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ボクは幸せになんかなっちゃいけない、って実はずっと思っていたんだ。

僕の人生には15年ほど前から月一回くらいの頻度で定期的にアラーム(警報)が鳴るようになった。

そのアラームは、いつも僕と瓜二つの同い年の男性からもたらされ、受話器越しに僕はそのアラームに必死に耳を傾けながら、時にうなづき、時に相手を励ましたりした。

アラームが鳴り止むまでには、毎回2時間くらいはかかるから、そのたびに、妻は、

「あなただって色々と大変なのに、よく付き合ってあげられるわね。」

と半ば呆れながら同情の声をかけてくれる。

いやいや、その悲痛なアラームを聴くこと自体はまったく苦痛じゃないんだけどね。

だって僕は彼の双子の兄貴だから、彼の心の機微は手に取るように分かるし、そのスムーズさがただただ心地よいと思うことすらあるからだ。

でも、このアラームを鳴らすのは彼ではなくて僕だったかもしれない

いや、僕であるべきだった

とどうしたって思ってしまうから、

それがたまらなくしんどいと思うことは何度もあったかな。

4月26日は

そんな僕と弟が生まれた日。

今から約半世紀前に、元々ひとつの命だった僕たちは自然の神秘の力で二つに別れてこの世界に生まれ落ちたのだ。

そう思うと、改めてなんかすげえよなあ。

だから、そんな僕らにとって誕生日はたぶん普通の人より少なくとも2倍は思い入れがある日かもしれない。

だから、その日、たまたまお客さんから受け取ったメールに書かれていた普通にありえない一言に僕は釘付けになり、しばし呆然としてしまった。

そのお客さんは20代の女性で、初めて試したうちの会社の商品をとても気に入ってくれたらしく、わざわざそのお礼のメールを会社に送ってくれたのだった。

それだけでも思わず手を合わせたくなるくらいありがたい話なのに、なんとその手紙の最後には

「どうか幸せになってください」

という一言が添えられていたのだった。

むむ、うむむむ…。

もちろんその言葉は僕個人に対してのものではなく、あくまで会社に勤める全従業員に向けられたものだったけど、

甚だ勝手ながら、このとき僕は神様から初めて許されたような気持ちになってしまったよ。

そんな僕の脳裏には

「(こんな僕でも)幸せになってもいいかな?」

「いいとも!」

という

あのタモさんと観客席に座るたくさんの神様たちとの掛け合いの映像が不意に浮かんだのだった。


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