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映画にまつわる思い出ノォト(ひまわり)

画面いっぱいに広がるひまわり畑は、1969年、もしくは1970年に、
ウクライナで撮影された影響でしょうか。

最近、YouTubeのおススメで、
ヴィットリオデシーカ監督の映画、
「ひまわり」が出てきます。


随分「ひまわり」のことは忘れていたのに、
過去の記憶がすーっと浮かび上がって、
懐かしく、しばらくぼうっとしてしまいました。


映画についての考察ではなく、
「ひまわり」にまつわるごく個人的なエピソードです。

まずは、
「ひまわり」をご存知でない方、
ご興味ある方はぜひご覧ください。

当時冷戦状態だったにも関わらず、西側がソ連に撮影を認められた映画。
どこにでもいる陽気なイタリアの夫婦(ソフィアローレンのパンチに近いパーマヘアが印象的であり、後半の愁いをおびた陰の印象と対照的)。
戦地に赴くのを拒み、病気のふりをするもバレて一番厳しいソ連へ出兵をさせられるが過酷な戦地で行方不明に。
決死の覚悟で夫を探すためソ連へ向かうジョバンナでしたが、
彼は記憶をなくしたまま、現地の美しい娘と結婚していました。
やりきれない切なさを最大限に盛り上げる、サントラも圧巻。

カイトのまとめ

エピソード❶


わたしが多分、4歳の頃だったと思います。

夜は母と二人、居間に布団をしいて、
電気を消してテレビを見ながら寝落ちする、
というのが我が家の通例でした。

その日は水曜ロードショーか、
金曜ロードショーかわかないけれど、
布団に入って母と同じように洋画を観ていました。

4歳です。
当然、くわしい事情などわかるはずもありません。

けれど、
ブラウン管から、ぼうっと光を放ちながら、
画面いっぱいに広がるひまわり畑の映像が、記憶にずっと残っていました。

ブサカワ4歳のカイト。
ウクライナのひまわり畑が画面に登場するのはクライマックスに近い。
案外終わりまで見入っていたということは、4歳ながら引き込まれていたのだなぁと、
我ながら感心する。
(アザラシシールは、誤字を隠しました💦)


ときは過ぎ、

映画好きの少女に育った18歳の頃、
町の名画座で目にとまった看板。

「ひまわり」


記憶に残っているひまわり畑が一面に広がる映画は、
この映画ではないか?

ふと、
そんな気がして、一人で名画座に入りました。

ああ、やっぱり。
物語も佳境、
ジョバンナが捜索の手伝いをしてくれる人?と立ち寄ったひまわり畑。


あまりにも広大で、
世界がひまわりで埋め尽くされたように見事で、

でも、まったく揚々としていない圧巻の光景は、
まちがいなく4歳のとき観た映画の断片でした。

映画の感動と、
思いがけず再会できた感動で、

たぶん、わたしはエンジ色のベルベットの椅子から立つことができず、
大いに泣いたことでしょう。

それから、
「ひまわり」は大切な映画となりました。

エピソード❷


それから十年後。

当時仲良かった先輩は仕事ができて、
本を読むのが好きで、
映画好きでお酒好きで、クォーターで美しくて、
そんな華やかな人だった。

「ひまわり」のエピソード❶を語ると、
彼女はかなり感心してくれて、

「カイトの感受性の強さは、小さいときからの英才教育の賜物だね!」

と良いように言ってくれ、
(母はそのつもりない)
自分の娘も3歳から映画館に連れて行くという英才教育?の実践を模倣してくれました。

さらには、映画「ひまわり」が好きだというお父様(研究者で博士)にわたしのエピソードを話され、
ハーフの博士がいたく感動し、
なんと博士としばらくメール交換(文通)をしたという経緯があります。

博士はわたしが知り得ない、
撮影当時の社会情勢であったり、
音楽の話であったり、
製作サイドの話を延々と語ってくれました(長文だったな)、、、。

先輩は、
「カイト、ごめんね。あまりしゃべらない人が珍しい」
と言われていました。

今のわたしだったら、このような展開、閉口しそうですが、
当時はうれしかった記憶があります。
博士もずいぶん前に亡くなりました。

博士は、4歳のときの記憶の断片から、18歳の名画座での再会を、

「奇跡のような、フィクションのような出来事ですね」

と言ってくださいました。
その言葉は、素直にうれしかった。


そして、
いつか見た深夜のドキュメンタリーで、

「ひまわり」のシチュエーションとまったく同じ現実があったことを知りました。

しかも、戦争で引き裂かれ、帰れる目途が立たず、
現地の女性と結婚してしまった男性は日本人です。

現実に、
実際に、
あり得る出来事なのだと、当時の若いわたしは深夜、
目がはれるまで泣きました。


水野治夫さんじゃないですが、
「映画ってほんとにいいですね」

でも、十年以上前か、パニック障害になってからは、
映画館のような閉鎖的で、音響が強いのはだめになってしまった。

ほぼ満員電車も乗れるし、完治してるし、さらにはDVDや、映画を簡単に観れるコンテンツはあると思うけど、
なんとなく疎遠に。
観たいと思わない。

あれだけ映画好き(月2~3回は映画館)だったわたしは、
いまのところ微塵もなくなりました。
どこいったー!?


また戻ってくるのかな?
絵がもどってきたみたいに。


ウクライナのひまわり畑は、
いまはどうなっているのだろうと思いながら、、、

トップの画像は数年前の、北海道「上野ファーム」で
わたしが撮ったものです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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