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定年後 695 日目 Vlogは引き出し、Vlogはネタ帳。

昨年度、「僕はVlogが作れない」シリーズは 70 本作ったので、5 日に 1 本のペースだったという計算になる。このペースで動画を作ろうと思うと、普段なら気にとめないようなことを意識的に撮影していかないと間にあわない。
わざわざそれを動画にする? というようなことでも動画にしたが、作っておいてよかったなと思うことが多い。

あまり気にとめないようなことほどすぐに忘れてしまう。忘れてしまっても差つかえない、ということでもあるんだけど。

大抵のことを経験してきてしまっていると、日々の生活に変化を感じなくなる。だから時がすぎるのも早く感じるようになるし、以前なら刺激を受けたことも、ありふれた日常の中に埋没していったりする。
そうするとなおさら日々の出来事は思い出さなくなる。

動画という形で日記を綴っておくと、忘れてしまっていたことを思い出すことができる。忘れていたことを思い出す、という感覚はけっこう楽しい。
文字だけの日記と違って映像は情報量が多い。時間をおいて見返したときにあらためて気づくこともめずらしくない。こんな色だったんだとか、こんな音だったんだとか。

自分の Vlog を見て新しい発見があるのは興味深いし、カメラを引退したあとには宝物になるだろうと思う。


一般市民を対象にした大学の演劇講座を、20 年ほど前に受講した。
期間は1年間、講師は劇作家・演出家の平田オリザさん。

平田オリザ氏 (画像 : 青年団 HP より)

その講義のなかで質問をしたことがある。
「脚本や監督で著名な方の自伝を読むと、創作であっても作品は自身の経験に基づいていることが多いと感じる。そうだとすると経験の切り売りをしているということになり、作品にできる経験はいずれ枯渇してしまうのではないか」と。

そのときの回答は、
「そうした側面があるとしても 2 つの理由から経験が枯渇することはない。ひとつは人は日々経験を積みかさね続けている。常に経験を継続しているので枯渇することはない。もうひとつは、本人も気づいていない潜在的な記憶というものが大量にある。普段は思い出さないことでも、うまく引き出すことができればいくらでもアウトプットしていくことができる」というもの。

それを聞いて、ひとつひとつなるほどなぁと納得したのを覚えている。
自分にも潜在的なものがあるかもしれないと思った。


自分にとって「僕は Vlog が作れない」シリーズは、日常的な記憶の格納場所でありシステマチックな引き出しにもなっている。またその引き出しは次の何かのネタ帳にもなるよな、と感じている。

ま、そんなにたいしたことにはならないと思うけど。


2024 / 2 / 24

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