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【読書記録】かとうちあき『野宿入門 ちょっと自由になる生き方』【寝袋にもランクがある】

こちらは、ひたすら読者に野宿を勧めてくれる本です。
筆者の経験から勧められる野宿スタイル…。
できたら私は避けたい事態ですが、いつ何時緊急事態が起こるかは誰にも分かりません。
何事も知らないよりは知っておいた方がいい、それは私も同意するところであります。


知らない世界を覗き見るのはとても面白いです。
私は一生できることならばしたくないと思う野宿を、筆者は「したい!」と思って自発的に行っている。
誰かにとってマイナスなことも、誰かにとってはプラスになり得る。
そんなことを感じる1冊でありました。

印象に残った部分を引用します。

 そういえば、大学卒業時の目標ですが、ほかにも「無理せず、愉しく暮らす」「毎年、野宿旅行をする」などがありました。
 わたしは「野宿」をすることが好きだったからです。(中略)
 わたしが、現在ハタから見るとしょんぼりな状態であったとしても、それでも「いいじゃないか」と思えるのは、たぶん「野宿」あってのことなのです。
 もちろん、野宿が愉しいから、ということもあります。が、野宿場所には、そりゃお風呂なんかないですし、ないならないでなんとかなる。なんとかすることが、愉しい。
 そうやって考えられるようになったのは、「野宿」のおかげだからです。
 野宿をすることによって、わたしは大人になっていった。「立派な大人」には、なれなかったけれど。
「いいトシして」なんて気にしていても、なんだかうまくいかないし、行きづまってしまいます。「かくあるべし」に縛られていては、なんだか窮屈です。
 縛られたまま「ひと並み」から脱線なんかしちゃった日には、なおさらでしょう。
 だったら、いくつになっても「トシ」や「世間体」に、必要以上に囚われないことが大切なんじゃないか、などと思うのです。

p.12~p.14

 さあ、あなたは野宿をしました。
 朝になって、目が覚めます。
 太陽がまぶしい。朝が来て、よかった。
 まずは、ぶじだったことに、ほっとするかもしれません。そこで、これこそが「野宿効果」というものだと、わたしは主張したいのです。「朝が来たことが嬉しい」だなんて、大人になるとそんなこと、滅多やたらにあるものではないと思うからです。

p.62

 ということは、なにはともあれ「最初の一歩を踏み出す」というのが野宿に親しむために、もっとも重要なことなのです。
 物事はなんでもそうですが、一回してしまえば「こんなものか」と思うことも多い。(中略)そして、「こんなものか」というのが感覚として判りさえすれば、次からは意外と気を楽にして行えてしまうものなのです。(中略)「なんとかなる」と思えるのは、どんなに心強いことでしょう。

p.66~p.67

 ほうぼうを転々とし、そこかしこでなるべく快適な「一夜限りの即席の我が家」を見つけてゆくこと。これが、野宿旅行という行為の「野宿」の部分であり、わたしたちは野宿をすることで、それまでまったく接点のなかったそこかしこの場所を、いっときだけ自分のとても身近なもの(=我が家)として引きつけている。
 野宿をすることによって、その場所を、より自分に近しいものとして感じることができるのです。

p.145

読み終わってもとても「野宿をしたい!」とはなりませんでしたが、自分の価値観にはないものだったので面白かったです。


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