アナログ派の愉しみ/本◎小倉千加子 著『草むらにハイヒール』

それはあたかも
ゴジラ対キングギドラのように


韓国ドラマ『冬のソナタ』(2002年)がNHKで放映されて、日本列島じゅうを吹き荒れた純愛フィーバーが少しばかり落ち着いてきたころだった。ある女子大学の公開講座で小倉千加子が冬ソナを論じると知り、怖いもの見たさで出かけたことがある。フェミニズムの立場から舌鋒鋭く批判するのかと思いきや、意外にも人なつこくユーモラスで、強く印象に残っているのはたとえばこんな個所だ。

 
物語の最終盤。永遠の愛を誓うチュンサン(ペ・ヨンジュン)とユジン(チェ・ジウ)はいったん結婚を決意したものの、両者に濃い血のつながりがあることを疑う身内の強硬な反対に遭って、ふたりは訣別の予感に囚われながら、せめてもの思い出づくりに海辺へ出かけ手に手を取ってたわむれる。そのとき――と、小倉は声を張り上げた。「みなさん、信じられます? ふたりの背後には、綱を張ってイカの開いたのがずらっと干してあるんですよ。悲恋のカップルと、イカの干物。日本のドラマじゃ、ちょっと考えられない組み合わせでしょう」。場内がわっと爆笑に包まれたのは言うまでもない。

 
心理学者の小倉はどうやら、シチュエーションに不協和な異物を見て取って、それがさりげないものであればいっそう鋭く反応するらしい。久しぶりにこうした記憶がよみがえったのは、『草むらにハイヒール』(2020年)を読んだからだ。

 
これは、小倉が『週刊朝日』連載のコラムをまとめて7年ぶりに刊行した単行本で、そのなかでも出色なのは「女性の問題は『数学』のように解けるのか」の副題を持つ上野千鶴子論だろう。怪獣映画に譬えるなら史上最強のゴジラ対キングギドラのように、フェミニズムの大御所がもう一方の大御所に対して真っ向から体当たりした文章には手に汗握る緊迫感が漲っている。

 
それによると、小倉がまだ20代だったころ、京都の平安女学院短大の教員だった上野に私淑して女性学研究会での交流がはじまったが、上野はいつも「高野豆腐」をおいしそうに食べていたという。やがて小倉がある講演会で女性学を批判したところ、上野に呼び出されて「女性学を批判するなら、我々は決定的にあんたを潰すよ」と恫喝があり、このときは梅田で「おでん」を奢ってくれたもののちっともおいしくなかったそうだ。そして、その帰り道、梅田駅の動く歩道を並んで歩きながら、上野が「私は数学の問題を解いているのが一番好き。物事を単純なものに還元している時ほど幸せな時はないわ」と呟いたことを書き留めている。すなわち、小倉は上野をめぐるシチュエーションにおいて「高野豆腐」や「おでん」といった食べものに不協和を感得し、さらには「数学」にこそ抜き差しならない異物を見て取るのだ。

 
そうした上野の根っこには、幼いときの家庭環境が影響しているのではないかと観察する。開業医の父と専業主婦の母、きょうだい3人に祖母を含めた6人家族で、キリスト教の信仰のもとで食事中の会話も禁じられた生活のなか、母が息子たちを溺愛する反動でみずからは「パパの娘」を生きた彼女は、父の狷介さには見ぬふりをして、長じるにつれ「私探し」ではなく「私語り」をするようになったと論じて、こう敷衍する。

 
 家族のことをやたら語る割には、上野さんは本当に知りたいことを語らない。
 女性器の俗称を口にして何の抵抗もないのは、性的な言葉が性的な意味と結びつく「敏感期」に、性的なことに無知なままに置かれていたからである。児童期に性器の俗称をニヤニヤしながら耳打ちする悪い大人や品のない友だちは周囲にはいなかったらしい。
 上野さんは児童期には世間から家族ごと遊離していた。恐らく家族は世間から超然としていただろうから、その家族の中にいる限り、世俗と繋がる言葉はほとんどが猥雑なものとして抑圧されたはずである。

 
ここで小倉が指摘しているのは、上野にとって女性器の俗称に代表される男女の領域はなんら異物ではなく、むしろ世間一般の性的な生臭さをともなった家族関係のほうがしぶとい異物として現前し、そうした転倒の上に立って日本社会に横たわる女性たちの不均衡を「数学」のように解き明かそうとしたところに独自のフェミニズムの源泉がある、とした構図だろう。「セクシイ・ギャル」「アグネス論争」から「おひとりさまの老後」へ至る紆余曲折の道のりを照らしだす、まことに卓見と言うべきではないか。

 
ところで、本書のタイトルは、栗木京子の短歌「草むらにハイヒール脱ぎ捨てられて雨水(うすい)の碧(あお)き宇宙たまれり」にもとづく。岐阜で医師と結婚して一男の母として生きたのち、50代になって家を出て単身で東京のアパートに暮らすようになった歌人に対してなみなみならぬ共感があるらしい。だれが脱ぎ捨てたものか、雨上がりの草むらにハイヒールの片方がぽつんと置かれ、そこに水が溜まって宇宙を映している……。小倉自身のフェミニズムは、こうした異物のほうに立脚しているという主張であろう。


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