アナログ派の愉しみ/映画◎伊藤大輔 監督『斬人斬馬剣』

なんて映像だ!
わたしは釘付けになった


なんて映像だ! わたしは釘付けになった。

 
東京・中央区の京橋フィルムセンターが2018年4月、東京国立近代美術館の所管から離れ、独立機関の国立映画アーカイブとして再発足したとき、わたしはさっそく足を運んだ。これまで以上にダイナミックな事業展開に期待してのことであり、果たしてその期待は裏切られなかった。新企画の展示「日本映画の歴史」を眺めはじめると、草創期のサイレント映画コーナーでは、モニターに惜しげもなく衣笠貞之助監督『狂った一頁』(1926年)や伊藤大輔監督『忠次旅日記』(1927年)が映しだされて、さらには同監督の『斬人斬馬剣』(1929年)に出くわすなり、わたしは一歩も動けなくなってしまったのだ。

 
父の仇を求めてさまよっていた浪人(月形龍之介)は、中国地方のある小藩で偶然にも相手を見出して討ち果たす。それを助けてくれた百姓たちがお家騒動に揺れる暴政に苦しめられ、ついに一揆に立ち上がると、浪人も味方に加わって、城代や代官らの奸賊に敢然と立ち向かう。双方入り乱れての壮絶な死闘が繰り広げられ、そのスピーディな描写には目覚しいものがあったらしい……。らしい、としたのはほかでもない、この作品の完全なフィルムは現存せず、もはやだれも実見することが叶わないからだ。

 
日本映画の青春時代ともいうべきサイレント期は、若々しいエネルギーにあふれた多くの作品が生み出されたものの、当時のフィルムは可燃性だったため90%以上が失われたとされている。そのせいで、後世に真価が伝わらなかった映画作家たちのなかで最大級のひとりが伊藤大輔だろう。わけても、その『斬人斬馬剣』はのちの黒澤明監督『七人の侍』(1954年)のプロトタイプであり、むしろそれを凌駕するほどの傑作だったとされているだけに、かねてわたしも臍を噛む思いでいた。

 
そうしたところ21世紀になってダイジェスト版が発見され、そこから復元した26分のフィルムが国立映画アーカイブに収められていて、常設展で目の当たりにしたのはそのうちの5分ほどの断片だったのだ。浪人が馬を疾駆させる先には、代官一味に捕らえられた百姓たちの磔(はりつけ)が林立している。その場面は、時代劇のなかにシンメトリカルな幾何学の美が大胆に持ち込まれ、わたしはまばたきもできなかった。当時最先端のソ連映画から学んだ手法だろう。

 
昭和初年のこの時期、世界恐慌のもとでプロレタリア文学が勃興するのと踵を接するように、映画界でも「傾向映画」が現われた。30代はじめの伊藤が原作・脚本・監督を兼ねたこの作品も、百姓一揆の題材を借りて反権力闘争への情熱を込めたものだったからこそ、これだけのエネルギーを発散したのだろう。やがて国家権力が本格的な思想統制に乗り出すとともに、伊藤はスランプに陥る。その後も1981年に83歳で世を去るまで作品を発表し続け、とくに敗戦直後の板東妻三郎主演による『素浪人罷通る』(1947年)や『王将』(1948年)などは名作とされるが、サイレント期の作品には遠くおよばなかったと言わざるをえない。

 
わずか5分ほどのフィルムは、したがって日本映画史上の幻の傑作の片鱗とともに、永遠に閉ざされた巨大な可能性を垣間見せるものなのだ。その夜、わたしは年甲斐もなく、ひた走る浪人と磔にされた百姓たちのシーンを繰り返し夢に見た。かくて、翌日もまた国立映画アーカイブへ出かけたのである。
 

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