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クイズ付き連作短編小説四部作(1)『葉月(8月/夏)の花嫁』


  ※小説の途中に「読者への質問」が挿入されます。


『葉月(8月/夏)の花嫁』(クイズ付き)



    マルティン☆ティモリ作









 帰省、実家の庭に立って裏山を見上げると、僕の脳内にいつも決まって立ち上がってくるひとつのイメージがある。





 『…季節は新緑が目にまぶしい五月。頂(いただき)に近い山腹の、木立に囲まれた古い祠(ほこら)の前に佇んでいるのは白いタキシードに身を包んだ僕自身。その隣にはウエディングドレス姿の女性が寄り添って、僕はポケットから鍵を取り出し、ゆっくりとした動作で祠(ほこら)の扉の錠前を外す…』

 







 ☆   ☆   ☆







 「ん?サンジョウコン!?…って何よ、それ」



 理恵さんが素っ頓狂な声をあげた。



 「あ、うん、山の上で挙げる結婚式のことだよ、『山上婚』。それでね、あの…ごめん、今まで言ってなかったんだけどさ、実は僕の実家っていうのがね…」



 理恵さんは僕のフィアンセだ。



 フルネームを富宇理恵(ふう・りえ)という。



 一年前、職場の義理で参加したパーティの席上で知り合った。



 同じテーブルで、僕の隣席に座ったのが理恵さん。



 僕の指先から筆記用具が滑り落ちて咄嗟(とっさ)に身体を傾けたとき、理恵さんがすかさず手を伸ばしキャッチしてくれた。



 そのとき危うく身体がくっつきそうになって、ふわっと漂ってきたいい香り…



 以後、僕らはふたりで逢うようになり、次の年が明けたのとほぼ同時に結婚の約束を取り交わしたんだ。



 で、その理恵さん、僕の最初の印象としては、背はちっちゃくてショートヘア。目が細めで一見ちょっと地味な感じかなと思ってた。

 ところが、よくよく見るとメリハリのあるキュッと引き締まったボディ。さらに会話を始めれば、これまたエネルギー溢れるハキハキとした物言いで、聞けばそれもそのはず、何と理恵さんは私立の男子校で教壇に立ち、受験学年の高校生たちに理系数学を教えているという。



 …ん?…んんんっ?私立の男子校!?



 う~ん、かつては僕も男子高校生をやってたわけだから想像できてしまうんだけど、理恵さんは日々、教室で、何十人にも及ぶハイティーン男たちの、いわゆる『そういった視線』にさらされているってことなのか…



 付き合い初めた頃、僕は遠慮がちに言ってみたことがある。



 「あの…あのさ、やっぱり女子校とかで教える方がいいんじゃないのかなぁ。理恵さんの学園って系列の女子高校もあるんだろ?同性の方が気持ちが通じ合って授業もやりやすいと思うんだけど…ね、試しに一度、移動申請をしてみたら?」



 聞いて理恵さんはアハハハと笑った。



 「もうっ、わかってないのよね~。女子高生たちの女教師に対するチェックの厳しさといったら、そりゃあもう地獄のエンマ様も真っ青だわよ!でも…アドヴァイス・サンキュ!お気遣いはうれしいけど、わたしは今の職場で十分満足よ。こう見えてもわたし、毎日けっこう楽しくやってるんだから!」



 …ま、理恵さんがそう言うんだから、僕がとやかく言う筋合いはないってことですね。






 





 で、話を戻して…『山上婚』である。






 





 実は、僕の実家は少しばかり変わっている。



 いや、もちろんどこの家庭でも多少は他と違った部分を持っているものなのだが、何が変わっているって、僕の生まれ育った実家には何と独自の『宗教』が存在しているのだ。



 『御梅(おんうめ)教』…それが僕の実家の宗教の名前。信者は祖父母、父、母、そしてひとり息子の僕自身と、たったの5人である。



 「…でね、この『御梅教』なんだけど、僕の祖父である源三郎じいさんが始めたんだ…」



 僕は理恵さんに変な印象を持たれないようにと、顔色をうかがいながら説明する。



 我が家の宗教=『御梅教』の始まりはこうだ…



 源三郎爺さんが子供の頃、裏山(…といってもちょっとした丘という程度のもの。一応は僕の実家の所有なわけだけど、ド田舎のことだし資産と呼ぶほどのものじゃない)に登ってひとり、遊んでいると、斜面のくぼみで何かが光っているのを見つけた。



 何だろう?とくぼみを覗き込んだ爺さんは、その瞬間『腰を抜かすほどびっくりした』のだという。



 早速『そのもの』をくぼみから取り出し、大事に家へと持ち帰った爺さん。日々、眺めるうち『そのもの』には何らかの霊力が備わっていると確信するようになる。

 爺さんはやがて裏山に簡素な祠(ほこら)を建て、その奥に『そのもの』を御神体として安置し拝むようになった。



 この習慣が父母へと受け継がれ、現在、僕で三代目。ま、宗教といっても身内だけのもので、お金も集めないし布教活動もない。ただ気の向いたときに祠(ほこら)を拝むだけのものだから、他の家庭で仏壇を拝んだり、神棚に手をあわせたりするのと何ら変わらない。でも、ただひとつだけ『御梅教』には特有の儀式があった…



 「そう…結婚式だけはちょっと変わった形になるんだよ。それが先に僕が言った『山上婚(さんじょうこん)』。新しく夫婦となった二人で裏山に登り、頂上近くにある祠(ほこら)の扉を開けて、御神体、即ち爺さんが子供の時に拾った『そのもの』が入れてある箱の中を覗き込む。つまり、爺さんと『そのもの』との出会いを再現する儀式ってわけなんだけど…」



 ありがたいことに理恵さんは、我が家の『宗教』についての話を特別変な風に受け取ることもなく、興味津々の表情で聞いてくれていた。



 「それで?祠(ほこら)の中の、お爺さんが見つけたっていう『そのもの』って一体何だったの?」



 理恵さんが訊く。



 「うん、それがね、実は僕も知らないんだ。祠(ほこら)の扉は普段施錠されていて、結婚式を挙げたカップルのみが、たった一度だけ、結婚の儀式として開けることが許される。だから僕の父母も、結婚したその日に一度見たきりらしい。中身については、子供の頃に母に訊いてみたけど、『あんたも結婚したら分かるよ』って言って教えてくれなかったなぁ…」



 話しながら僕は少々不安になってきた。こんな話、やっぱり一般の家庭で育った女の子にはちょっとおかしな風に聞こえるんじゃないだろうか。僕はついつい早口になる。



 「あ、あの…理恵さん。もちろん僕らがこの儀式通りにしなけりゃいけないってわけじゃないんだよ。普通の結婚式場で、神前式でもキリスト教式でも全然オッケー!『御梅教』は他宗教を排除しないんだ。父も好きなようにしなさいって言ってくれてるし、大体、僕自身にしても、進んで信者になったってわけじゃない。爺さんが泣いて頼み込むから仕方なく…」



 「いいわよ」



 「えっ?」



 「わたし、あなたと結婚するって決めたんだもの。儀式通りのやりかたで式を挙げて、結婚後はわたしも『御梅教』の信者になるわ」



 「い、いいの?」



 「うん。もちろん!わたしね、結婚って『死』に似ているって思ってるの」



 「えっ『死』!?」



 「そう、『死』。つまりそれまでの自分とは全然違った存在になるって事。しかもその時自分に起こる変化が一体どんなものなのか、そこに飛び込んでみるまでは全く分からない、女の子だと特にそんな思いが強いかもしれないわね…でもね、わたし、あなたとならそうなってもいいかなって思ったの。だから、オッケーよ。でもひとつだけ…その結婚の儀式、できれば八月にしてほしいな」



 ん?なぜだろう、僕は昔から、『山上婚』といえば山がきれいに見える新緑の季節とずっとイメージし続けてきたんだけど、何か八月じゃないといけない理由でもあるのだろうか?



 だが僕はその理由を尋ねたりはしなかった。



 理恵さんは『山上婚』を受け入れてくれたんだ。それ以上に一体何を望むことがあるというのか。季節なんか何月だってかまわない! 



 「もちろんオッケーだよ!ありがとう理恵さん!僕たち、八月に結婚式を挙げようねっ!」



    ☆   ☆   ☆



 …八月



 手を携(たずさ)え、理恵さんと蝉しぐれの山道を登る。



 実家の裏山の、頂近くにある祠(ほこら)を目指し歩みを進める。



 今日、僕たちは婚礼の日を迎えた。



 裏山の麓には友人や親類たち、そして理恵さんが教える高校の生徒たち何人かも祝福に駆けつけてくれている。だが、彼らがともに裏山に登ることはない。この儀式…裏山に登り、祠(ほこら)の扉を開けるのは、この日に将来を誓い合ったふたりだけに許されたことなのだ。



 木陰を選んで進むも、真夏の山の斜面からは熱気が立ちのぼり、純白のウエディングドレスに身を包んだ理恵さんの開いた背中や胸元には大粒の汗が浮いている。



 タキシード姿の僕も汗だくだ。



 それにしても…と僕は思う…なぜ理恵さんは結婚の儀式を、この暑い八月にしてほしいと望んだのかな?



 これまで僕は一度もその理由を尋ねることはしなかった。それは、この様な奇妙な儀式を受け入れてくれ、さらに結婚後は『御梅教』の信者になるとまで言ってくれた理恵さんの気持ちに水を差してはいけないと思っていたからだ…ま、信者になるといっても年に一度の帰省の折りに祠(ほこら)の前で手を合わせるというだけの、いたってハードルの低いものなのだけれども。



 (でも…今日は訊いてみようかな、理恵さんが八月にこだわった理由。特に訊いていけないって感じでもなかったし…)



 そんなことを考えている内に道は頂(いただき)に近づいて、いきなり目の前に眺望が開ける。やがて登っていく道のその先に、梅林に囲まれて古い祠(ほこら)が現れた。



 「あっ、やっぱりそうなんだ!『御梅教』っていう名前、祠(ほこら)のまわりに梅林があるところからから来ているのね」



 息を弾ませ理恵さんが言う。



 「あ、うん、それもあるけど…正確に言うと本当のネーミングの由来はそうじゃなかったみたいだよ。もともとは違う名前だったらしいんだ」



 源三郎爺さんが祠(ほこら)を作った時点、つまり『御梅教』のスタート時につけた名前は、元来、もっとストレートに祠(ほこら)の中の御神体そのままを表したものだったようだ。

 だが、僕の父が若かった頃に大ヒットした海外のホラー映画の題名が、何と爺さんがこの宗教につけた名前とあまりにそっくりだったため、父が名前の変更を進言し、爺さんもそれを了承したとのことである。



 「あははっ、そりゃ、ホラー映画の題名とそっくりな名前の宗教だったら、名前を聞いただけでみんな引いちゃうものね!」



 無邪気に笑う理恵さん。 



 「そうなんだよ、でも爺さん、元の名前にも相当に思い入れがあったらしくて、新しい名前は元の名前をほんの少し変えるだけにしたんだ。で、たまたま祠(ほこら)の周りに梅林があったことも考慮に入れて『御梅教(おんうめきょう)』って名前にしたみたいだね」



 話す内に僕らは祠(ほこら)の前に到着。鍵を開ける儀式に取りかかるその前に、僕は理恵さんに、例の以前から懸案の疑問について訊いてみることにする。



 「ね、理恵さん、どうして結婚式、八月が良いって思ったの?」



 理恵さんはちょっと謎めいた微笑を浮かべ、言う。



 「それはね、『山上婚』ならやっぱり『八月』っていうのが一番エレガントな答えだなって思ったからよ。といっても実数に限った場合なんだけど…」



 「…………???」



  ※   ※   ※



 頭上に広がる夏空の碧(あお)。



 僕はポケットから鍵を取り出す。



 そして僕らは祠(ほこら)の前でキスをした。



 軽いキスのつもりだったが最後は熱い抱擁となり、流れる汗がタキシードの内側を首から胸へ、そして腹へと落ちていく…そんな感覚さえも快いと感じながら、僕はしばしの間、心に湧き上がる無上の幸福感に酔いしれていたんだ。



 祠(ほこら)の扉に掛けられた錠前は少し錆びが浮いているが、鍵を差し込んで捻ると、キイーッと金属的な軋み音を立てて回る。



 人がひとり入れるくらいの祠(ほこら)の内部は薄暗いが、奥の壁に明かり取りの小窓があり、そこからわずかに外の光が差し込んでいる。



 僕は理恵さんを扉の外に残し、中へと一歩、踏み込んだ。



 中央に設置されているのは上部が観音開きになった、思いのほか小さな箱…この中に御神体が安置されている。



 箱の上部についた取っ手に指を掛け、僕は思い出す。子供だった源三郎爺さんが初めてこの中の『もの』を見たとき、腰を抜かすほどにびっくりしたという話を…



 瞬間、恐怖心がわき上がる。



 でも、扉のうしろに控えている理恵さんのことを思い、勇気を奮い起こして箱の観音開きを引きあけ、顔を近づけ覗き込んだ…


















 









 と、そこには…


















 









 ……箱の中……とても大きな……ギョロリ……見開いて……こちらを見上げ……


















 









 「ヒエエエエエエーッ!!!」
























 











 ※※※※※※※※※※※



 さて、ここで… 



 読者への質問



 ①祠(ほこら)の箱に入っていたもの(=御神体)とは一体何だったのでしょう?



 そして、



 ②理恵さんが結婚の時期を八月に指定した理由は?



 (注)①と②の謎に関連はありません。よって、片方が分からなければもう一方も分からないということはないです。



 ※※※※※※※※※※※
























 











 …気がつくと、実家の客間に寝かされていた。



 どうやら祠(ほこら)の中の箱を開けた時、気を失ってしまったらしい。



 後で聞いた話だが、僕が気を失ったのを見て理恵さんは麓(ふもと)で待っていた父に連絡、下にいた人たちのうち、数人の男たちが祠(ほこら)のところまで登って来て、気絶している僕を麓まで降ろしてくれたとのこと。

 交代で僕を背負い山を降りてくれた男たちの中には、理恵さんの生徒である高校生たちも混じっていたようだ。



 今、僕が寝かされている隣の部屋には理恵さんが居るらしく、教え子達との会話が漏れ聞こえてくる。



 …あ~あ、それにしても、結婚式の日に気絶するなんて、先生のダンナさん、ちょっとカッコ悪いよね…



 …そうだよぉ、先生よぉ、もちっとイイ男、いなかったのかよぉ。何なら、あと五年も待ってくれりゃ、オレが先生のこと、嫁さんにしてやっても良かったんだぜ…



 (うううっ、ま、コイツらも僕のこと助けるのに手を貸してくれたんだから、今のは聞かなかったってことにしといてやるさ)



 そんな事を思っていると、



 「あら、気がついたのね!」



 隣室との間の襖(ふすま)が開いて、普段着に着替えた理恵さんが顔を覗かせた。



 理恵さん(おお、今や僕の妻だ!)の顔を見ると安堵感が胸に広がる…と同時に、あの祠(ほこら)の中での恐怖の体験もよみがえって、僕は思わず布団を顔のあたりまで引き上げた。



 「あの…ね…理恵さん?ひょっとして理恵さんもあの箱の中のものを見たの?」



 「ええ、見たわよ」



 「こ、怖くなかった?」



 「ええ、大丈夫。だってわたし、あなたが気を失う直前につぶやいた言葉を聞いて、箱の中に何が入ってるか、分かっちゃったんだもの」



 「えっ?僕がつぶやいた言葉…」



 たしかあの時、僕はこんな事をつぶやいたのだったと思う…『大きな目がギョロリとこちらを見上げてる』とかなんとか。



 「じゃ、じゃあ、中にはやっぱり大きな目玉が…」



 「違うわよ!それはあなたの錯覚!入っていたのはね、ただの『○○○○○○○』よ!」





 『そのもの(御神体)』の名前を聞いて僕には思い当たる節(ふし)があった。



 子供の頃、父は箱の中身については教えてくれなかったが、『そのもの』からつけられたという宗教の名前が、あまりにもホラー映画に似ているというので名前を変えざるをえなかったという、そのホラー映画の題名については口にしていた。



 それは1970年代に第一作が作られたというアメリカのホラー映画、『オーメン』。この映画は公開されるや大ヒットし、以後、続編が第四作まで作られたそうだ。



 僕はその題名まで知っておきながら、当時、子供だったために『ふ~ん、オーメンかぁ。じゃあ、怖い顔のお面(おめん)か何かがはいってるのかな?』くらいにしか思っていなかった。



 だが、お面じゃなくてオーメン。そして宗教の名前に似ているというのだからおしりに『教』をつければ…『オーメン教』。



 そうなのだ、入っていたのはオーメン教…じゃなくて『凹面鏡(おうめんきょう)』(!!!)。そして爺さんが最初につけた宗教の名前も『凹面教(おうめんきょう)』だったんだ!



 (だから、後に爺さんは父のアドヴァイスを受け、この名前のうちの三つの文字の順序を変えて、その宗教名を『御梅教(おんうめきょう)』と変更した事になる)



 理恵さんが言う。



 「…そうよ、入っていたのは凹面鏡。凹面鏡はその焦点より内側に置かれたものに対しては、実物より大きな正立虚像をつくる…つまり凹面鏡をすぐ近くからのぞき込むと自分の顔が拡大されて映るわけ。祠(ほこら)の奥には明かり取りの小窓があってあなたの顔にはかすかに外からの光が当たっていた。そんな状況で、あなたがいきなり目を近づけて箱をのぞき込んだために、あなたは箱の中に『拡大された自分の目』の像を見たの。それで、大きな目玉が入っていると勘違い、ショックを受けて気を失ったんだわ。あなたのお爺さんも子供の頃、きっと同じ体験をして腰を抜かしそうになったのね!」






 





  ☆   ☆   ☆












 







 …万物流転…万物流転…












 







 月日は流れ、あの婚礼の日から十数年が過ぎた。



 その間、僕と理恵さんの間には娘が生まれ、さらに娘が5歳になったその年に、僕は不慮の事故に遭って命を落とす。

 わけが分からぬままに僕の人生はあっけなく終わってしまった。

 無念だったけれど、これも寿命というものなのだろう。僕は理恵さんと出会い、その上、可愛い娘にも恵まれた。決して長くはなかったが、それでも自分では望み得る限りの幸せな一生だったと思っている。



 まだ理恵さんと婚約していた頃の事、理恵さんは結婚は死に似ていると言っていた。どちらも、いざ飛び込んでみるまでは自分がどうなってしまうのか全く想像がつかないから、と。

 死の後に僕自身に起こったこと…それが何だったのか、本当のところは僕にはよく分からない。ただそれは、種々の『宗教』が語っていることとある意味イコールであったような気もするし、『宗教』の教えるところは死の、そのほんの一部分を切り取ったものの比喩であったに過ぎないと言えばより正確なのかもしれない。

   そう…恐らく『僕』という『情報の集積』は、死と同時に肉体を離れ、僕の意識、僕の個性、僕の記憶は、コップの水面に落ちたインクの一滴(ひとしずく)のように、宇宙全体へと拡散し、宇宙にとけ込み、ついには宇宙そのものと一体になってしまったのだ。












 







 では、僕はいなくなってしまったのか?












 







 そんなことはない。












 







 太陽と地球を結ぶ半直線のその先に山羊座の東端が位置する頃…即ち、太陽が黄道上の獅子座を横切る季節の一時期には、宇宙に散らばった死者たちの意識エネルギーは再び統合され、生前と同様の知覚を獲得する。

 その季節が八月…先人はこの時期を『お盆』と呼んで亡くなった者の魂が一時的に此岸へ戻る日としてきた。



 今年もその季節が巡り来て、僕は今、球状のエネルギー体となって、理恵さんと娘の住む我が家の、吹き抜けの天井に近い空間を漂っている。





 理恵さんは再婚することもなく、今も高校の数学教師を続けながらひとり頑張って娘を育ててくれている。その娘も成長し、今年で中学の3年生になった。

 そんな我が家のリビングには僕の遺影が飾られ、その上部には件(くだん)の凹面鏡のレプリカが置かれている。



 今、ダイニングからは娘と理恵さんのこんな会話がもれ聞こえてきた…(※略号…娘→ム、理恵さん→リ)



 ム「ねえ、ママ、亡くなったパパと結婚したのも夏だったんでしょ?その日も今日みたいに暑い日だったの?」



 リ「うん、とっても!それはもう汗だくで大変だったのよ」



 ム「ふ~ん、それなのに、パパとママ、どうしてそんな時期に結婚式をしようなんて思ったのかなぁ」



 リ「それはね、ママがそう望んだからなの。わたしたち、パパの実家の風習で『山上婚』っていうのをする事になって、それを聞いたときママはね、これはもう絶対に結婚式は八月じゃないといけないなって思ったのよ。それが何よりもエレガントな答えだからって」



 ム「???」



 リ「ねぇ、あなたは中3だから、学校の数学でもう『平方根』を習っているでしょ。たとえば9の平方根は何かしら?」



 ム「3!」



 リ「そう!正解よ(ま、正確には±3だけどね)。つまり9の平方根っていうのは二乗すると9になる数ってことよね。じゃあ立方根って知ってるのかな?」



 ム「あ、それ先生が言ってた。こっちは三乗するとその数になる元の数のことだよね」



 リ「そうよ、だから立方根を答えるなら27が3。64が4、1000なら10ってことになるわ(この場合は三乗で、奇数回掛けることになるから『±』はつけなくてもいいのね)。ところで、立方根には『三乗根』っていう呼び方もあるの。64が4、1000が10。じゃあ8の三乗根は?」



 ム「ええっと、三乗して8になる数なら2だよね」



 …その瞬間、我が家のダイニングに理恵さんの上気した声が響いた。 



 リ「そう!そう!!!そうなのよ~。『8の三乗根は2』、だからママにとって『山上婚(さんじょうこん)』は絶対に、何が何でも『八月』でなければいけなかったの。なぜって『三乗根(さんじょうこん)』を考えると『八月』…『はちがつ』…『8が2…ハチがツー(two)』なんだもの!ねっねっ、エレガントでしょ?」






 





 [終わり]






























 [あとがき]



 読んで下さってありがとうございました!



 いつも通りの無理矢理なオチで失礼をいたしました(最後の理恵さんと娘の会話の「」の前の略号が、縦につないでみるとムリムリムリ…と読めるのは、作者の自嘲の心が現れたものと思って下さい)。



 クイズの正解は読んでいただいた通り、①が『凹面鏡』、②は…『理恵さんが数学教師であり、また8の三乗根(さんじょうこん)は2(実数限定で)だから「8がツー」…よってエレガントですねっ!』…みたいな感じでした。



 後、理恵さんのフルネームが『富宇理恵(ふう・りえ)』となっているのは『フーリエ変換』で有名なフランスの数学者・物理学者=ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエから取っています…といっても私自身は(大学の授業で習った気はするのだけれど)『フーリエ変換』の何たるかを全く分かっていません!ついでに言いますと、(理恵さんも本文の中で触れているように)8の三乗根は虚数解を含めれば「2」以外にもあと二つの解があるのですが、もうこのあたりが私の数学知識の限界でして、これ以上ボロが出ないうちにオシマイに致しますね。


 こんなに長いものを最後まで読んで下さった皆様に改めて心よりの感謝を申し上げます。



 ありがとうございました!



    マルティン☆ティモリ

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