アナログ派の愉しみ/本◎『詩経』

しとやかなお嬢さんが
寝ても覚めてもほしい……


『詩経』は、周王朝の紀元前11世紀ごろから口承で伝わってきた詩の300篇あまりが、紀元前7世紀ごろに文字として残されたものという。それは中国最古の詩集であるばかりでなく、われわれと等身大の喜怒哀楽をうたっていることから、人類最古の抒情詩とも見なされている。あらためて考えてみれば不思議な気もする。当時の最先端の情報技術だった文字を使って、神々や英雄の事績を描く叙事詩ならわかるけれど、なんだって取るに足りないふつうの人々の心情などを記録したのだろうか?

 
その開巻を飾る「関雎(かんしょ)」は、周(現在の陝西省)の南方一帯でうたわれていた歌らしい。岩波文庫の『新編中国名詩選』(川合康三編訳)により、以下に訓読と訳を掲げよう。

 
  関関(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は
  河の洲に在り
  窈窕(ようちょう)たる淑女は
  君子の好逑(こうきゅう)
 
  参差(しんし)たる荇菜(こうさい)は
  左右に流る
  窈窕たる淑女は
  寤寐(ごび)に求む
 
  求むるも得ず
  寤寐に思服す
  悠なる哉(かな) 悠なる哉
  輾転反側(てんてんはんそく)す
 
  参差たる荇菜は
  左右に采(と)る
  窈窕たる淑女は
  琴瑟(きんしつ)もて友とす
 
  参差たる荇菜は
  左右に芼(えら)ぶ
  窈窕たる淑女は
  鍾鼓(しょうこ)もて楽しむ

 
  カンカンと鳴くミサゴの鳥が、川の中州にいる。
  しとやかなお嬢さんは、殿方とよくお似合い。
 
  大小さまざまなアサザの草は、右に左に流れてゆく。
  しとやかなお嬢さんが、寝ても覚めてもほしい。
 
  ほしくても自分のものにできず、寝ても覚めても頭を離れない。
  ずっとずっと思い続けて、ごろごろ寝返りを打つ。
 
  大小さまざまなアサザの草は、右に左に摘み採る。
  しとやかなお嬢さんは、琴瑟奏でて仲よくなろう。
 
  大小さまざまなアサザの草は、右に左に選び取る。
  しとやかなお嬢さんは、鐘や太鼓で楽しもう。

 
どうだろう? のどかな春の季節、川の中州ではつがいの鳥たちが鳴き交わし、水草が寄り添って流れに身を任せるといった自然の風景のなかで、若い男が見初めた乙女に恋い焦がれ夜も眠れない日々を送ったあげく、とうとう結ばれておたがいに楽器をかき鳴らす……。いささかぎこちなさはあるものの、そんな天真爛漫な喜びが満ちあふれているではないか。古代の詩人たちにとって、女性が求愛に応えてくれた笑みのうるわしさは、神々や英雄の偉大さにも匹敵する発見だったのであり、文字に刻んで後世の人々へ伝えようとするだけの価値があったのに違いない。

 
わたしはこの詩と向きあうと、自然と口元がほころんでしまう。日本列島ではまだ縄文式土器が拵えられていたころの中国大陸の人々の心が、漢字の表記を通じて、そのまま自分の心にも投影される。ざっと3000年の時空を超えてダイレクトに共感しあえるとは途方もないことだ。当節、マスコミの意識調査などで日本人の中国に対する印象が悪化していると報じられ、もちろんこうした状況をきちんと直視する必要はあるにせよ、たまには国境などというケチなものは忘れて、悠久の歴史のもとで紡いできた大らかな心の交流についても思いを馳せてみてはどうだろうか?
 

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