論80.声楽家と役者の間で考えるヴォイストレーニング~郷ひろみさんを例に(14077字)

〇郷ひろみさんとヴォイストレーニング
 
郷ひろみさんがアメリカでついたヴォイストレーナーが、声楽をベースにしていながら、彼には、現代風の発声の仕方を教えていたという話を聞きました。それはまさしく、この研究所で行ってきたことに近いのです。
 
というのは、10名前後の声楽家とともに、複数のトレーナーのレッスン体制をとっている研究所では、声楽のメリットとともにデメリットも考えなくてはなりません。そこは、声楽では考えられないので、私がマネージメントすることになります。
 
多くの歌い手の場合は、声楽家の歌い方を勉強するのでなく、声楽家の持つ心身と感覚を学ぶ、このように考えることで混乱を防げます。それによって、確実にスキルアップにつながるのです。
特に声楽での共鳴を重視する発声とその完全なコントロールは、直接、歌唱技術の向上につながりますから、大きなメリットがあります。
 
郷ひろみさんは、ニューヨークで声楽出身のヴォイストレーナーにつきました。
「オペラを基礎としている。数ヶ月だったが、進歩は見られなかった。そして半年が過ぎる頃、少しずつ彼のいわんとしていることが理解でき、正しいといわれる発声ができるようになってきた。
そして、僕はビブラートも変えられた。
歌は時代とともに進化している。今は浅く、そして早めだと教えられた。
そして気づけば3年が過ぎようとしていた時に、自分の声の大きな変化をした。声がビジュアライズできたのだ。
鼻の先の方で渦を巻き、芯のある、核のある声がそこにはあった。」(出典は、巻末参照)
 
46歳から三年渡米、そして、2005年、日本に戻ったのです。
 
「正しいトレーニングとは、ほぼ崩さず、苦しくてもその正しいフォームでしっかりと回数を重ねることだ。なので、長年トレーニングをしている僕でもトレーナーがついていなければ微妙にその苦しさから逃げてしまったり、間違った方法で行ったりしていることがある。
トレーニングを行う際に大切な事は、重過ぎるバーベルやダンベルを上げないことだ。それより、床に正確なフォームで、設定した回数をできるかがポイントになってくる。
(中略)
もう一つ大切な事は、呼吸を止めないことだ。
(中略)
すべてはまたゆっくりとした動作を身に付けることが大切と僕は教えられた。要はその正確な動きの一つひとつを覚えたら、そこから徐々にその回転やスピードを上げていく。(中略)
そのコントロールが重要なのだ。」
そのほか、郷ひろみさんの語録は、最後にまとめておきます。
 
〇声楽とは☆
 
声楽は、オペラを歌う勉強ですが、一方でオペラというのが、人間の持つ身体を最大限の声量や声域を持つ楽器として鍛えていく必要を強いるため、それを得ていく技術でもあります。
また、オペラが世界中でもてはやされたため、多くの人が学んで習得していった歴史と実績があります。しかも、クラシックとして、高い評価を勝ち得た数多くの名曲を一流のオペラ歌手の歌唱で見本にし、さらに比較して学ぶことができます。
近代の西洋文化の影響は大きく、各地にクラッシックのための音楽大学まで設立されたのです。
その点で邦楽を始め、エスニックな歌唱芸能の中でも、最もプログラムとして確立されたものといえるでしょう。
 
声楽では、オーケストラを越えていかなければいけないほどの声量が必要です。それは単に声の大きさではありません。音楽的にも、共鳴をコントロールしなくては、楽器のトータルの音量に負けてしまうわけです。
それを優れた歌い手たちが、同じような課題で研鑽し、200年以上も切磋琢磨して磨き上げてきたところに、それなりの基準が確立しています。それによって比較をしたり、各人の違いをある程度、客観的に評価できるのです。
 
さらに、そうしたものが、先達から受け継がれ、専門に学ぶ場があります。そこでの教本や練習曲集など、プログラムがあり、また、多くのコンクールでの評価があるわけです。
それも1つの国だけでなく、複数の国において、です。それぞれの評価の違いは、あるとしても、歌い手の心身に問われる条件としては、素人の人と明らかに違う共通した技量というものがあるのは、誰もが認めるところです。
 
歌唱としては珍しく、楽器のプレーヤーと同じく、基本から始め、次第に応用へと技術を磨いていくステップがあります。ほとんどの歌唱芸能が、歌という作品の口伝なのに対し、それ以外の補助プログラムがそれなりに確立しているのです。教えることで伝達でき、教えられることで習得できることが組み込まれています。
しかも、国や民族を問わず、実際にそれが伝えられると、早期に成果を上げているわけです。
客観的な評価がなされてきた、それが時代や国を超えて、共通して、通じるのです。
個人的な資質や天性による才能を重視される歌唱という分野において、これは、かなり特殊なことと思われます。ですから、そこで長年、培われてきたプログラムや評価の基準は、ヴォイストレーニングにおいては、最大限活用するとよいということになるのです。
 
〇声楽の限界
 
とはいえ、そんなことであれば、ポップスであれジャズであれ、クラシックをきちっと学んでいくと素晴らしい歌手がどんどん出てくるはずなのですが、そうはならなかったところが、大きな問題です。
つまり、何が違うのか、何が欠けていたのかというところから見ていかなくてはなりません。
 
私のところには、ヴォーカルスクールやプロダクションなど、ヴォイストレーニングをしているところから、人が育たないという相談が持ち込まれます。楽器のプレイヤーのように確実な成果が出ないというのです。そこそこにうまくはなるのだが、その上にいかない、プロになれない、プロになっても実力がついていかない。そこで、いったい、歌とは何なのか、声とは何なのか、それに対する練習とはどういうことなのかということです。
 
それは、私が若いときに徹底して悩んだことです。声そのものにおいては、役者の養成所などに行ってまで、学んだくらいです。
日本の歌においては、欧米の影響下に評価があるというニ重の問題があり、まさに複雑な状況におかれているだけに、評価に関しても複雑なわけです。要は、時代や国を超える歌手がでるということで、証明するしかありません。もっともシンプルな基準は、それしかないのです。
 
〇声楽とポップス
 
私が、声楽家と役者という2つの軸をとったのには、明確な理由があります。
声楽家や役者とともに過ごして、そこでの違いに早くから気づいたからです。また、日本の声楽家に接していて、その限界や考え方、価値観の違いというのをずっと見てきたからです。
 
その上で、私ほど、いろいろな声楽家とポップスのヴォイストレーニング、あるいは、一般的なヴォイストレーニングを伴にしてきた経験をもつ人は、あまりいないと思います。100名近くの、声楽家と共にトレーニングをしてきたので、日本の声楽について、もしかするとその道で最高のレベルに達した人よりも、ある面で現状をわかっていると思います。30年、日本のほとんどの音大出身の声楽家とともに指導をしてきたのです。意図的に、異なる音大からトレーナーを集めたのですから。
 
一流の声楽家ほど、主として後進の声楽家だけを指導しているからです。しかも、それは、音大に入った特定の層です。
ですから、同じ音大であることがほとんどでしょう。
日本の声の社会一般から見ると、かなり偏った分野でのキャリアになります。そのことは、医者や、言語聴覚士など専門家にも通じることです。
 
歌い手にとって、オリジナリティーやクリエイティブということであれば、役者の持つ個性の方が近いようです。声楽を習った人が、一流の域までこなすと、そこはオリジナリティーが出てきますが、それまでは、ある共通の規範の中で養われていくわけです。
 
身近な例でいうと、ママさんコーラスの世界です。コーラスの人たちは、大体が声楽家か音大出身の指揮者などに声楽的に教わり、それなりに発声も共鳴も音程もリズムも正されます。きれいな声で歌うようになります。ただ、ソロで歌ったところで、ソロのヴォーカリストのレベルの歌唱というほどには、なかなかいきません。
そこに、役者の持つような1人の人間としての魅力や表現力、説得力などが欠けている場合が多いからです。
 
有名な歌や知っている歌だから、聞く人が楽しめるとしたら、それは歌手の力でなく、歌曲の力です。
そういうケースを、私は自動演奏ピアノの演奏に例えています。楽譜通りに正確に曲をこなすと、それは、楽器の性能と作品の魅力で充分に伝わるからです。
それなら、ピアニストは何をしているのかということになります。自動演奏ピアノではできないのは、オリジナルの表現です。作品なら、そこでこそ問われるはずなのに、です。
それと同じことを行うのが、ヴォーカリストということになるわけです。
 
しかし、歌の基礎の力というのであれば、コーラスの人のように、音程、リズム、歌詞の発音を正しくして、きれいに歌い上げる力というのがベースになります。それは、音楽的な基礎の力で声の力ではありません。ポップスのヴォーカリストの中には、こういうことが苦手な人も少なからずいます。そのため、ヴォイストレーニングが、ピアノの伴奏者によって、行われてきたことも珍しくなかったわけです。
 
〇歌手と役者の共通点
 
役者が、生まれ育ったなかで、しゃべることからセリフを学んでいくように、歌い手も聞いて真似て歌っているうちに発声や歌唱のベースを学んでいくわけです。
ですから専門機関でトレーニングを受けなくても、人は話したり歌ったりすることができます。普通は、それだけではプロになれないのですが、歌手と役者の分野に関しては、別です。
それだけで専門機関でトレーニングをした人よりも、個性的に優れた表現をできる人が出てくるのです。
 
ですから、そうした人のヴォイストレーニングとなると、確実な成果を求めるほど、この正しく楽譜通りに歌えるような力が優先されてしまうわけです。
しかし、それは、基礎の補完です。役者であれば、セリフの発音やイントネーションを正確にするというような要素です。アナウンサーやナレーターの基礎教育に相当するところです。
では、アナウンサーが、役者や声優になれるかというと、生じ、そういう職に向いているだけ、かえって難しいともいえましょう。読むことの基礎的なことは身に付いていますから、できそうですが、正しく伝えることと表現することは、別のことだからです。
 
歌手や役者は、個人差の大きな世界であり、また目標やゴールもそれぞれに違うものですから、1つの考え方として踏まえておいていただければよいかと思います。
 
〇声楽的と役者的
 
具体的に説明していきます。
歌を歌った場合に、無理に分けると、これを声楽的に見るのか、役者的に見るのかという、2つの見方があります。
日本のポップスの場合は、歌詞のことばが働きかける力が、とても強いので、役者的に見る人も多いです。つまり、音楽的にはあまり見ないということです。
歌によっても、違ってもきます。歌にも音楽的な魅力に負っているもの、メロディーや曲が美しいものと、詩の内容で説得していくものがあるでしょう。すごく安易に例えてみると、メロディーの美しいカンツォーネと、物語を語っていくシャンソンの違いのようなものだと思うとわかりやすいかもしれません。
往年の日本のシャンソン歌手をみると、声楽出身と役者出身が、見事なほど、くっきりと分かれます。すぐにわかるのです。本場、フランスのシャンソン歌手には、そういうことは感じません。
音楽のジャンルも様々にあり、歌手にもいろんなタイプがありますから、どちらかにとても強いということでもよいのですが、ヴォイストレーニングから考えるのなら、両方の要素を組み入れていきたいものです。声というのは、歌における楽曲になるわけですから、それを音楽的に処理をしていく必要性はあるでしょう。
 
〇歌唱の音楽的要素
 
スキャットで歌ってみると、それはヴォイスパーカッションと同じく、声を楽器音として音楽に使っているわけです。そこでは楽器としての音のよさ、その音の動かし方のオリジナリティとコントロール力、曲となると、構成力や展開力も問われます。
オペラでも洋楽でも構いませんが、自分がすぐに理解できない言語で歌われても、その曲が成り立っていて、感情移入できたりするのは、この力が働くからです。
この力を知りたければ、歌詞をつけないで、1つの音やハミングで歌ってみればよいのです。そこで歌というより曲が成り立つかということです。コーラスやハモネプの力も、その一つです。その力を養成するには、声楽がとてもわかりやすいのです。
 
〇声楽家のポップス歌唱
 
声楽家がポップスを歌うのを聞くと、どうしても違和感がありますね。それは、アカペラで声を響かせるという基本から出していないからです。また、声そのものの美しさを聞かせようとするのであれば、演奏のスタイルが違ってくるからです。私は、かつて、TVで聞いた映画音楽の歌唱を声楽家が専ら、行なっていたのを思い出します。秋川雅史さんの、「千の風になって」などを思い浮かべると、わかりやすいでしょう。
昭和の歌謡曲には、声楽科出身の歌い手がたくさんいましたから、そうした歌い方も多かったのです。それを独自に受け継いでいるのは、美輪明宏さんくらいでしょうか。演歌歌手でも、声をのばしたりビブラートをかけたりするところで共通する要素があります。かつてのフォーク歌手は、やはり、先に示したように、2分できそうです。
 
歌は声を出すところの延長になりますから、クラシックでなくても、お祭りのときの歌や民謡などにも、びっくりするほど、素晴らしい発声で共鳴させている人たちは少なくありません。
それをどのように使うかというのは、どのように養っていくかという問題と一致するようで、別のものだと考えた方がよい場合もあります。
 
「こんな歌をこのように歌いたい」というゴールがはっきり決まっていたら、後はそれに向かうか、それに対して自分の限界というものを知り、変えていくかになります。
しかし単に「よい声を出したい」「うまく歌いたい」ということであれば、できる限り、いろんなことができる声での可能性を広げておくとよいでしょう。
これは、スポーツでいう体力づくりや柔軟運動のような基礎トレーニングとなります。それでも、声で表現していくものですから、声を使って練習することから入った方がよいでしょう。
 
〇音楽としての条件づくり
 
これには、自分に音楽を入れ込むしかありません。歌のなかにメロディーの進行からリズムから、あらゆるものが入っているのです。歌を聴くとしても、それを歌詞だけで聴くのでなく、音楽の構成や展開もノートに書き込んでいくとよいでしょう。そのためには楽譜を見たり楽器で弾いてみたりすると、多面的に学べると思います。
歌は肉体芸術ですから、実際に身体を使ってみて体験していくことが必要です。どんなにたくさんの本を読んだり、楽譜を分析しても、自分自身の口から声を出して歌ってみない限り、身に付いていきません。
 
〇天才に学ぶ勉強法☆☆
 
何か足らないと思う人の場合は、フィジカルと感覚を補強するのが大切です。
体験が少なくても多くを学べる人もいれば、体験が多くとも少ししか学べない人がいます。
天性のヴォーカルは、そのあたりを感覚的に踏まえて、それほど多くない経験にもかかわらず、多くのものを、もしくは、質の高いものを出していきます。出していくプロセスにおいて学んでいると思われます。
そうした優れた人たちを前にして、学ぶことは、彼らのようにどうやって学ぶかということです。つまり、彼らが1つの体験で100を学んでいるのであれば、1つの体験で2でも3でも10でも多くを学べるようにしていくことです。こうしたマニュアルは、そのためにあります。
 
〇私の場合 研究所史
 
私などは、カラオケの名人や毎日2、3時間、カラオケを歌っている人からみると、知ってる曲も少ないし、歌った曲はもっと少ないです。ここに来るプロの人たちよりも、ステージの経験も少ないでしょう。
しかし、その経験の中から、何をどのように学ぶかということが問われるわけです。
一方、トレーニングに関しては、こればかりは、時間と量が必要です。
その基礎トレーニングの時間と量は、10代で始めただけに、プロにも負けない、それ以上のことをやってきたつもりです。舞台の経験であれば、こちらにいらっしゃるプロの役者や歌い手にかなわないし、何千人とか何万人の前でなどという経験においては、私は経験から伝える術はありません。
ただし十数名から100名近くの間の人に伝えることにおいては、かなりの数をこなしてきたわけです。また、これまで接してきたトレーナーやレッスンを受講した人の数においては、多分、世界でもトップクラスだと思います。
 
研究所で、毎月、50人から100人の人に会い、20人ぐらいのグループレッスンを東京で5クラス、関西で3クラス持ち、20年以上、行っていました。研修や他のスクール、劇団、プロダクションなどの指導も並行して行っていたのです。当時、この分野でもっとも多くの本を出していたので、ずいぶん、いろんな著名人にも会いました。また専門家にも、対談などを通じて、この分野においては、ほとんどの方にお目にかかっています。
そうした中で、素晴らしい仕事をしているアーティストや専門家が、どのようにそういうプロセスを経てきたのかを学んでいったわけです。
つまり、歌い手が歌い手からは学べないことをたくさん得てきたわけです。それを体系化して、理論化して、具体的なマニュアルにしたのが、ブレスヴォイストレーニングです。
 
自分の作ったものが、万人に同じように役立つなどと、うぬぼれているわけではありません。もしそうであれば、世界に冠たるヴォーカリストに、全員がそうなっていなければおかしいはずです。
そうしたことを、研究所の前身である養成所で、15年ほど試行錯誤して、次のステップとして研究所に移したわけです。ブレスヴォイスのヴォイス塾から、ブレスヴォイストレーニング研究所に、です。ライブハウス式の養成所から、小ブースの個人レッスン中心のスタジオに移転した理由です。
そして、日本でも、基本的な声づくりとしてはある程度、ベースにおいて効果を上げている、声楽を教える体制を基礎に取り入れたのです。
 
これは、私の目的というよりは、ここにいらっしゃる生徒さんがミュージカル俳優などを含め、そうした歌唱法を望むようになり、そのニーズに応え始めたことが大きいです。
私自身の目的とは別に、ここにいらっしゃる方は、それぞれに目的をお持ちです。それに対して、考えられる限り、有利な条件づくりをするのは、当然のことです。
ということで、ポピュラーゆえに、この時代に、この日本に、対応するようにしていったわけです。ですから、ここでは私の持論以外に、声楽や俳優の立場からの考え方も含まれるわけです。
 
〇音楽面からの三要素
 
音楽として見るのであれば、楽器としての完成度、1音での音色やフレーズ、全体の構成や展開などが問われます。これをそのまま、私は歌に当てはめています。
つまり、声としての1声、1フレーズ、歌の構成と展開の3つです。3つの力をそれぞれに育てなくてはなりませんが、どれかが徹底的に強くても、プロになれるでしょう。
というのは、日本のプロ歌手でも、必ずしもこの条件を満たしているわけではないからです。この辺になると、海外との比較がものをいいますが、ここでは触れません。
 
〇ハイレベルで判断する
 
アーティストであり、アスリートであり、それにこれまで関心のなかった人を惹きつけるようなスターは、その分野に留まらない破壊力を伴う表現力を持っています。そんな人は、ほとんどいません。それゆえにスターなのです。
人が皆、それを目指そうと思っているわけではありませんが、アーティストのように基準がよくわからない場合は、ハイレベルに目標をおいた方が、少なくともトレーニングを絡めるのだったら、プロセスや判断が明確になってきます。どれもそのままでは、足りない、だめとなるからです。
3大テノールの、出だしのひとフレーズの声にさえ及ばなければ、彼らの曲を何千回歌おうと競うどころか、接点さえつきません。一声でも、一瞬でも、同じレベルのことができれば、それを1分にわたって、あるいは1オクターブ以上にわたって、こなせることが、どれほど難しいかがわかります。それで初めて、トレーニングの目的が具体的に決まります。天才と自分の間のギャップに、プロセスが置かれるのです。こうなって初めて、トレーニングがしっかりと軌道に乗るのです。
 
〇声楽の利点
 
ここで言いたいことは、彼らと同じになる必要ありません。ほとんどの人はなれません。
アートの分野なのですから、完成など考えなくても、完成に少しでも近づくようにプロセスを歩めればよいのです。歩み続けられることが、上達、向上です。
努力できる、そのプロセスをスタートできたら充分です。
そういう意味では、最高のオペラ歌手の声は、歌い手のヴォイストレーニングでの最高目標になります。
 
楽器のプレーヤーも同じで、一音が出せないのに、そこで出したレベルが全く違うのに、1曲弾いてみたら、成り立つということはありません。
しかし、そうした演奏がいくらでも行われているのは、聞く人がそこまでの厳しいレベルを問わないからです。あるいは、そうでないところの魅力などで人を惹きつけているからです。
 
〇役者面からの三要素
 
私が考えるに、声がきれいで美しく歌を歌える人はたくさんいますが、それは必ずしも人を引きつけたり魅力的なわけではありません。
自動演奏ピアノの例で説明したように、音楽的になるに従って、人間としての表現力や個性が現れにくくなってくるからです。これは、ロックやパンクなどが好きな人が、クラシックの演奏などを聴くと、きれいで美しいけれど、退屈だとか心を動かされないというのにあたります。
聞く人の感受性は、それぞれなので、何とも説明が難しいのですが、日本のクラシック歌手の歌に惹きつけられないという人も、3大テノールの歌には、感動したり、少なくとも、素晴らしい本物、芸術だという価値を認める、とすれば、それは、レベルの差になります。豊かな表現力があるのかということだと思います。
 
役者の存在感のような、ホラーや雰囲気のような個性も、その一つです。人前でストーリーを語るだけで人を惹きつけてしまう人は、役者や声優など専門職の人にもいます。それだけでも、ステージは成り立ちます。もちろん、そういう人は、歌でもよほど音程やリズムを外さない限り、伝わるでしょう。
 
となると、役者面からの必要条件はどういうことでしょうか。
私が思うに、声があること、言葉を伝える術を持っていること、ステージとして演出する力を持っていること、この3つがあれば、充分です。それを歌に応用できるからです。
私は、何でもありだと思っていますので、それを否定するわけではありませんが、こういう人は、歌唱のヴォイストレーニングで、そうした要素を全て切り捨てて、声の音楽的表現性について徹底して可能性を磨く期間をとるとよいと思うのです。
 
〇問題を具体化する☆
 
このあたりが曖昧なまま、ヴォイストレーニングをしている人がほとんどなので、そこをアドバイスします。
ヴォイストレーニングというのにも、いろんなものがあって、それぞれにいろんな人に使われているので、実のところ、何の成果をどのように上げているか、成果なのかどうかさえ、あまりよくわからないまま、続けている人も多いのです。
人間は筋肉を使わないと衰えますから、ジムのように、ともかくもやっていたら、悪くはならないくらいで使われていることも多いようです。
 
問われるのは、上達や成熟です。それも平均レベルから上で考えてみるとよいでしょう。
誰でも、2年ほどピアノを習うと、何曲かは間違えずに弾けるようになります。もしかすると、1か月くらいの猛特訓でも弾けるようになるでしょう。
教師にこだわらないのであれば、それは、カシオトーンのように、鍵盤が光って教えてくれるようなもので練習すれば充分です。楽器なら集中して1日8時間、練習してもよいかもしれません。当然1日30分の練習の人とは大きな差がついていくでしょう。
間違えなく弾けただけで拍手してくれるようなお客さんがいれば、それに対して私がいうことはありません。 すべては、程度の問題であり、それは、どのレベルまで自分が望むかだからです。
 
望まない以上、それが叶う事はありません。歌における最大の問題は、具体的に、望めていないことです。
一体、何が問題であって、それを解決するのにどうすればよいのかがわからない。ただ、天才のようなすごい歌い手がいて、それを聞くと自分がかなわないことは、わかるのです。そこからどうアプローチするのかです。
 
誰でも、歌っていればうまくなります。まして、ヴォイストレーニングのレッスンをすれば、それなりに声が出て、それなりに歌えるようになります。そのためのメソッドは、いくらでもあります。
カルチャー教室で、ヴォイストレーニングを受ければ、何曲かこれまで以上にうまく歌えるようになるでしょう。でも、そこからさらに高度に上達していく人は、一握りなのです。その違いは何なのかということをきちんと見つめていかなくては、自分の本当の力になりません。
 
〇マニュアルとしてのヴォイストレーニング
 
ここで声特有のことでアドバイスしたいのは、誰もが上手くなるようなヴォイストレーニングのマニュアルというのは、もっとも多くのマニュアル本を出してきた私がいうから間違いはないのですが、本当の意味では、ハイレベルなところで使えないわけです。
一人ひとりの声や表現したいものが違うわけですから、ほとんどは入門書となります。クラスで平均レベルの人が、それによって、10番以内に入れる、その辺の程度に対応しているわけです。
クラスで最低ラインの人は、なかなか使いこなせないかもしれません。クラスでトップレベルの人にも、あまり効果がないかもしれませんが、うまく使いこなすと学校でトップレベルになれるかもしれません。ただし、そこまでで、全国のカラオケのチャンピオンになったりすることは、とても難しいでしょう。
ここで述べていることは、カラオケの採点機の点数で客観視して見られるような上達ということです。
最低ラインと最高ラインという、この2つのタイプは、個人的な問題が大きいので、個別のレッスンをすることをお勧めします。
 
〇声楽家と役者の両方の力を兼ねる
 
私は、別のところで、オールマイティー型のヴォーカルとオリジナリティのアーティストタイプのヴォーカルに分けて述べたました。
日本の声楽家であれば、ミュージカルなどで歓迎されるので、オールマイティー型と見てよいかもしれません。それに対して、役者や声優が歌う場合は、ロックやフォーク歌手、シンガーソングライターも含めて、個性を売り物にしてるヴォーカルです。
私の場合は、この2面を踏まえてアドバイスします。どちらのタイプにしても、そのタイプの強いところをまず目一杯、出させます。それと同時に、弱いところに対して補うことをします。声や音楽の感覚を入れなければいけないときは、その人にお勧めの曲をしっかりと聴くように進めます。
一方で、多くの場合は、身体で声をコントロールできるようになっていないので、呼吸法、発声法、共鳴法の強化トレーニングとなります。これらは身体としての条件、感覚としての条件です。
 
〇基準の厳しさ
 
どのヴォイストレーニングでも、こうしたメニューはありますが、あまりにも基準が緩く、甘いのです。
単純に力をつけるということであれば、声を大きくする、長くすることでも充分にトレーニングになります。ただしそれを、芯のあるしっかりした声で、深い息で、完全にコントロールできるようにするには、大変に時間のかかることです。
厳しい基準で、自分で判断しながら行っていくしかないのです。
同じように練習しても、その質というのは、取り組む人によって、大きく違います。どういう観点で見るか、どのくらい厳しくチェックできるか、そのことが、才能だと思われるほど、トレーニングにおいては大きな差が出ます。
 
〇バランスとその打破
 
声を歌に使うということがはっきりしているから、これを総合的に行おうとすると、どうしても、構成や展開に見せる方向に行き、最初からバランスを考えるようになってしまいます。ほとんどの人の、歌の練習や、カラオケ、ヴォイストレーニングは、こういう形で行われるわけです。なまじ、器用で歌に自信のある人ほど、そこに陥ってしまうのです。
しかしスポーツでいうなら、体力づくり、感覚、センスが全く充分ではないのです。
そういったところから入ってしまうと、声は弱く小さく使うことで、音程やリズムにそれないように合わせるような歌い方、高いところはそれに届かせるような響きの付け方と、付け焼き刃になってしまうわけです。
本人やトレーナがそう思っていなくても、結果として、身体からの大きな声は使わないできたのですから、いつまでたっても全身で繊細にコントロールできる声にはなりません。応用から入り、応用で終わっているのです。
 
トレーナーとしても、レコーディングしたり、人様の前で舞台をするのに、声が音に届かないとか音程、リズムが乱れるということがあってはならないので、どうしても出せる声の70%以下でどう使うかに注意をせざるをえません。まして期間が限られていたら、なおさらそうです。
 
本当は、多くの人には、今、出せる声を130%にして、その7割で、こなすくらいの感覚で学ばなくては、とても全身一体で歌えないのです。ほとんど口先になり、歌唱力は伸びません。このことこそが、本当に、役者や声優でも問われる基礎の要素なのです。
 
〇大きな声
 
私がトレーニングをしていると、「こんなに大きな声が出るとは思わなかった」とか、「こんな大きな声で歌えません」などという人もいます。
どうも普通で話すよりも小さな声しか歌に使えないようになってきました。
結果として、普通で話す声よりも小さな声で歌うところがあるのは構いません。しかし、普通で話すより大きな声も出るという条件、声の器を持っていなくては、その歌に対し、奥行きも出ないし、聞く人に深みを感じさせることはできません。
つまり、歌が、一本調子で丸見えになってしまうのです。
ほとんどの歌が、大きくメリハリをつけて歌われなくなってきているので、この傾向を助長しています。
だからこそ、大きな曲で大きな声で歌うことを練習する、これが歌手の基本のトレーニングです。
お笑いの芸人たちが、大きな声で練習を1つ、徹底することから、ていねいに発音したり、間やメリハリの付け方を学んでいくのと似ています。
練習のときだからこそ、大きくイメージし大きく構えて大きく出せるようにしていくように、常に意識しなくてはなりません。
 
〇うまいとすごいの違い
 
へたにトレーナーにつくと、声が割れたり痛めたりしないように、また大きな声では使いにくくなることから、まず声量を絞ることを教えられます。それをうまく動かせないので、今度は口先で発音やピッチやリズムを外さないことを覚えます。高音もしかり、です。リヴァーブでカバーできることを前提に当てていきます。
こういった事は、天性のヴォーカルは、やったことがないはずです。憧れや理想のヴォーカリストがやりもしないことをトレーニングのプロセスで入れるのは、正道ではありません。
ただし、声を素材として使い、音響などで加工していくような分野であれば、これはこれで作品として成り立つのですから、表現としてありえないとはいえません。
ここで述べているのは、あくまで肉体として、舞台で生で演じられる演者の基礎としてのヴォイストレーニングのことです。
 
 
 
参考:郷ひろみさん語録
郷ひろみさんの著書「黄金の60代」(幻冬社)より、彼の発言からまとめておきます。
 
「19歳の時にニューヨークに行ってついたヴォーカルレッスンの先生は18歳の大学生だった。
ダンスというのは踊ってる最中にどのタイミングで写真を撮られても、それが1枚の絵として成立していなければならないんだよ。20歳の時にダンスレッスンの先生からいわれたことです。」
 
「オリジナリティーは100%のコピーから生まれる。」
 
「過信せずに謙虚さを失わない、おごりは心の目を曇らせ、苦言を呈してくれる人を排斥する。それに過信はいつか必ず足を救う。人間は歳を重ねれば重ねるほど叱られなくなる。だからこそ叱られることが大事なのだ。そして、いくつになろうが、お叱りは気づきなのだ。つまり、人に叱られるというのは、まだその人に伸びしろがあるから、と僕は解釈している。人間は死ぬまで発展途上、これは僕の信条だ。」
 
「人は3日で覚えたことは3日で忘れ、1ヶ月覚えたことも1ヵ月で忘れる。3ヶ月覚えたことも3ヶ月忘れれば、1年、2年かけて覚えたことでも何もしなければそれぐらいで忘れていくものだ。しかし、何でもやり続けると、もうやめようなんて思わない域まで達している。」
 
「新たなステージに向かいたくなる。ファーストステージをクリアしたゲームみたいなもので、次はセカンドステージ、そしてサードステージと、ある意味、人生のステージを上げていく。
残念ながら正しい方法でやっている人を見かけることがまずない。フォームが崩れていたり、ウェイトを使っての上げ下げのスピードが速すぎたり。」
 
「トレーニング後に筋肉痛はつきものだ。その解消法は二通りある。積極的疲労解消法、そして消極的疲労解消法。中略、もちろん僕は前者をお勧めする。」
 
「東洋人にサングラスが似合わないのは、目と眉毛の幅が広いため、眉毛が必要以上にサングラスの上からはみ出てしまう。」
 
「見城徹がいつもいってるのは、人生で大切なことは、GNO、義理、人情、恩返し。」
 
「人生で成功するには必要なものが4つあると僕は確信している。感謝、勇気、コミットメント、そして運だ。」
 
ちなみに、彼の愛用品は、足ゆび元気君。青汁粉末。漢方薬。血圧測定。ゴルフのシャドースイング。ウォーターバッグだそうです。
 

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