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その日々

ああいやだ、いやだ。
驚いてしまった。
前回のnoteを書いてから1ヶ月近く経ってしもうてるやないの。
不思議だが体感5日くらいである。
呑気にもほどがある。
何か特別なことでも起きていたのかと言うと、

特にない。

それが恐ろしい。
何かもんのすごいことに取り組んでいたとか、何かものごっついことを成し遂げたとか、そういったことが一切ないのに1ヶ月も経っているということが恐ろしい。

ただただ通常運転の日常を送っていた。
暑い暑いと騒ぎながらお仕事に行き、患者さん達と戯れ、休憩では魚肉ソーセージをかじり同僚とヘラヘラし、家でもヘラヘラし、とにかくヘラヘラヘラヘラヘラヘラして過ごしていた。

書きながら思い出してきたが、仕事に関してはちょいと忙しかった気もする。

今年の夏が、まるで「呼ばれてもいないパーリィに土足で押しかけ、爆音で歌い踊り、最後の最後まで酒を飲んでハッスルハッスル♡やっと帰ってくれたと思ったらまた戻ってきて大はしゃぎ♡♡」という、空気を全く読めない陽キャのような鬱陶しさであったためか、体調を崩す患者さんが多かった。
(しかも夏、まだ居るし。)

それに加え新型コロナとインフルエンザの大流行である。
すごい勢いで感染者数が増えている印象だ。
そりゃ忙しいに決まっている。

ちょっとここらでお話は横道に入り、ついでにオシャレなカフェに入り、あわよくばコーヒーゼリーでも食べっちまおうと思う。
私自身は「5類になった」というワードを聞いても「で?」と思っているタイプだ。
「5類になった=特別な対策は必要ない」ということではないと考えている。
ところが「5類になったから何でもOKっぽい!フゥ~!」という勘違いをしている方々も実際にはチランホランいるように思う。

院内でマスクを着用していない(持参さえしていない)患者さんも多い。
マスク着用をお願いすると「国は要らないと言っているじゃろうが!!」とお怒りになられる困ったちゃんもおり、事務さんは辟易している。
(これは精神科に限ったお話ではない。)

外来はパンクし、入院調整に難儀し、医師や看護師が力尽きた蝉さんのようにあちらこちらに転がっている。
私には踏まないように気をつけてあげることくらいしか出来ない。

幸い私は蝉になることもなく、毎日ヘラヘラしている。

そんな私の近況はというと、通常業務に加え最近は看護学生さん達のカウンセリングを担当することが増えた。
悩める看護学生さん達……みな真面目で一生懸命で細やかなゆえに苦しんでおられる。

「看護師になる自信がない。」
「看護師に向いていないように思う。」
「学校の人間関係が上手くいかない。」
「勉強についていけない。」
不眠や食思不振、気分や意欲の低下、不安感、物悲しさなどの精神的な症状および様々な身体症状を呈している。

中でも「実習がつらい。」「実習に行けない。」という訴えがブッちぎりで多い。

実習とは病棟実習のことである。
もちろん私も何十年前に経験している。
薄れることのない恐怖記憶として、すらすらとスムーズに書くことができた記事がコチラである。

学生さん達のお話を聞いていて驚くことがある。
時代は変っても「指導者」という存在の特殊さ、独特さが変っていないということだ。

指導者を務める看護師の殆どは、厳しい面もあるかもしれないが「必要なことをきちんと学んでもらいたい」という気持ちで学生さんと接している。

が、中には傍から見ていて「これはただの意地悪では…」「何故そんな理不尽なことを…」と感じる指導者も一定数いるっちゃいる。
そういう看護師は患者さんに対しても同じような態度をとることがあり、根っこがこう、何と言うかアレなのだろう。

実習において多少の「厳しさ」は必要であるが「意地悪さ」と「理不尽さ」と「無愛想さ」といったものは全く不要だ。
(今、愛しさと切なさと心強さと〜♪が脳内で再生された方々はおそらく同世代だ)

恐ろしい指導者が原因で、学生さんが実習に行こうとすると足がすくむなど元も子もない話である。

私の学生時代も各病棟に必ず数名いた。

そのスジで有名な指導者が。


私は学生寮で1学年上の先輩と暮らしていたため、その辺の情報については詳しかった。
先輩は私の「年間実習スケジュール表」を穴が開くほど見て「とりあえず恐ろしい目に遭うのはココとココと、それからココかな。」と、いくつかの病棟にマーカーで印をつける。
次に「要注意」の指導者の名前を書いていく。
敵の情報をしっかりと事前に頭にぶち込んで、そして対策を練って敵地へ向かう。
そう。実習とは戦いである。

私は「何だ、この人…」と感じた指導者の名前は未だに覚えている。

しかもフルネームで4人。

こう見えて実は私は四十路である。
実習に出ていたのは当然ガラスの十代の頃の話だ。
数日前の出来事も簡単に忘れてしまう私が覚えているのだから、これは相当なことである。

あるとき、レポートを見た指導者から「何なのこれ。どうしてこんなに余白があるの?余白とかあり得ないから余白つくらないで。」と言われた。
一生懸命に余白を埋めて再提出すると「字が小さすぎて読めない。」と突き返された。
翌日は「こんなに内容が薄いのに、よく埋まったね。例えばもっと◯◯とか△△を書いてほしいわけ。」と突き返された。
正直◯◯や△△について納得はしていなかったが仕方なく書いて提出すると「何かさあ、自分の言葉じゃないんだよね。気持ちがこもってない。」と突き返された。

おい、このやろう〜♡
交換日記じゃないんだぞ♡


あれほど行ったり来たりする必要があったのだろうか、あのレポートは。

また別の病棟では氷枕を何度も作り直させられた。
あの赤茶色のゴムで出来た、氷と水を入れて口を金具で止める氷枕だ。
アイスノンという便利なものがあるのに。

こさえた氷枕を指導者にチェックしてもらうと「氷も水も多すぎ。」と顔も見ずにダメ出しされた。
作り直し、忙しくしている指導者のもとに持っていくと「水すくなすぎ。」とダメ出しされる。
またも作り直していると、心優しい看護師さんが「これくらいで良いと思うよ〜。」と声を掛けてくれた。
自信満々でそれを持っていくと「ハァ…何で丁度よくならないかなぁ」とタメ息をつかれた。
助けてくれた看護師さんのことを想うと「もう絶対に作り直したくない。これが完璧な氷枕だ。」という気持ちになった。
そこで私は作り直したふりをして、しばらく時間を空けてから再び指導者のもとに行き「今度はどうですか?」と尋ねた。
「……まあ良いんじゃない。」と指導者は素っ気なく言った。

まあ良いんじゃない。

さっきと1ミリも変ってないのにぃ?
信じがたい1言であった。
氷枕の口を止める金具で指導者の口を挟んでおけばよかった。

ちなみに氷枕の読み方は「ひょうちん」である。
私はこの意地悪な指導者に「何かアナタの『ひょうちん』のイントネーションがイラっとする。」とも言われた。
ここまで来ると言いがかりではないのか。
「こおりまくら」で良いではないか。
正しくは「秒針」のイントネーションと同じらしいが、私の「ひょうちん」は「ムーミン」のイントネーションであった。
ねえ、ひょうちん♪
勝手にイラっとしてて♪♪である。


私の実習の話は尽きないのでこの辺にする。
ちょっと書き出すと当時の怒りが再燃し、うっかりすると六法全書ほどの分厚いnoteを書き上げてしまいそうだ。
(六法全書って分厚いのかしら)


目の前では今まさに実習という地獄を味わっている看護学生さんが俯いている。
キレイな瞳に大粒の涙が今にもこぼれそうになっている。

これは看護学生さんに限った話ではなく、全ての患者さんに言えることだが、
「何がしんどいのか、つらいのか。」「今どんな気持ちを抱えているのか。」をどれほど聞かせてもらっても「その日々」を過ごすことが出来るのは「その人」しかいない。
私達一人一人の人生は「自分」だけのものであり、誰も代わりとなる人はいない。
その中で、つらくてつらくて仕方ない日々や時間をどう過ごせば良いのだろうか。

私はどうやって来たのだろう。

私は寮で同級生や先輩と意地悪指導者のモノマネをして大悪口を吐いていた。
私は涙よりも悪口のほうが出しやすいタイプだ。
泣くな、という話ではない。出てくるものは貯めないほうが良いという話だ。

また、渦中にいるときは到底信じられずイメージも湧かないのであるが「時間が必ず解決に導いてくれる」ということが大きいように思う。
私は患者さんに常々このことをお伝えしている。

先日、顔を見せに来てくれた元患者さん(思春期の頃から治療を受け、今や立派な社会人となった)が「1番しんどい時は『コイツなに呑気なこと言ってんだよ。胡散臭せぇな。今つらいのに、時間が経つまで我慢しろってことかよ。ふざけんなよ。』と思ってましたね〜。でもマジで時間が解決でしたね!」と述べ、爽やかな笑顔で帰っていった。
軽くディスられた気もしたが、とりあえず元気そうで何よりだ。

そう。学校生活しかり、実習しかり、受験しかり、その時はそれが「世界の全て」のように思えてしまうのだが実際はそんなこともない。
(しつこいが、渦中にいるときは気づくのが難しい)

「今いるここもやがては通り過ぎ、いつか振り返る1つの地点にすぎない。」

そう思いながら右足、左足…と少しずつ休み休みでも良いので進んで行くほかない。
1人ぼっちで歩くのは心細いときもあるだろう。
もうダメだ、としゃがみ込んでしまうときもあるだろう。

思うさま泣くことができ、苦しい気持ちを吐き出せる場所になり、
胡散臭いと思われながらも「時間が必ず解決する」と伝え続け、
どうしたどうした、今日は何があった?と耳と心を傾ける。
ちょっと休んだら「ほんのちょこっとだけ頑張って立ってみよう」と両手を支える。
そして、患者さんが歩き出す姿を少し後ろからこっそり見守る。
そんな存在が「看護師」という同じ職業を目指す患者さん達の力になれたら良いと思う。
何の力になれないとしても、居てみようと思う。

そして意地悪指導者については「私のときは『ひょうちん』のイントネーションにまでイチャモンつけるのが居たのよ〜」とガンガン共有している。
大粒の涙を浮かべていた子も「え!それはヤバい…(笑)むかつく…」と、はにかんで笑っている。

こんなに可愛いらしい頑張り屋さんたちが、少しでも笑って前を向けるのなら、私も意地悪された甲斐があったってなもんだ。
今もあの指導者のことは大嫌いであるが、こうしてnoteでもネタに出来ているので、多少の感謝は申し上げたい。

私の元へ通ってくれている看護学生さん達があちらこちらでけっ躓いたら、そのたび私も一緒に躓いて「痛いじゃないか。そいだらば次はどうやる?」「躓かないため何が出来るかしら?」と一緒に考えていけたら良い。
彼女達がすんばらしい看護師さんになる日まで、私も一緒に戦ってまいろうと思う。

一方、あまりにも目に余る指導者ちゃまには「氷枕なんて使わないでアイスノンになさい。」「やむを得ず氷枕を使う場合はイントネーションなんかに拘るんじゃあないよ。」と言おうと思う。

すんばらしい看護師さんが次々と育ち巣立っていくということは、患者さんにとってはもちろん、一緒に働く私達にとっても心強く有り難いことなのだから。

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