アナログ派の愉しみ/映画◎豊島圭介 監督『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』

「解放区」で戦わされた
伝説的な討論のドキュメンタリー


三島由紀夫が「楯の会」のメンバーをともなって陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ乱入し、割腹自決によって45年の人生を終えた前年の1969年(昭和44年)5月13日、東大駒場キャンパス900番教室で三島と全共闘の学生との2時間半におよぶ討論会が開かれた。それから半世紀が経ち、令和の世にいきなり出現した豊島圭介監督の『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』(2020年)は、知られざる映像記録を発掘して、その伝説的な出来事の再現した驚くべきドキュメンタリーだ。

 
この年1月に東大安田講堂で全共闘と警視庁機動隊のあいだに繰り広げられた攻防戦の余燼がくすぶるなか、三島は開口一番、「私は暴力に反対しない」と宣言したのち、教室の入口に描かれた「近代ゴリラ」と題する自分のカリカチュアを取り上げて、「私はひとりの民間人であります。私が行動を起こすときは、結局、諸君と同じ非合法でやるほかないのだ。非合法で、決闘の思想において人をやれば、それは殺人犯だから、そうなったら自分もおまわりさんにつかまらないうちに自決でも何でもして死にたいと思うのです。そういう時期に合わして身体を鍛錬して、『近代ゴリラ』として立派なゴリラになりたい、そういう気持ちでいるわけです」と語りだす。

 
のっけから、こんなふうに熱に浮かされたような雰囲気のなかではじまった討論会は、学生たちが次々と生硬な観念語が投げつけて、あたかも異種格闘技戦の様相を呈するが、クライマックスはやはり、前衛劇団を率いながら全共闘随一のイデオローグとして鳴らしていた芥正彦との対決だろう。壇上に赤ん坊を背負って現れた相手に向かって、三島はあえて「解放区」を俎上にのせ、その時間的継続の意義を質したところ、芥は「解放区の空間には時間もなければ関係もない」と答え、三島が重ねて「そうすると、それが3分間しか持続しなくても、あるいは1週間、あるいは10日間持続しても、その間の本質的な差は、ぜんぜん次元としての差すらないですか?」と迫ると、芥は「だって、それは比較すること自体がおかしいわけですよ。たとえば、あなたの作品と、現実のずっと何万年というのと比べろと言ったって、これはナンセンスでしょう、おそらく」と応じた。

 
わたしの理解するところでは、三島はつまり、先般の東大安田講堂やこの駒場キャンパス900番教室に「解放区」の素朴な形を見ながら、それを拡張したはるかな先に日本古来の文化が結晶した国家像をイメージしようとするのに対して、芥のほうは過去や未来の一切とかかわりなく、アングラ演劇のように、たとえ一瞬であれ既成の価値観から完全に解き放たれた空間のあり方を措定しているのだ。そうしたふたりの討論の成り行きは、必然的に「天皇」の主題に収斂していく。三島は『古事記』において、日本武尊だけが皇太子であるにもかかわらず天皇と同じ敬称で呼ばれるのは、神としての天皇と統治的天皇の分離が起きたことを神話的に表していると指摘して、つぎのやりとりが続く。

 
三島「私は天皇というものに(統治的天皇ではなく)昔ながらの天皇というもののひとつの流れをもう一度再現したいと思っているんです」
芥「そうすると自己一体化させたいというところに美を見出すわけ? それは単なる一種のオナニズムだ、イマージュと自己の。事物に対して何らなす術がないわけですよ」
三島「そうじゃなくて、日本文化というものはそういうものが……」
芥「だってそうでしょう。あなたは、だから日本人であるという限界を超えることはできなくなってしまうということでしょう」
三島「できなくていいのだよ。ぼくは日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいのだ。その限界をぜんぜんぼくは抜けたいと思わない、ぼく自身。だから、あなたからみれば可哀相だと思うだろうが」

 
ここにあるのは、若い学生の声高な反駁に引きずられて、三島がつい吐露してしまった本音ではないか。さらにはまた、やがて割腹自決の行動へと向かう袋小路のなかで懸命に足掻いている姿までも見て取ったら穿ちすぎだろうか? このあと、芥は「もうおれ帰るわ、退屈だから」と告げてさっさと立ち去ってしまう。

 
実は、わたしは大学当時、この劇的な場面をめぐってひとつのウワサを耳にした覚えがある。全共闘よりひとまわり下の世代で、東大とは縁もゆかりもないノンポリ学生だったわれわれにも、まことしやかに口から口へと伝承されてきたのだ。それによると、退屈だから、との捨て台詞を残して会場をあとにした子連れの男の(名前は伝わっていなかった)アパートの部屋には何も置いてなく、ただ赤ん坊のおもちゃ代わりにメルヴィルの『白鯨』の文庫本だけが転がっている、と――。そのとき、わたしの瞼にありありと浮かんだ光景はいまも鮮やかである。


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