無題32_2

表現の不自由展への公金投入が何故ダメなのか?という疑問を持った

ここ数日世間を騒がせている、表現の不自由展の企画中止及び公金投入問題。

この展覧会への是非については様々な著名人や団体がそれぞれの見解を発信している。というか、かなりの著名人でも意見が割れている印象がある。まず、浅学なただの一大学生としてはこれは非常に困る。どちらを信じていいのか判別がつかないからだ。

そして、双方の意見を見比べているうちに私は思った。

「なぜ表現の不自由展への公金投入はダメなのか?」

と。

ネットでは様々な意見が飛び交っているが、反対派は「公金を投入するのがいけない」、賛成派は「表現の自由が侵されたことを遺憾に思う」というものばかりで、「表現の不自由展に公金を投入するのが何故いけないか」というのを議論している人があまりにも少なかった。というか、私の観測する限り、ゼロだった。(サーチが甘いのかもしれない)

まず、公金投入に対して批判的な意見を前面に出している吉村知事のツイートを見てみる。

ありえません、とはなんだ。全く理由になっていない。そもそも140文字制限のツイートを見てものを判断するのが間違っているのかもしれないが。

私には教養がないので、慰安婦像を設置するのも、天皇陛下の写真を焼いたり踏みつける映像を流すのも、公金を使ってやるのが何故ダメなのかというのが全くわからない。

産経新聞の記事では「常識の問題」とまで書かれていたが、この書き方は表現の自由を真っ向から否定していないだろうか。公金を使ってこういうことをするのがいけないというのなら、どうやら私に常識がなかったようだ。

私が見る限り、表現の不自由展でこのような展示をするのに反対している方々が、公金を使ってこのようなことをしていけないと主張する理由としては、公権力たる公共のあり方、つまりこの国のスタンスや、彼らのイデオロギー的に許されないことであるからというように見えるし、そう考える以外には筋が通らないように見える。

しかし、国のスタンス的に公金を使うのがダメだったのだと仮定すると、つまりそれは、結局多数派のイデオロギー的にアウトだからダメだったということで、それこそ表現の自由に反すると思うのだが、と感じた。

これは、松井大阪府知事の会見。デマの象徴である慰安婦像や単なる誹謗中傷を含む展示物的な展示はよくないというもの。なるほど、これであればある程度は筋が通っているかもしれないと思った。うーん、わからなくなってきた… ただ、慰安婦像がデマだったからといって展示を批判するのは表現の自由的にどうなのだ。そもそも、その慰安婦像が示す事実というのがデマだという根拠が示されていない。その真偽が自明でない以上、表現が規制されてはいけないというのが道理であろう。誹謗中傷という話であれば、後述する昭和天皇の人権を侵害しているのではないかという話に繋がってくるのかなと思う。

次に、大村知事の記者会見について考えてみる。

もし本当に、放火予告が中止の理由なのだとしたら納得がいく。実は公金投入などはそこまで問題なのではなく、安全面が問題なのだと。大村知事の主張も、安全面などを考えて継続は難しいという判断だったと思う。これは至極真っ当だと思う。

やはり、大村知事のスタンスというのは安定感があると感じた。河村市長の発言について憲法違反の可能性が高いという指摘も、安全面の問題があるから中止するという判断も、理に適っているように感じた。

最後に、これはあまり世間の話題に上がっていなかった気がするのだが、昭和天皇の写真を焼くというのは、単純に昭和天皇の人権を侵害しているのではないかという話。私はあまり人権に詳しくないのでこれが正しいのかは判断できないが、写真を焼かれたり顔写真を踏まれたりする昭和天皇が私は単純に可哀想だと思った。自分だったら嫌だもん。

そしてこれは追記にもあるように、現在の憲法においては、皇族は国民に含まれないため、基本的人権が保障されていないという問題に繋がっていく。これは日本国憲法の根本的欠陥であり、早急な解決が望まれる事項であると考える。しかしながら、現状存在する改憲派政党で、この点を懸案事項として掲げている党は存在していなかったと記憶している。これは非常に残念なことであり、問題意識の国民への浸透が望まれる事項なのではないだろうかと思う。

以上が、浅学な大学生なりに思ったことだった。というか、これを書いたり問題について調べているうちに何が何だか分からなくなってきた。結局何が問題の焦点なのか分からないのである。願わくば、これを読んだ方は意見していただけると私はハッピーである。なにせ、社会も政治もわからない。教養ある方々の見解をぜひ聞きたいのである。もし私の言っていることが見当違いであれば、多分このエントリは拡散されずひっそりと息を引き取っていると思う。それはそれで良いのだが… もし批判をいただけたらこの記事に追記していきたいと思う。

wikipedia(過信は禁物だが一連の流れがまとまっている)

以下、団体や著名人の見解など(随時追加予定)

〜追記〜

・もっともこの件に関わっているであろう津田大介氏を話に出していなかった。でも私は津田大介氏に関してそこまで詳しくない。

・この問題の本質は、公金の投入に問題はないのになぜ批判する人がいるのか、だという指摘を受けた。この事件の焦点は表現に対するテロの是非と名古屋市長の検閲容認ともとれる発言の是非と。表現の自由は憲法で規定されているので否定する理由がないということだ。これは非常に納得できる、私はもともと公金投入を批判する人間が大量にいるのに、誰一人その正当な理由を示していないことに疑問を持って本エントリを執筆した。そもそも公金投入は問題なく、議論に値しないということであれば、誰一人正当な理由を示していないのには合点がいくだろう。

・やはり、大村氏が中止を決定した理由にあるように、この件の問題はテロリズムと私刑にあるのだろうと思った。

やはり、問題は、公権力VS表現の自由ではないのではないか。河村市長や、大阪維新の会の方々の発言により、それがあたかも公権力による表現規制であるかのように見えてしまっている部分があるのかなと感じた。

・(以下)わかる、、、


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