見出し画像

農林水産物に対する保護政策の大義

 前に紹介した日経新聞の社説もそうだったが、昨今の経済自由主義者の多くは、以下のような見解を持っているだろう。
 「食料安全保障のためには、あくまでも自由貿易主義は尊重してそれを堅持する必要があるので、保護主義には対抗しなければいけない。また、農業の担い手にいては、市場競争に強い大企業の存在をもっと優先すべきだ。だからそのためには、自然人農家や農協などの農業団体を保護する政策は、ある程度削減しても良い」

 断っておくが、あの社説にはこのような文章は全く書かれていない。しかし、こうした考え方を根強く持っているとしか思えない。そうでないのなら、現行の自由貿易体制に疑問を呈したり、農家や農協の気持ちを汲み取った内容になるはずだ。私が思うに、自由貿易協定の締結によって両国の農業が共存共栄となり、大企業が安定的な担い手になるのなら、一応問題はないだろう。しかし現実はそうとはいい難い。自由貿易協定のせいでその国の農業が破綻したり、大企業が農業事業に参入しても上手くいかず撤退した事例もある。また、モンサントのような危険な大企業が出現することもある。ようするに、自由貿易の推進にしろ大企業が参入しやすいように制度を変えるにしても、単純なやり方では上手くいかない。場合によってはその真逆な手段が必要なこともあり得るのだ。

 人類を飢えから救う食料の安定供給は、最終的には市場原理には頼れないと思う。採算が合わない劣等地もなんとか活用した上で、持続可能な農業をしない限り、80億以上の人口に対処するのは難しいのではないだろうか?劣等地を持続的に耕作していくことは、どう考えても、株式会社だけに任せて成功できるものではない。いや、株式会社の力が上手く作用する場合も確かにあろう。だが、農業会社が安易に撤退させないようにするには、公的な制度による支援や規制がないと無理だ。通常の株主会社とは異なり、株主の権利をもっと制限しないといけない。
 安定的に農産物を供給するためには、政府や国連などの今まで以上の強固な援助も必要だ。その国の潜在的な食料生産力を引き出すためにも、農産物の輸入を漸次に減らす政策も認めるべきなのだ。もちろん、消費者への負担も考えた上で行うことである。

 持続可能な農業の実現こそが、人類共通の願いである。私は自由貿易や市場競争の思想形態を全て否定するつもりはない。しかし、それに捕われすぎている状態は、本当に危険だといわれても仕方ないだろう。