宮田哲治

宮田哲治

最近の記事

自分の性についての暫定稿

外見上、戸籍上、男。 恋愛や性欲の対象は女性。 男性に欲情したり、恋愛感情を抱いたことはない。 性自認もずっと男性で、ずっと男性としての自覚で生きてきた。いくつかのゆらぎはあったが、何十年もの間、自分の男性性に対して疑問も関心もとくにはなかったと思う。 しかし女性が当たり前にするように髪を伸ばしたいとか、スカートを履きたい、日傘を差したい、アームカバーもという願望はずっと以前からあった。 しかし自分で自分を抑圧してきた。 女性であれば不要な説明や、他からの圧迫や攻撃、驚きや

    • 闘うことと闘わないこと

      闘わないことは弱いことだろうか。 もしそうだというのならそれでもいい。闘うことはとても大変なことだ。頑張らないといけないし、頑張ることはいつまでも続けられることではない。 危害を加えられる、自由や権利を侵害される。それに対して闘わないことはそれを容認することだと、あなたは言うかもしれない。それはたぶん間違ってはいない。 大切なものを守りたいなら闘えと、誰もが口をそろえる。モニターとスピーカーからも「闘え」があふれてくる。 闘うことはとても大変なことだ。ほんとうに闘おうとす

      • あなたは私を何と呼ぶ?

        「私たちは普通で、あなたは障害者」 「私たちは普通で、あなたはオルタナティブ」 「私たちはできる。あなたはできない」 そういう分け方は嫌い。 それはきっと便利な苦しみなんだ。 あなたが楽をするために誰かを苦しめる。あなたはそんな世界を望むんですか。あなたはそれで楽しいですか。苦しくないですか。私はそういう世界は嫌いです。 さて、あなたは私のことを何と呼びますか? 答えが欲しいですか? あなたの好きに呼べばいいんです。私が答えるか答えないか決めるだけです。

        • SDGsは疑問の余地のない善か

          Sustainable Development Goals。 人々の目を、世界を苦しめる根本原因から逸らさせるランドマークみたいなものだ。 世界を苦しめているいちばんの大元はお金。 人々はお金の奪い合いに拘泥し、お金がないためにひとは苦しみ、あるいは時間も奪われ尊厳も奪われひとは死ぬ。作物や食べ物が捨てられ水も汚され、土も駄目にして我々の子孫さえ苦しめ、世代の生命を削り取る。世代間の殺人ともいえる。 そのお金のあり方や仕組こそ、我々が目をむけ、考え、どうにかしなければならな

        自分の性についての暫定稿

          受診メモ_2023.05.27(仮)

          筋トレはオーバーワークに注意。筋肉痛は合図。脳内代謝が増えたからってその人にとって最適かどうかは別。 やっぱりキーはテストステロンらしい。 持久力?ヨガの負荷を高めりゃいいでしょ? がむしゃらに山登り山歩きする? こっちは読書する時間が欲しいんだ。 趣味でもやりたいことでもないことにのんびり時間を使うような心持じゃないね。まあ本を読みながら山歩きできるようならやるかもしれんが。 いやいや限界に挑戦する山歩きなんてどうだ? 心理的なアプローチは元気に動ける前提があって、って

          受診メモ_2023.05.27(仮)

          Invictus By William Ernest Henley

          Out of the night that covers me, Black as the pit from pole to pole, I thank whatever gods may be For my unconquerable soul. In the fell clutch of circumstance I have not winced nor cried aloud. Under the bludgeonings of chance My head is

          Invictus By William Ernest Henley

          現代の日本人は「満足しきったお坊ちゃん」以下の代物、「傲岸不遜でしかないお客」

          現在ではいささか肩身の狭いらしい「所有」ということに強いこだわりをもち、そのことに慣れきっている私。 自分にいっさい所有権がない何かを「使用」することに、根本的な信頼を抱かない人間。そんなものはいつか自分の知らないあいだになくなったり姿を変えたりする、そんなことに虚しさを感じる私。 だから配信サービスやサブスクに価値を認めはするが、感じはしない。 一時的な使用権にだけお金を支払うシステムはよい。ただしそれを継続的に繰り返すことには、そもそも不信しかない。自分がいっさい決定権を

          現代の日本人は「満足しきったお坊ちゃん」以下の代物、「傲岸不遜でしかないお客」

          交渉という人間の営みに関する走り書き

          以下にいうことは、あまりにも理想的、非現実的、あるいは夢想がすぎると見えるかもしれない。だが、私はそこまで悲観的ではない。つまりじゅうぶん実現可能だと認識している。大抵の発明がそうであるように、まずは今あるものの新しい組み合わせを発見すればよいのである。 人間の様々な活動の中で、交渉というのは最も馬鹿げたものの一つではなかろうか。つまり、お互いの置かれた状況や立場、利害を完全にあるいは必要なだけお互いが、もしくは「誰かが」理解をしていれば、必然と一つの結論に収束するはずであ

          交渉という人間の営みに関する走り書き

          国連憲章は自衛権も武力行使も容認している。そして敵国条項。日本語と英語の各テキストの比較をふくめて。

          国連憲章日本語テキスト。 国連憲章英語テキスト。 日本語テキストはUNICに、英語テキストはUN.Orgにそれぞれよった。 言うまでもなく英語テキストは正文であり、日本語テキストは正文ではない。 凡例:「」、日:は日本語テキストを引く。””、英:は英語テキストを引く。太字は筆者による。 UNICに関する参考情報:日本語による国際連合ウェブサイト開設に関する質問主意書。 序。日本語テキストの「序」にあたる部分は上リンク先を含むun.orgサイト内に対等の文書は見当たらない。

          国連憲章は自衛権も武力行使も容認している。そして敵国条項。日本語と英語の各テキストの比較をふくめて。

          コンプライアンスや法令遵守に対する個の主権と他者危害原理の位置を公共の福祉の定義と併せて考える

          最近コンプライアンス、コンプラコンプラってうるさいんで、法令遵守とは何なのか、法令は必ず遵守しないといけないのか、そしてその理由というところを確認します。あくまで個人的にです。 法令遵守とコンプライアンスの定義 まず法令遵守とは、コンプライアンスとは何なのか。 法令の定めを自然に解釈し従うことと、違反の危険をむやみに犯さないことであり、併せて社会規範に関してもこれを準用することがコンプライアンスの定義であることは、最も多くの同意を得られるはずです。 私自身の定義も、概略は

          コンプライアンスや法令遵守に対する個の主権と他者危害原理の位置を公共の福祉の定義と併せて考える

          「朝食抜き」の方が圧倒的によかった自分

          断続的断食法?プチ断食? ダイエットの話? それはさいご。まずは午前中の体調の話です。 現在は朝食をあえて食べない生活をしていますが、独立した生活を始めてからも数年は、疑うことのない習慣として朝食を食べていました。 「午前中はなんかだるい。午前中は一日のうちで最も高いパフォーマンスを発揮できる時間だ、なんてどこの誰の話?」 ところが朝食を抜いて仕事に行ったその日は、頭がピリピリして、冴えてる感覚がありました。 しばらくはその習慣を続け、とくに不具合やデメリットを感じなかっ

          「朝食抜き」の方が圧倒的によかった自分

          より自由に生きたいのなら

          自由というのは、法で保障されて初めて存在するようなあやういものでは決してない。 個というものが存在としてそもそも自由なのだ。自由であることが個として本質的なことなのだ。 生物で個として自由に生きていないものは、本質からずれている。 ひとを自由でなくしているものは概念だ。自分を縛りつけ、自らを抑圧する概念を自分から取り払えば、その分だけ人は自由になれる。 人間の自由な外面のために絶対に必要なものは内面の自由。 たとえ不可避的に物理的な制約下や強制下にあるとしても、絶対に放棄し

          より自由に生きたいのなら

          カーボンニュートラルは日本の経済的自殺

          まずここでの「カーボンニュートラル」の定義を。 環境省によれば「温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させることを意味します」とある。 また『二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの「排出量」※ から、植林、森林管理などによる「吸収量」※ を差し引いて、合計を実質的にゼロにする』とあり、「温室効果ガスの排出量の削減」を謳っている。ここでは「温室効果ガスの排出量の削減」のための政策とそれに従う企業活動と定義する。 参考リンク:https://ondankataisaku.env.go

          カーボンニュートラルは日本の経済的自殺

          愚かであるということ

          私は自分以外の人々のより多くが、愚かでなく生きることを望む。しかしあなた自らが「愚かである」ことを望み、そのように生きることは否定しない。しかし覚悟はしてほしい。決して未来を語らず、自分の望まない生も社会も、後悔とともに受け入れなければならないということを。 ここでいう「愚かである」とは、ただ沈黙し従順で服従的であり、自らの自由を捨てて生きることである。そこは哲学も思考とよべるものさえもないただの地平、照らすものなきただの地平だ。 たとえ身体的精神的に、いかなる疾病・事故に

          愚かであるということ

          IPCCの6次報告書に疑問をもつ

          専門的に古気候学を学ばずとも、直近100年、150年の気候の詳細を知らずとも、IPCCの報告書に疑問をもつことはできる。 地球温暖化二酸化炭素犯人説が科学的に疑問の余地のない学説で、かつ地球温暖化が修正されるべき悪であるならば、全人類はそれに立ち向かわねばならない。 報告書いわく「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」そうだ。 本当にそうだろうか。 では氷期と間氷期のサイクル、縄文温暖期、中世温暖期、いくつかの小氷期、地球温暖化の停滞現象

          IPCCの6次報告書に疑問をもつ

          発電源としてのエネルギー選択

          現在ある、または将来開発されるいかなる発電技術のうち、我々がどれを選ぶかは結局は覚悟の問題だと思う。 まず原発は最悪、論外だ。先の震災での被害や影響を我々はいまだに終息できていない。 次に太陽光。 これには大きな懸念がいくつかある。 ひとつはパネルの供給国のうち、一国の占める割合が高すぎること。さらにその供給過程での深刻な人権侵害の懸念も払拭できていない。 またいわゆるメガソーラーと呼ばれるものも、各地で下流域の汚染や土砂災害など問題が顕在化している。 実際の施工現場からは労

          発電源としてのエネルギー選択