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「挑戦すること自体に意義がある」。日本とは異なる指導方針、環境への適応力、そして新たな視点への気付き。厳しい環境の中で、彼の価値観を変えたその瞬間とは?

まず、自己紹介からお願いします。

はい、森平旬翼(もりだいら・しゅんすけ)です。僕は2004年にカリフォルニア州にあるナパ(Napa)っていう場所で生まれて、その後1カ月くらいですぐに日本に帰って、14歳まで東京に住んでいて、私立の一貫校に小学校から中学3年生の夏まで通っていました。水泳は小学校に入った後、7歳から始めて今も継続してという感じです。中学3年生の1学期が終ったときに学校を辞めて、アメリカの高校に8月から入って、そのときに水泳もアメリカで再開しました。アメリカの高校がパロアルト(Palo Alto)って場所にあったので、そこにある水泳チームに入りました。コロナ期間は、学校がオンラインで殆どないような感じだったので、その時期に水泳に集中できて、そこでかなりタイムを縮められて、大学側とも連絡が取れるようになって、シニア(*1)の11月ぐらいにVerbal Commitmentっていう、口約束で大学に入れますよと決めてもらって、12月にアプライして、その後大学から返信が来て入学ができたって感じですね。大学が去年9月から始まって、今1年生で水泳部を続けてるって感じですかね。


*1【アメリカで4年制の高校の場合、1年生: フレッシュマン (Freshman)、2年生: ソフモア (Sophomore)、3年生: ジュニア (Junior)、4年生: シニア (Senior)と呼ぶ】


ありがとうございます。それで、 高校からボストン大学に行くときに、どのような準備をして、どのような基準があったのか教えてもらってもいいですか?

水泳の場合は、ジュニアの年にVerbal Commitmentできる人はいいんですけど、大体の人がシニアになると思います。大学のコーチと話し始めることができるのは、ルールがあるんですよね。早くから話し始め過ぎるのは、子供に対してもストレスがかかってくるし、親からのプレッシャーとかも多いと思うので、一応、NCAA(全米大学体育協会:アメリカ大学スポーツ協会のこと)で決まりがあって、ジュニアの年の6月以降じゃなきゃ大学側と話せないみたいなルールがあって、僕もそれが可能になったと同時に色んな大学にメールを送って、初めの方は目標を高く持って、良い大学に色々メールを送って、話しているうちにジュニアの後半になるつれ、僕のタイムでは話すのを止められたり、直接、うちの大学では取りませんって言われたりするんです。それで、話していて最終的にUC Santa Barbara(カリフォルニア大学サンタバーバラ校。以下、UCSB)とボストン大学の2つに絞られてきた感じです。本当に自分の中では水泳でディビジョン1(以下、D1)の大学にもう入れないのかなと思っちゃって。ディビジョン3だったらいっぱい入れるんですけど、レベルが低いんで。D1はもう無理なのかなと思ってたんですけど、ちょっと兄に「もうちょっと頑張れよ」って怒られました(笑)。

それでとりあえず電話しようかなと思ってUCSBとボストン大学の両方に電話して、そしたらUCSBの方は、あと0.5秒タイムを縮められれば取ってあげるよって言われて、ボストン大学の場合は、今取ってあげるよって言われたんです。水泳で0.5秒って意外と難しいんです。僕は縮める自信があまりなかったので、良い大学ですし、ボストン大学に決めちゃおうかなと。ですのでコーチに電話して、ボストンに行きたいので、良いですかと話しました。ボストンに決まってからは、Early Decision(*2)を使いました。


*2【Early Decisionに関する参考記事:https://www.counselmore.com/early-decision-1-vs-2-which-one-to-choose

参考「出典:株式会社プランB」

Early Decision(以下、ED)とは?

EDには1と2があるんですけど、ボストン大学だけにアプライしてくださいみたいな感じで言われて、それでエッセイを書いて成績表もボストン大学に提出してって感じで、ED1は、結果が12月の中旬ぐらいに返ってくるので、それで結果をもらって内定しましたって感じです。


ED1を申請する前に、どのような条件で入れるか大学と話し合いが始まったんですね。

そうですね。ジュニアの6月辺りか、もしかしたら7月や8月だったかもしれないけど、それぐらいの時期でした。


少し話が戻ってしまいますが、最初に旬翼さんが中学3年生の時点で、アメリカの高校に行こうと決めた理由は何ですか?

一番大きかったのは、僕の兄が先に留学していて、兄の場合は、日本の高校の1年生の夏で辞めて、アメリカでいう高校2年生の学年に入ったんです。それで、これはスポーツ留学で大事なことなんだと思うんですけど、アメリカで高2の学年から入ると、翌年の高3で進学について大学と話さなきゃいけないんですよ。その時に、留学開始から1年しか時間がなくて、その間に英語を覚えて、新しい環境でスポーツもちゃんと上達していかなきゃいけないということになると、1年間しかその時間がもらえないんで結構難しいんです。

やっぱり兄がそういう大変な思いをしていたので、こっちに来るなら少し早めに来た方がいいよって言われて、もし留学するんだったら、アメリカでいう高1から来た方がいいんじゃないかっていうのを家族で話しました。実際に何で留学することになったかっていうと、家族の文化でもないんですけど、おじいちゃんが英語が話せて、英語が大事っていうのを言っていて、それをお父さんが受け継いでお父さんもおじいちゃんに留学しろって言われてお父さんも高校時代に留学をしていて、お父さんも良い経験だったっていうことで、僕と兄も留学した方がいいよっていうのをよく勧めてきててって感じで、お母さんは全然英語とか喋れなくて普通の日本人ですが。それが理由です。


そうなんですね。旬翼さんの祖父、そして父からそういう経験を幼い頃から聞いていて、小学校、中学校ぐらいから、アメリカに行くんだなっていう感覚だったんですね。

そうですね。自分から行きたいっていうのは、あんまり言ったことがないんです。もう当然行くよなみたいな感じですね。


それで、アメリカに行く一番の理由は、何だったのでしょうか?英語力をつけたいのか、水泳の競技レベルを上げたいから行きたいのか、個人的な優先順位としてはどういうことが留学の判断に繋がりましたか?

僕の場合はもう断然、英語ですね。水泳はやっていて、もちろん頑張ってもいるんですけど、やっぱり水泳で生活していくなんていうレベルには到底達してないんで、やっぱり水泳をメインには生活はしてないんで、それが目的では来てないですね。でも、来てみて分かったのは水泳の面では日本でずっと練習してるよりかは多分成長したなとは思いますね。


英語が理由とおっしゃっていますが、例えば、大学を卒業した後に、何かイメージする仕事や夢、目標があって英語が必要と考えているのですか?

明確な目標はあんまりないんですけど、お父さんがやってる仕事は、元々、海外から輸入して日本で売る仕事で、それは英語が必要で、英語が話せなくてもできるっちゃできるんですけど、出来た方が得なことが多くて、似たようなことをアメリカでできたらいいかなと思っています。アメリカみたいに日本と比較して進んでる国で良い商品を見つけて、日本でまだ売られてなかったら、交渉して日本で売るみたいな、そういうのができたらいいかなみたいな。

いま振り返ってみて、高校1年生からアメリカに留学したメリットとデメリットはありますか?

普通の留学としてであれば、正直、高1は割と良いタイミングだと思いますね。僕の場合、コロナがちょうどかぶっちゃったので、2年間はほとんど学校がなかったんですよ。なので英語力については最初の2年がほとんど伸びなくて、最後の2年で追い上げたって感じなんで、もし普通に4年間あったとしたら、十分なぐらいの期間なんで、高校1年生から留学に来るっていうのは、ちょうどいい期間なのかなと思いますね。

デメリットとしては、羨ましいなとかっていうのがあったのは、やっぱ何となく日本の高校生活って楽しそうだなみたいな。日本の学校は中高大って繋がってる学校があるじゃないですか、慶應や早稲田とかもあると思うんですけど。なので、一旦、中学とか高校に入っちゃえば、そんなに難しくなく、上に進学していけるっていうのがあると思うんで。こっちだと、多分、高校と大学が繋がってる学校なんてほとんどないと思うんですよ。だから、もうみんな受験を強制される感じなんで、言い方はちょっと悪いかもしれないけど、日本の方が、ちょっとダラダラ暮らせてる感じが楽しそうな毎日だなみたいなのはありますね。


続いて、スポーツの観点で高校1年生から留学することについてはいかがですか?

スポーツでは、もうちょっと早く来ても良かったかなって感じはしますね。中学生の頃ぐらいに留学していても良かったかなと思います。それは日本の小さい頃のレベル、ちっちゃい子たちのレベルが海外と比べて、ものすごい高いんですよ。海外の人の方が、年齢を重ねるにつれて体が大きくなっていく。日本人は割と成長が止まるのが早いっていうのもあるかもしれないですけどね。あとは、日本の練習のやり方が、コーチがちっちゃい子に対しても叫んだり、泳ぎが速くなるっていうのにフォーカスしていて、アメリカの場合は、ちっちゃい子たちには、水泳を楽しもうって感じなんです。僕の通っていたクラブチームも、僕がいたグループは15歳から18歳のグループだったんですけど、一番下の学年だと小学1年生で7歳とか、そういうグループもあったんですよ。僕たちが練習する前に、彼らが練習していてそれを見てると、コーチも一緒に楽しんでいて、一緒にプールに入ったり、もちろん練習はするけど、楽しいアクティビティを用意してあげたり、なので、僕は水泳しかやってないんで、他のスポーツに当てはまるかわからないですけど、水泳だけでいえば、こっちの子の方が中学生でも楽しんでるなっていう感じはありますね。アメリカの方が、もっと水泳を楽しめるだろうなっていうのもあります。


日本での水泳は、少し練習がハードといいますか、競技者として上手になるためにということですか?

それが全てではないですけど、そうですね、やっぱり東京の場合、周りのレベルが高いんですよ。東京ってわりとどんなことでも進んでいると思うんですけど、スポーツでも他県と比べるとレベルが高くて、東京にいると自分は遅い方だし、楽しくないんですよね。こっちに来たら、僕に対して、すごい速いやつが来たぞみたいな。周りのレベルが落ちたことによって、自分の頑張り度も上げられるみたいな、そういうのもありますよね。


そうなんですね。高校の学校生活や授業は、いかがでしたか?

僕がいた高校は結構レベルが高かったんです。まず僕がパロアルトに行った理由は、お父さんが昔水球をやっていたんですけど、お父さんの水球友達が、以前、英語の先生をするために2年間くらい日本にいて、その間に水球を楽しんでいて、たまたまお父さんと出会ったんですけど、その人が今パロアルトに住んでいて、まだ連絡を取っていたので、ホストファミリーとして、僕を預かってくれないかって連絡をして行ったわけなんです。後々気付いたことですが、パロアルトはGoogle、Facebook、Appleがあって、親の影響もあるのか、子供のレベルがすごい高い地域なんですよ。それで、通った高校が、当時はCaliforniaで1番いい公立だったんです。アジア人も60%くらいいて、正直、僕がいた日本の学校より、みんな勉強ができる感じでしたね。でも、別に親がGoogl、Appleとかで働いてるわけじゃなくて、昔からパロアルトに住んでるおじいちゃんやおばあちゃんがいる子だと、本当に勉強ができないのが、数10%、20%ぐらいいるんですよ。そういう意味で、地域的にはすごい優秀な子たちも多いんですけど、以前からその地域に住んでいた子も一緒に生活できたのが良い経験でしたね。


特殊な環境だったんですね。その中で、何か壁のようなものは感じましたか?

自分自身では、アメリカに来る前は、何となくいけるんじゃないかみたいに思ってたんですよ。英語が全くできなかったわけでもないし、学校のテストでも、8割9割ぐらいは取れてて、別にいけるんじゃないかなって思って来てて、自分でも出来ないっていう認識があんまりなかったんです。でも、のちのち友達に聞くと、1年生の頃とか、全く英語を喋ってなかったよって言われるし、今も思い返してみれば、確かにすごい簡単な言葉とか、こんなのも分かってなかったんだっていうのもあるし、あとは1年生の単語テストがあったときの写真が残ってたんすけど、それを見ると簡単な単語だなみたいな、こんな単語も知らなかったんだっていうのはありますね。(笑)


ご自身の感覚としてはいつ頃から、普通に英語を話せるようになったと思いますか?

やっぱりジュニアの年が終わったぐらいですかね、コロナで、1年生の夏に日本に帰ってるんですよ。1、2年生の頃に思っていたのは、なんか友達に会いたくないなって。それは英語が全く伸びてなかったんで、友達に会っても恥ずかしいなって思っていて、友達と会ったら、ちょっと英語で喋ってよって言われるじゃないですか。なので、そういうのも聞かれたくないし、そういうのは1年生の夏休みは感じてました。でも、3年生が終わった夏に帰ったときにはもう別に、あんまりそんな自信のなさはなかったかなっていう感じです。


水泳の時のコミュニケーションは、どうしていたのですか?

そうですね。覚えてるのは、当時、痛いっていう言葉のPainが分からなくて、Hurtっていうのが「痛い」という意味だと思ってて、ずっと違う言葉を使っていたり、あとは、足をつるっていうのが、クランプ(Cramp)って言うんですよ。それを知らなくて、水泳では、結構足をつっちゃうんですけど、つったとき、何を言えばいいんだろうみたいに止まっててコーチに言えなくて、とりあえず指さして、痛い痛いみたいな。それを見て、コーチがつってるんだと理解してくれました。1年目はそういうのがあって、うまく伝えられなかったですね。自分から話しかけるのが結構難しかった中で、チームメイトが良く関わってくれて、あっちから気を遣って話しかけてくれることが多かったんですけど、話し掛けられた言葉に対して、すぐに返せないっていう不安がすごい大きくて、やっぱり1年目のときは、人に話しかけることもできなかったし、話しかけてもらうことの方が多かったかなって感じですね。


その言葉の壁を越えられたきっかけは、あったのでしょうか?

なぜだったんだろうな。多分、水泳をやってたのは大きかったと思います。学校に行ってると、3、4年生になったら友達はできてたんですけど、公立なのでみんな同じ中学から進級していて、元々の友達グループができてて、なので、その仲間の中に気まずいというか入りづらさのような空気もあって、最初の1年2年は学校で友達作るのが難しかった。でも水泳をやってると、別にみんなで練習するし、人数も学校と比べたらだいぶ小さいので、固定の友達ができるって感じで、プールに行ったら勝手に話すんで、練習中もコーチが言ってる内容を頑張って聞こうとしたり、分からなかったら頑張ってみんなに聞こうとしたり、スポーツをやっているとみんなの性格をもっと深く知れるので。なので、自分から話しかけやすいというのはありますね。だから水泳っていうかスポーツをやってるおかげで英語の伸びが、普通の子より良かったのかもしれません。


スポーツをしていると自然に身に付いている感覚なのでしょうか?

通っていた高校に他に留学生で3人日本人がいたんですよ。彼らは誰もスポーツをやってなかったんですけど、高校の4年間通ってても、ある程度、読み書きはできるようになっていても、喋れない子の方が多かったかな。学校の勉強は読み書きが多いと思うんですけど、スポーツやってるときに読み書きなんてないじゃないですか。喋るとかコミュニケーションがメインなので、学校では読み書きを学べて、スポーツではコミュニケーションが学べるっていうことなのかもしれないですね。

なるほど、素晴らしい考え方を聞けました。そのような経験を通じて、高校からボストン大学に進学したわけですが、半年ほど経って今の生活はいかがですか?

そうですね。成績面で言ったら、高校と比べるとやっぱり難しいなというのはありますね。高校だとGPAは、高い位置を保つのは割と簡単なんですけど、大学になると、どの授業も90点以上がA判定で、80点以上がB判定で、高校の場合はクラスによっては、40点ぐらいからC判定が始まって、20%ずつ変わっていくみたいのもあったり、あとはExtra Creditをくれる救済策があって、成績が良くなかったら先生のところに話に行って、追加課題をくださいとお願いするんです。だけど、大学だとそうもいかないので、そういう難しさは感じますね。水泳に関しては、思った以上にスムーズにみんなと友達になれたし、やっぱり寮生活ということもあって、同じフロアには住んでないんですけど、みんなが近いので、一緒にお昼を食べたり、それは良かったりしますね。


水泳で、NCAAのD1に位置するボストン大学で、競技も勉強もレベルが高いと思うのですが、来て良かったと思う点はありますか?

そうですね、高校と比べると、水泳の練習では大学の方が実際楽に感じるんですよ。高校だと、8月の後半ぐらいから水泳のシーズンが始まって、7月の後半まで水泳があるんですよ。休みというのが、2、3週間ぐらいしかなくて。でも、アメリカの大学の場合だと、9月にシーズンが始まって、2月にはもうシーズンが終わっちゃうんですよ。練習はあるんですけど、6ヶ月間だけ頑張ればもう格段と練習量は下がるし、上達しようというよりも、今のレベルを保っておくための練習なので、追い込み期間が大学の方が少ないっていうのもあります。たまたまかもしれないけど、高校の時のクラブチームは、レベルが高くて、朝の練習が4時45分からあったんですよ。それに比べてボストンの朝の練習は、7時からなので全然大丈夫だなみたいになりますし、1週間の合計の練習時間も高校の方がやっていたので、大学の方が大変かって言われたらそうでもないですね。でも、行ってる大学によっても変わってくると思うんですけど、水泳の大変さではそんなに大きな違いはない気がします。


アメリカは、学業成績を維持しないと練習に参加できないと聞きました。

確かにチームに1人いたんですけど、今3年生の子が1年生の2学期目かな、成績悪くて泳がせてもらえなかったみたいなんですけど、それ以外あまり聞かないですね。いま1年生の女子ですごい速い選手がいるんですよ、一番速いんですけど勉強ができなくて、水泳チームにいるには、12単位取っていなきゃいけないんですけど、前学期に8単位しか取れていなくて、本当はいちゃいけない気がするんですけど、なぜかいるんですよね(笑)。だから、チームにどれだけ重要かによって、ちょっと融通がきいたりもするのかもしれないですね。


その1年生の女子選手は、奨学金をもらいながらアスリートとして入ってきた方ですか?

女子チームには、奨学金が貰えてる学生が数人いるんですよ。男子は誰ももらえてないですね。


シーズンオフの期間は、皆さんどのように過ごされるものなんですか?

いま1年生なのでシーズンオフ期間を全て経験したたわけじゃないんですけど、聞いた話では、練習スケジュールがコーチから送られてきて、水泳の練習が週の月曜から木曜日まで1日1時間、合計4時間あって、それにプラスで月、水、金にウェイトトレーニングの1時間があるので、合計7時間だけ運動するみたいな感じですね。ウェイトトレーニングが朝なので、実質、金土日が休みという感じです。あと、インシーズンであれば、試合前になってくると調整練習があって少し練習量が減ってくるんですけど、基本的には、ウェイトトレーニングが変わらず月水金に1時間ずつで、水泳が月曜から土曜日まであって、時間も2時間ずつですね。なので、合計15時間になるかな。けど、15時間というのは、ディビジョン1の大学の中ではかなり少ない方なんですよ。週の練習時間のリミットが21か22時間ぐらいで、高校にいたときは、18、19時間ぐらいやってたんで、ボストン大学っていうのは、水泳チームで言えば、勉強にフォーカスを置いてるのかなって感じはあります。


今後、日本からスポーツを利用した留学が増えていくかもしれません。スポーツを通じて大学に進学して得られたことについて、改めていかがですか?

たくさんあると思うんすけど、やっぱりコーチの違いというのが一番大きかったかなというがあって、日本のコーチはさっきも言った通りで、タイムを速くしようと、とにかく練習を頑張れみたいな、量をたくさん泳がせるっていうイメージで、日本は合宿をやるイメージがあるんですけど、僕が個人的にめっちゃ嫌いだったのが、水泳の合宿に行ったら、朝晩朝晩って毎日泳いで、すごい量を泳がされたみたいな。アメリカだと、楽しむことを忘れずにやらしてくれるし、合宿はなくて、アメリカ自体が大きいってのもあるんですけど、チームで他の州に遠征しに行くっていうことが結構多くて、5日間とか一緒にチームで過ごして、テキサス州やアリゾナ州にみんなで行くのがあって、子供に水泳を好きにさせてくれるようなシステムっていいなっていうのはありましたね。子供たちは、もちろんみんな速く泳ぎたいっていう願望はあると思うんですけど、別に他人を競う相手として見てるというよりも、一緒に速くなって、一緒に頑張り合う友達っていう見方をしているようなイメージがありますね。日本だと、速い子は速い子で固まっていて、中ぐらいの子は中ぐらい、遅い子は遅い子で固まっているイメージがあって、速い子たちは、いつも試合会場に行くと知り合いの速い子同士でよく喋っていてって感じなんですけど、こっちだと速い子も遅い子もみんな混じって話しているんです。一つ大きいのが、日本でジュニアオリンピック(以下、JO)という試合があるんですけど、その制限タイムがすごい厳しいんですよ。年齢でくくられてるんですけど、40人ぐらいしか出られないのかな。9歳10歳の中で40人、11歳12歳で40人みたいな。そういう厳しい制限タイムが基準の試合があるんですけど、アメリカの場合、同じような名前でジュニアナショナルっていう大会があるんですけど、僕でも切れるぐらいの制限タイムだったんです。1種目で2、300人ぐらい出るぐらいの規模で、しかも設定の仕方が、11歳12歳13歳14歳じゃなくて18歳以下全員一緒のタイムなんですよ。18歳以下のための試合で、18歳以下のくくりで、種目ごとでタイムが変わってくるというだけなんです。

だから、もし12歳ですごい速い子がいたら、その試合に出れるだろうし、別に優勝しようと思えばできるし、一応みんなその試合を目標として泳ぐ子も多いんですけど、日本の場合はJOに行けていなかったら、もう速くない選手みたいなくくりができてしまう。何となくそういう雰囲気があるんですよ。僕は、JOを1回も切ったことがなかったんですよ。0コンマ何秒っていう近いところまで行ったことはあるんですけど、切ったことがなくて、JOの1つ下のレベルの試合に行っていると、大してすごくないような感じのイメージがあって、JOの基準を切れていないだけで、自分って遅いくくりに入るのかなみたいな、なんかちょっと悲しいなっていう感情が出てくるんですよ。ただ、アメリカだと、ジュニアナショナルの前に、フューチャーズ(*3)っていうのがあって、その前にセクショナルズといろんな段階があるんですよ。それで、18歳以下のカテゴリーもありますし、いろんな範囲の子たちにチャンスを与えてくれるようなイメージがあって、みんながやる気になるようなシステムをうまく作れてるのかなっていう気がしますね。


*3)米国では、年齢やレベルに応じた異なる競技会を開催

ジュニアナショナル: 若い選手が国内で競い合う高いレベルの大会です。将来のオリンピック選手や国際大会で活躍する選手を育成する目的があります。

フューチャーズ: ジュニアナショナルへのステップアップとして位置づけられており、全国規模で開催される大会です。

セクショナルズ: 地域ごとに分かれたセクションで行われる大会で、地域のトップ選手が集まります。

※写真手前、第7レーンがシュンスケ選手


そういう環境の違いで成長することについて、どのように思いますか?

日本というかアジア全体でもそうだと思うんですけど、スポーツに対しての考え方がちょっと厳しすぎるのかなっていうのはあるかもしれないですね。必ずしも日本のやり方が間違ってるかって言われたら分からないですけど、日本人の方が実質、体が小さいし、筋肉もつきづらいし、そういうやり方をやっていなきゃトップレベルでは戦えないのかなっていうのはあるんですけど、でも、子供の頃って誰しもがトップレベルを目指してるわけじゃなくて、楽しみたいだけの子もいますし、友達と練習するのが楽しいっていう思いでやってる子もいるので、その気持ちを壊しちゃってるなっていうのあります、日本の水泳だと。


何か厳しい境遇のようなものは、これまでのアメリカ生活でありましたか?

例えば、高校の時にホームステイ先として住んでいた家の両親が共働きで、ほとんど家にいない状態で、僕は部屋がなかったのでリビングを3年間借りていて、やっぱりそうなると、しっかり片付けもしなきゃ寝られるような状態にもならないんですよね。彼らから料理は全部自分でやってねって言われてて、中3から料理を始めて、毎日朝昼晩って作って、学校では英語を学び、さらに水泳の練習だったので、もう1年生の頃が特に大変で、車の免許を持っていなかったので、食材を買いたい時は自転車で買いに行かなきゃいけなかったんですよね。それと、自分の両親には1年のうち2回ぐらいしか電話してなくて、もう忙しすぎて考える暇が殆どなくて、もう限界の状態に追い込まれた時は、もう苦しいなみたいに考えずにやってたってのはありますよね。

ただ、留学できる環境にいて本当によかったなって思ってて、14歳から留学したんで、14歳なんて普通に考えたら、まだまだ子供だと思うんですけど、その頃から割りと自立をし始めることができてて、英語力は、もちろん留学で得られるっていうのはあるんですけど、それ以上に英語力を身につけるための勇気やコミュニケーション力とか、自分だけが英語を喋れない環境で、どうやってみんなに適応するか。そういうのが結構鍛えられたかなってのありますね。


最後に、旬翼さんにとって、挑戦とは?

性格的にもダラダラしてるんで、言うなら、もっと挑戦しなきゃいけないのかなって気もするんですけどね(笑)。でも、シンプルに、新しいことを試して、別に失敗も成功も関係なく、試していれば挑戦なんじゃないかなと思います。全力でも全力じゃなくても、ちょっとでも足を踏み入れたら挑戦なんじゃないかなって気もしますね。



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【編集後記】
必ずしも全ての選手がトップアスリートを目指しているわけではない。彼のような考えが多数を占めているように感じる。そして、ずば抜けた選手でなくても米国では活躍のチャンスがいくらでも存在する。日本で、競技を続ける選手やそれを支える保護者にとって、別の可能性を選択できる機会となり得るのではないか。違いは、非凡な才能ではなく、一歩先に踏み出す勇気だ。【内野優】
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如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。

次回の記事もお楽しみに!

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