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父と娘2人暮らし

胎盤からの出血の後、新たな出血はなかったが、1か月の経過観察入院になった。
仕事復帰して目まぐるしい日々をしていた所から一転ベッド上でずっと安静を保つのは暇との戦いだった。

部屋は6人部屋だった。みんな妊婦で、それぞれ違う理由での入院だった。
最初は打ち解けなくて、気まずい雰囲気だったが、そのうち、少しずつ話すようにはなった。

でも、同じ部屋であまり仲良くなっても気を使うだけなので、程よい距離感を保つようお互い気をつけていた。

入院している方は、暇との戦いだったが、大吾と娘は、初めての2人暮らしが始まったので、さぞかし大変だろうと思ったていたが、案外なんとかやれているようだった。
丁度、4月になり無認可保育園のまつぼっくりから、認可保育園に入園した矢先だった。

認可保育園の方が預かり時間も長く、家からは近かったのもあった。保育園から帰るとお見舞いに来て、その後ファミレスに寄って帰って、お風呂に入ったら21時に就寝する。麻雀に行けなかったのは辛かったと思う。

洗濯や掃除は、週末私の母が手伝いに来てくれていた。
母は仕事をしていたので、週末にしか来れなかったが、日曜日は保育園がないので、本当に助かった。

生活の面ではなんの問題もないように見えたが、実は娘は私の前じゃないと、うんちが出来なかった。頑なにそこだけは譲らない。お見舞いに来るタイミングでうんちが出るはずもない。そこで、2.3日に1回浣腸をして、私の前でうんちをして帰っていた。

これも今となってはいい思い出だった。
大吾は、私と一緒にいるとモラハラ度MAXだったけど、娘と2人だと優しいお父さんだった。
娘が、思春期になるまでは、娘と2人で出掛けるのが大好きだった。根本にはこの2人暮らし期間の影響もあるかもしれない。

娘は、お姉ちゃんの自覚が芽生えたのか、それとも自然に感じるものなのか、これから先の妊娠期間中私に抱っこをせがむことはなかった。
娘にとって2歳9か月で、双子のお姉ちゃんになる練習期間だったのだろう。

産まれてから一度も離れて暮らしたことがなくても、お互いが離れてもなんとか暮らしていける。
人って結局は小さくても、大きくても、誰かに愛されていたら1人に耐えうるのかもしれない。

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