結婚した日
ちょうど「いつかはあのことを書こう」と思っていたところに、なんとピッタンコなテーマだろうか。
選択、ときたもんだ。
選択には小さなものから大きなものまで(ヤンボーマーボー的な)様々ある。
人はいくつもの選択をしながら日々を過ごしている。
いちいち「ああ…わたし今選んでるわー」と意識していないだけで、1日の中だけでも数えてみたら途中で数が分からなくなるくらいの選択をしているのではないだろうか。
根気のあるどなたかが「今日の選択数」をカウントして下さると良いと思う。
私には無理。
今日の朝ごはんはお米とパンのどちらにしようか。コーヒーか紅茶か、はたまたお茶か。
何色のアイカラーにしようか、リップはどうしようか。
どの靴下を履こうか。
ハンケチはどれにしようか。お友達から頂いた可愛い文鳥のハンケチにしようか。
傘は持ったほうが良いだろうか、折り畳み傘で良いだろうか。
それとも思い切って仕事行くのやめようか。
と、このように家を出るまでの間だけでもたくさんの選択をしている。
ちなみに洗濯ひとつとってもそうだ。
この洗濯物の量は1発で行けるのか…いや無理か…ギリ行けるのではないだろうか…いや、やっぱり2回か…
本日の柔軟剤はどれにしようか。
これはネットに入れようか、面倒くさいからそのままブチ込もうか。
私達は洗濯にも選択を強いられている。
(また無駄な話を挟むという選択)
そろそろ本題に行こう。
私は何か物事を選択して決断するときに直感でガッシガッシと道をかき分け進んで来たふしがある。
私の「直感さん」は「楽しそう!」という非常にシンプルな物差しで物事をとらえている割には良い仕事をして下さる。
そのため私は「直感さん」に絶大な信頼を寄せている。
仲良くなる人、好きな人、「一見いい人風だけど、こいつぁ危ないねえ!」な人、そういった人付き合いの面でも「直感さん」の仕事ぶりは素晴らしいものがある。
おかげで私はとても心地よい人間関係の中に身を置くことができている。
道に迷ったときも私は「直感さん」の指示に従う。某マップで調べることはしない。
上手く使いこなせないとか見方が分からないとかではない。断じて違う。
「直感さん」に言われるがまま歩き続け「おやおや、これは流石におかしいぞ。私を何処に連れて行こうってのかしら。」と思うこともある。結構ある。
俗に言う迷子だ。
だが「直感さん」の示した道をズンズン進んだおかげで「あら!このお煎餅屋さん、有名なところじゃないか!」「このパン屋さん、絶対おいしい気がする!」「猫さんが集会してる!!」といった出会いもあるため、やはり良い仕事をしてくれていると言えよう。
このように普段は難しいことを考えず「直感さん」任せでのんべんだらりと暮らしている私にとって、最も大きな決断と言えばアレだろう。
そう、結婚した時のことだ。
30代半ばのことだ。
当時つき合っていた彼から「結婚しようか」と言われた私は「うん、良いよ」と軽く答えた。
彼が日常的に使っていた「それ一口ちょうだい」とか「ちょっとリモコン取って」という言葉に対するリアクションの「うん、良いよ」と丸っきり同じ軽さであった。
私は結婚願望というものが殆どなく、当時の年齢的にも「何が何でも子ども欲しい〜!」という願望もなかった。
それに加え両親も「結婚しなよ~。結婚て良いよ〜。」「孫が見たい!まーご!Sayまーご!!まーご!!」というタイプでは全く無かった。
そのため「結婚することになった自分」というのをどこか他人事のように感じていた。
ボンヤリしている当事者(私)に反し、周りはとても喜んでいた。
「あのズボラ&ポンコツがついに嫁に!!」
親戚や同僚、友人達は「ああ良かった。これで自分達が面倒を看る手間が少し省ける。」と胸を撫で下ろしていたという。
心外だ。
そんなこんなで看護師の仕事をする傍ら、休日には結婚後に暮らす家を見に行ったり、式場選びをしたり、どことなく気恥ずかしい衣装や指輪を選んだり…という日々が始まった。
そして私はものごっつい疲れていた。
ある日、既婚の同僚から「良いなあ。今めっちゃ楽しい時期だよね。あの頃が1番楽しかったわ。」と言われた。
私は一瞬何のことを言われたのか分からなかった。
え、全然楽しくないよ?
という言葉を私は慌てて飲み込んだ。
同僚があまりにもツヤツヤキラキラした顔で「どんな家になりそう?」
「式場どうだった?」
「指輪どんな?」
など尋ねてくるため、私も出来る限りツヤツヤ顔を作りながら質問に答えた。
私はちっとも楽しんでいなかった。
家も式場も指輪もいちいち意見が合わず、私が「これだけは絶対イヤ!」というものを彼はことごとく選んでいた。
逆に私が「これ!」というものを、彼はことごとく却下した。
結婚にまつわる決め事でどんどんストレスがたまっていき、夢にまで見るほど苦痛となっていた。
「なんだこの棚ァァァァァァ!!」という自分のクソデカ寝言で目覚めた夜もあった。
よほど気に入らない棚が新居に運びこまれる夢でも見たのだろう。可哀想に。
だが「育った環境やら何やらが全く異なるいい歳をした大人が共に暮らすのだから、価値観の違いや意見の衝突は仕方ないのだろう。」と私は思っていた。
夜な夜なギリギリギリィィィィィィと歯ぎしりをしながらも、本当にそう思えていた。
どうにかこうにかお互いの落としどころを見つけ、結婚式や結婚後の生活が1つ1つ形を作り始めていた。
もう少し揉め続けたら歯がすり減って失くなってしまうところであった。
そして、私は久しく「直感さん」の声を聞いていないことに気づいていた。
話し合いの中で最も時間を費やしたのは「結婚後の私の仕事」についてであった。
彼側の、とある事情により私は仕事を辞めることになっていた。
私はその事に100%納得したわけではなかったが「新しい土地で新しい生活が落ち着いて来た頃にシレっと精神科看護師の仕事を再開すれば良いか〜」と自分の心を宥めていた。
具体的な退職の時期が決まり、院内でも正式な発表がなされた。
すれ違う職員からは口々に「おめでとうございます。」と声を掛けてもらい、早々に素敵なお祝いの品を頂いたりもした。
長いこと仕事を組んでいた医師からは「なんだか不思議な気がするよ。寂しくなるなあ。」と言われ、普段は遠慮なく罵り合ったり鼻フックをし合う仲であったが流石に泣いてしまった。
遠く離れた田舎暮らしの伯父は、まだ式の日取りも決まっていないのに白いワイシャツを新調したという。
それもちょっと良いシャツにしたそうだ。
3日と空けず電話がかかってきては「式はいつだ。」と確認された。
この頃には「ああ、結婚するということはこんなにも皆が喜んでくれるものなのか。」と、じんわりと幸せな気持ちに包まれ始めていた。
このあと教会の鐘ゴォォォン🔔
あるいは三三九度ブオォォォ〜🐚
めでたしめでたし。
いや、そうはいくか。
しつこいでおなじみの私のnoteである。
終わってたまるか。(?)
とある日のこと。
私は勤務室から日常の病棟の風景を眺めていた。
あらやだ、あんなところにふんどしが干してある。また◯◯さんが勝手に干したのだろう。
あっちではルール不明のオセロをひたすら並べるだけの遊びが延々と行われている。何が楽しいのだろうか。
こっちでは思春期女子が集まってヒソヒソやっている。恋バナでもしているのだろう。
あるいはイケメン研修医の噂話か。
ああ、あそこでは喧嘩が始まりそうだ。
そのとき突然に「本当に結婚するの?」と誰かに聞かれた気がした。
「するよ。もう決めたし。
年齢的にも今しておくのが良いと思うし。
彼は私には勿体無いような素晴らしい人だし。親も周りも喜んでいるし。」
結婚する理由を挙げているつもりが何だか言い訳のように思えてきた。
誰に何のために必死で言い訳をしているのか分からなかったが、私の言い訳は止まらなくなった。
だって、だって、もうやめられないではないか。式場や食事会や新居など、色々なことが決まり始めている。
退職日も決まっている。
後任看護師さんの候補も決まっている。
それに何より、伯父さんは高いワイシャツを買ってしまった。
「ねえ、本当にそれ楽しい?」
声の主は「直感さん」だろうか。
ずいぶん久しぶりな気もする。今まで何処へ行っていたのか。遅かったじゃないか。
それとも私が「直感さん」を無視していたのだろうか。
患者さん達が楽しげに手を叩いて笑っているのが見える。
泣いている患者さんを数人の患者さんが慰めている姿も目に入る。
細い窓越しの空を眩しそうに眺めていた患者さんが、私に気づいて手招きしている。
なんて優しく温かく、そして美しい風景だろう。
ああ、もうダメだ。
私はやっぱり結婚できない。
結婚をやめよう。
あの瞬間にハッキリそう決めたのであった。
その日の夜には彼に「結婚をやめたい」ということを告げ、驚いた彼はスッ飛んできた。
私は結婚をやめたい理由をそのまま正直に伝えたが、彼も「はい、そうですか。」と理解するはずもなく「マリッジブルーなのではないか。」と、私の精神状態を案じていた。
無理もない。
その後は数ヶ月にわたり話し合いを重ね、時にお互いの親も交えて話をしてみたが私の気持ちは変わらなかった。
最後には彼が「仕事を続けても良い」と言ってもくれたが、私はそれでも何故か「結婚しない」という選択をした。
一度だけ彼および彼の家族とバッチバチのバトルになりかけたことがあった。
私が100%悪いのだから、どう責められようとも仕方ない。
しかし父が「あのねえ、もうダメだと思うよ?今のかをちゃん見てよ。結婚の話が進むに連れてさ、どんどんほら、何てえの?あれだよ、ブスになって来てるもの。」と呑気に言った。
え、今ブスって言った?
いや、まさか。聞き間違いだよね?
その場にいた全員が顔をチラチラ見合わせながら心の中でそう会話をした。
婚約破棄しようとしている双方の家族が初めて1つになるという要らぬミラクルである。
父の1言が功を奏したのかは不明であるが、彼も最後には納得し「結婚が先に見えないのなら、もう付き合うこともできない。」と別れの言葉を口にした。
もちろん私に「いやだ、別れたくない」など言える権利などあるはずもなく、私は彼の言葉を受け入れた。
幸い(?)結納など面倒なことはスッ飛ばしていたのでお金のゴタゴタなどもなくお別れとなった。
こうして私は結婚をやめ、恋人とも別れることとなった。
職場には「やっぱり辞めるのやめる。結婚やめたから。」と、ややこしい申し出をした。
幸いにも「おお!本当に?こう言ったらアレだけど良かった良かった!」と何故か喜ばれ、そのまま何もなかったかのように働くこととなった。
その日のうちに「なんか急に結婚やめて、辞めるのもやめて普通に働くらしいよ」というややこしい話が院内にも瞬く間にひろがった。
「かをちゃんwあれだねwwいきかけて戻ってきたから、かをちゃんのこと『蘇生』て呼ぶねwww」と同期からは愉快げにイジられた。
私も離婚した同期達のことをブーメランと呼んでいたのでお互い様だろう。
しかし「蘇生」とは上手いことを言ったものだ。
お気づきの方もおいでだろうか。
そろそろツッコミが聞こえてきそうだ。
あれ?さっき「結婚した」て言ってなかった?わざわざ大見出しで。
結婚してないじゃん!!
そう、私は結婚しなかったのである。
彼とはしなかったのだ。
ならば私はいったい誰と結婚したのか。
前述の彼と結婚することになったとき、母からダイヤの指輪を譲り受けた。
太古の昔、父から母へ贈られたダイヤだ。
婚約破棄のゴタゴタでその存在を忘れていたが、私の左手の薬指にリサイズしたものが出来上がってしまったのだ。
彼と別れたあとに。
素敵な指輪だ。
父と母に指輪を嵌めたところを見せると大層よろこんでくれた。
そして、せっかくだから結婚することにした。
私は自分自身と。
どんなときも、まずは私が私自身のことを大切にするという誓いだ。
命ある限りだ。
「私」が「私」を大切に出来て初めて、家族や患者さんといった周りの人のことも大切に出来るのではないかと思った。
あのとき「直感さん」の声を無視して彼と結婚していたら、このことに気づけなかっただろう。
結婚を選んでいたとして、それはそれで素晴らしい経験をし素晴らしい景色が見えたのかもしれない。
(彼にとっては地獄だったかもしれない。)
しかし今の私は目の前の患者さん達や共に働く仲間、パンチのきいた家族や親戚、私をイジリ倒しながらも何やかんや面倒を看てくれる友人たちに囲まれて幸せである。
何より「看護」こそが私の歓びであり、手放すことなど絶対に出来ないものであると実感した。
あのとき「結婚しない」という選択をしたことで、たくさんの患者さん達と出会うことが出来た。
嬉しいことも悲しいこともたくさんあり、1つ1つ忘れることの出来ない大切なものだ。
「大切」が増えていくことほど幸せなことはない。
この先もなるべく悔いのない「選択」をしながら生きていきたいと思う。
というよりも「何を選んでも、その選んだ先で楽しさを見つけられる」ような人でありたい。
誰かや何かのせいにせず、自分で選択していきたい。
「直感さん」の力を借りながら。
ちなみに伯父が買ってしまったワイシャツ代は私が支払うのが筋だろうなとも思ったが、私は未だにしらばっくれている。
そのうち私と誰かの選択がピッタリ合わさって、伯父にワイシャツを着せてやれる日も来るかもしれないのでもう少し放っておこうと思う。