ボクらのキャンバス
季節は春
確かまだ僕が30を少し過ぎたばかりの頃だった。
会社の近くの中華料理屋さんで、僕を含む数名の若手社員が会社の取締役の偉いおじさんに呼ばれて一緒に会食をしたのは。
そのおじさんは、高卒から現場のたたき上げで出世したいわゆる苦労人で、他の一流大学出身のお偉いさんとはちょっと違う一種、独特の雰囲気をまとった人だった。
あと、見た目も、禿げた草刈正雄みたいでダンディでカッコよかった(ちなみに薄い頭髪にはいつも黒い粉をふりかけていた)
かと言って僕がその人のことを好きだったり尊敬していたかというと全くそういうことはなくて、正直、なんかよく分からない胡散臭いおっさんやなあくらいにしか思っていなかった(だって、頭に黒い粉ふってんだもん)
でも、この会食の時に彼が言ってくれた言葉だけは、なぜだか不思議とずっと僕の心の中に残っている。
そのとき彼は、歴戦の強者の彼からすると、まさに赤子に等しい僕らに向かってこんなことを言ってくれたのだった。
「今、君たちの目の前には大きな真っ白なキャンバスがある。」
「君たちはこれから誰に遠慮することなく自分の好きなようにそのキャンバスに色を重ねていっていいんだよ。」
確かに、その一言は、当時のまだ世間知らずでいろんなことに臆病だった僕の背中を押してくれたように思う。
だから、その後、さんざんそのキャンバスに自分の好きな色を塗りたくった挙句に、もうこのキャンバスじゃ小さいと思った僕は、その会社をあっさりと辞めたのだった。
それから10年ばかりが過ぎた頃だろうか。
その彼がふらっと今の職場に僕を訪ねてきたのは。
すでにもう80近いおじいちゃんなはずなのに、エネルギッシュに新しい自分の事業の話を語り始める彼を見て、その相変わらずのワーカホリックぶりに思わず苦笑してしまったけれど、彼が何のつもりで、いわゆる裏切り者の僕を訪ねてきたかは結局、分からずじまいだった。
で、そのとき、その彼の勢いに圧倒されて彼に言いたくて言えずじまいだったことを、今更ながら、気まぐれにここに書いてみることにする。
あなたのような凄い人じゃない僕にとって人生とは白いキャンバスのような平面的なものじゃなくて、もっと大きさも形も不定型な得体の知れないものでした。
そして、その世界は、僕だけじゃなくて、今まで出会ってきたたくさんの人たちの絵筆によるたくさんの色が加わったとてもカラフルなものでした。
そして、そのカラフルさは決して僕が望んだものじゃなくて、僕が嫌いな色や汚い色もたくさん混ざってしまったものでもありました。
でも、最近、ようやくそんな自分の世界のことが好きになれそうなんです。
だから、なんだかんだ、あのとき背中を押してくれたあなたには感謝してます。
本当にありがとうございました。
しかし、あの青瓢箪みたいだった若造も、気づいたら、あと、何回この季節を迎えられるのだろうか、なんてふと指折り数えてしまうような年齢になってしまった。
それでも、まだまだ未完成な僕の世界にこれからどんな色が加わるのだろうかってこんなにも胸を高鳴らせながら楽しみにしている自分もいる。
そう、また今年も、あともう少しで、性懲りも無く、あのやけに眩しくて思わず途方に暮れてしまう季節がやって来る。
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