である。
④黒海北岸地方をウクライナとは別の地理的まとまりとみなす歴史的前例として、ドネツク‐クリヴォイログ(クリヴィーリフ)・ソヴェト共和国がある。

2014年の反マイダン分離主義ではこのうち2, 3, 4を主張したが、ウクライナの攻勢によってドネツク、ルハンスクまで押し返されると、ノヴォロシア概念は使用されなくなった。

2022年のロシアによる侵攻では、大時代的というか、あまりにもアナクロで我田引水な1の主張が持ち出された。

いずれにおいても、ノヴォロシア主義は、ウクライナからの分離運動は南東部全域に及ぶという信念、希望的観測と結びついていた。

このような概念が持ち出されたのは、いまのウクライナは民族運動の結果生まれたのではなく、ソ連解体の結果として生じたからである。

ウクライナやカザフスタンなどの領土はふるいにかけられることなく、域内に多様な民族を抱え込むことになった。そのような国家で単一国語主義や、特定の歴史認識を市民に押し付けるのは困難かつ危険である。

ウクライナの失敗と、国家・領土についての観念、表象

多言語・多文化主義、中立外交、特定のイデオロギーを押し付けるかわりに文化・学術・スポーツの振興する、非暴力主義、などといったことに基づいて市民的な国家を作るべきだった。しかしウクライナは独立して30年間、これとは反対の方向に進んでしまった

ソ連には共産主義という共通のイデオロギーがあり、これによって多民族のバランスがとられていたが、ウクライナは共産主義を葬り去った。共産主義にとってかわったのはリベラリズムではなく、原初的な民族主義だった。

加えてウクライナにはロシア語話者が多く、地続きの隣国ではロシア語話者が差別されることはない。しかもその隣国がウクライナよりも豊かだとしたら、、、またそこではマイダン革命のような暴力が野放しになっていないなら、、、

これはロシアだけではなく、ハンガリーに対しても同様である。ウクライナの指導者は、そういう危機感が薄かったと思われてもしかたなかろう。

ここで領土は大きければ大きいほどいい、領土を奪われるのは手足をもがれるも同然という国家表象が問題となる。良いか悪いかは別にして、このような観念が私たちの中にはある。

この観念を捨てることができないのであれば、分離紛争の最も現実的な解決策は、時間の経過に任せるということになる。

最も現実的な紛争回避策は、一時凌ぎの停戦協定を、綻びを繕いながら何十年でももたせて、人々の国家表象や国際法の通説的解釈が変わるのを待つことである。分離紛争を「解決」して恒久的な平和を目指そうなどとすると、かえって戦争を誘発する。

国家表象や国際法の解釈が変わらなくても、長いこと実行支配が続くうちに北方領土のように既成事実化してしまうこともあるだろう。

そうはならずに戦争で死人が出れば、領土表象がますます情緒化してしまうこともある。
他方、苦い薬を飲まされたことで、領土問題を合理的に解決しようとする可能性もある。2014年の大統領選挙で、強硬なティモシェンコではなく、ポロシェンコが選ばれたのはそういうことかもしれない。

2015年時点では、ドンバス・クリミアなしのウクライナというスローガンは一定の支持を得ていたのである。これはモルドバの右派が、沿ドニエストルとはさっさと縁を切ってEUに入ったほうがいいと考えるのと同じである。

しかし2016年ころから、国境線の変更を容認できない欧米に「励まされて」強硬姿勢に戻ってしまう。そうなると市民はドンバス・クリミアなしのウクライナなんて思っていても口に出せなくなる。


無論、侵略戦争開始後はもっと口にしにくくなっているだろうが、逆にいまやクリミアもドンバスも意地でも取り返すという心情になっているのではないだろうか。

この紛争がソ連解体時にウクライナとロシアが領土調整をしなかったことによって生じた特殊な関係性によるものなら、ロシアがこのままヘルソン州やザポリージャ州を占領し続けた場合には同じ問題がおこる。つまりそれらはロシアの中のウクライナとなって、火種になり続けるだろう。


分離紛争「解決」の方法論

歴史的には、分離紛争の解決法としては五種類がみられる。

  1. 連邦化

  2. land-for-peace

  3. パトロン国家による分離政体の承認、保護国化

  4. 親国家による再征服

  5. パトロン国家による親国家の破壊

1の連邦化は、武装解除して親国家に戻る代償として一定のオートノミーを与えるものである。ミンスク合意はその典型であった。
国境線を変更しなくていいという圧倒的なメリットはあるが、ミンスク合意のように実行されないことも多い。
また利益にかなっているとはいいがたい面もある。ウクライナの本音ではドンバスが出ていってくれてせいせいしているところもあったはずだが、連邦化すると内に火種を抱え込んでしまうことになる。
分離政体のほうも、親国家の中でのオートノミーよりも、非承認地域でも独立しているほうがいい。

だから連邦化は、ボスニア停戦のためのデイトン合意を数少ない例外として、ことごとく失敗している。そもそも連邦化でいいなら、過激な分離運動しないよね。

2 land-for-peaceとは、分離政体側が実効支配地域の一部を親国家に差し出すことで独立を認めてもらうことである。
連邦化よりも現実性はあるが、国境線の変更を伴うので国際組織や仲裁国に嫌がられる

以上2つは外交政策として認められているが、実効性に乏しく、紛争当事者はより一方的で軍事的な処方箋に傾きつつある。

3 パトロン国家による分離政体の承認、保護国化は、例えばロシアによる南オセチア、アブハジア、ドル両共和国の承認である。
パトロン国家が強大である限りにおいて有効だが、国際社会の受けはきわめて悪い

また分離政体の保護国化がうまくいけばいくほど、親国家との仲が悪くなる。例えば、グルジアやウクライナとの関係はもはや修復不能で、NATOにもっと接近させることになった。

さらには情況によってはパトロン国家は経済面での負担が大きくなる。南オセチアの人口は4万人程度なのでまだいいが、ドンバスは400万人である。その年金、公共料金、行政費用を援助するとなると、洒落にならない。

4 親国家による再征服は最も後腐れがない。ビアフラ戦争、クロアチア戦争、第二次カラバフ戦争などの例がある。
しかし再征服するだけの国力が必要条件である。しかし旧ソ連圏で分離紛争を抱える親国家は西側からチヤホヤされるので、自己批判能力や地政学的感受性を失い、借金漬けになっていることが多い。

5 パトロン国家による親国家の破壊。最も暴力的な処方箋である。ドンバスを救うという名目での今次のウクライナ戦争、コソヴォを救うという名目でのNATOによるユーゴスラビア空爆といった例がある。

これはメリットがあるからというよりも、より根本的に解決するとの決意からなされている。しかし戦争の規模が大きくなるため人命の犠牲などが膨大になる。また勝っても国際社会には認めてもらえない。

この5つの処方箋のうち、ミンスク合意は1の連邦化を目指すものだった。しかしご多分に漏れず、ちゃんと実行できないので、ゼレンスキー政権は4に傾いていった。これに対してプーチンは5で対抗してきたのである。

ここまで拗れるともうどうしようもなさそう。

人命や経済の損耗を最小にするにはいったん停戦して、あとは体裁だけ取り繕いつつ、時の流れに身を任せるしかなさそう。。。辛い記憶や怒りを味わってしまった世代がいなくなれば感情的には収まるかもしれないし、ポピュリスト達はその感情を忘れさせまいと煽り続けるのかもしれない。

恨み辛みがどの程度まで落ち着けば停戦に向けての話し合いができるのかもわからない。ウクライナの人たちが簡単に諦めるとは思えない。諦めるのが正しいことなのかもわからないのであった。


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