見出し画像

コモンメンバーとしての自覚と成熟──『人新世の「資本論」』読書感想文


書籍データ

資本主義から生じた問題は資本主義の配下では解決しない

資本主義経済がもたらしている喫緊の問題として「待ったなしの地球環境破壊」「不平等に押し付けられる貧困」の2点を挙げ、特に気候変動について「時間切れが迫る」と身に迫った危機であると警鐘を鳴らす。

それらの問題解決にあたって、資本主義のシステムの中で改善を図るのでは間に合わない。資本主義のシステム自体を脱ぎ捨てる必要があると著者は述べる。

例えば、環境政策と経済政策を複合的な効果を期待した「グリーン・ニューディール」という政策プランが注目を集めている。
しかし、キーの指標となる二酸化炭素排出量に着目すると、先進国では順調に減少しているが、途上国ではむしろ増加しているという結果が出ている。

また、メーカーが「地球にやさしい製品の開発」を実践するというステータスにおいても、環境保護施策の一面のみに焦点を当てて立てられたお題目が一人歩きする事態が起きているという。
例えば、電気自動車の普及は確かに脱炭素に貢献するが、その自動車の動力として必要不可欠なリチウムイオン電池は、その原料となるレアメタル採掘国の環境に大きく影響を与えているという事実がその裏に存在するように。

著者は資本主義の構造を下記のように厳しく批判する。

帝国主義的生活様式とは要するに、グローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型の社会のことだ。それは先進国に暮らす私たちにとっては、豊かな生活を実現してくれる。その結果、帝国的生活様式は望ましく、魅力的なものとして受け入れられている。だが、その裏では、グローバル・サウスの地域や社会集団から収奪し、さらには私たちの豊かな生活の代償を押し付ける構図が存在するのである。

経済成長が「気候変動」と「貧困問題」を生んでいるのであれば、脱成長がその鍵を握るのではないかという論調がある。
しかし、それも空想主義だとここではバッサリ(実際その通りだと思う)。

資本主義の矛盾の外部化や転嫁はやめよう。資源の収奪もなくそう、企業利益の優先はやめて、労働者や消費者の幸福に重きを置こう。市場規模も、持続可能な水準まで縮小しよう。
これは確かにお手軽な「脱成長経済資本主義」に違いない。 〜中略〜 (それは)事実上、資本主義をやめろ、と言っているのに等しい。
要するに、利潤獲得に駆り立てられた経済成長という資本主義の本質的な特徴をなくそうとしながら、資本主義を維持したいと願うのは、丸い三角を描くようなものである。

結局、既存の資本主義のシステムを根本から抜け出さないと、気候変動・貧困問題の本質的改善は難しいと著者は述べている。

問題を解決する方法はあるのか

地球環境、貧困の危機──迫る危機に対し、まず私たち取るべき対応。
それが「脱成長コミュニズム」であるというのが本書の主題だ。

脱成長コミュニズムとは、「ラディカルな潤沢さ」を〈コモン〉の力で取り戻すことである。
資本主義は「希少性」を利潤の源泉にするため、この「ラディカルな潤沢さ」が意図的に敬遠されている。
ラディカルな潤沢さの復活の例として第一に挙げられるのは、水道や電力などのインフラ。ここを私営化せず、かといって国有化するわけでもなく、〈コモン(市民)〉の力で適正な技術選択と平等を保証することが理想的。
同様に生産手段に関しても、労働者の話し合いで決めていくスタイル(ワーカーズ・コープ)のような〈コモン〉を導入することが「誰も取り残されない社会」をつくる基盤になっていくと著者は言う。

〈コモン〉を通じて人々は、市場にも、国家にも依存しない形で社会における水平的共同管理を広げていくことができる。その結果、これまで貨幣によって利用機会が制限されていた希少な財やサービスを、潤沢なものに転化していく。要するに〈コモン〉が目指すのは、人工的希少性の領域を減らし、消費主義・物質主義から決別した「ラディカルな潤沢さ」を増やすことなのである。

基盤が安定した生活を獲得することで、相互扶助への余裕が生まれ、芸術・自然との触れ合い・ボランティア活動など社会的・文化的な活動をする余白が生まれるという。

コモンを形成する「人間の成熟」

著者がこの本でいうように、
資本主義が周辺国の搾取で成り立っていることも、
資本主義において生産性の向上や技術の向上が生むのは自由ではなく、さらなる利潤追求であることも、
さらには本当の豊かさのために気にするべき指標なのは、GDPの成長率じゃないでしょう? ということも。
私たちはすでに気づいている。

それは自分の身に降りかかってくる問題としてどうにかしなければならない事態だし、その現実を知り、マルクスはじめ経済学者、社会学者、科学者、政治家、ジャーナリスト、環境活動家などさまざまな見識を知ることはとても重要だと思う。

振り返って著者の主張だが、一般大衆観(私自身が所属する層だ)が、あまりに洗練されすぎているのではないか感じた。

〈コモン〉のあり方が、とても美しい。美しすぎるのが気になる。
人間の貪欲、強欲、私利私欲を前提として本書で理想とするcommonのあり方をもう少し穿って検証しても良いのではないかと。

〈コモン〉の平等を担保するのは誰だろう?

全員で担うのはそのコモンが拡大すればするほど難しい。
特定の誰かが担ったとき、その誰かが私欲に走らないとは限らない。それを監視するシステムが機能するとは限らない。

ラディカルな潤沢さが達成された時、人はそれを継続する努力を怠らないだろうか?
余白が生まれたとき、その余白を他の誰かの役に立てたいと本当に思うだろうか?

私たちを動かすのは、お金と立場。
それから「かっこいい」「気持ちいい」「楽だ」という自分にとってあきらかにメリットのある目の前の欲を満たす気持ち。
このいずれか、もしくは全部がなければ、人は動かない。


みんな今の自分の立場を確立することが大事。

経済学者は経済の成長が大事で
社会学者は社会のシステムのモデル化が大事で
心理学者は人の心の動きの顕在化が大事で
政治家は地位のキープが大事で
世の中の大半の人はどれもたいして興味ない

みんなが同じ方向を目指していければ、すごく良いのだろうけど。どうしてもまだ遠く見えて自分ごと化がしづらい。

けど。

たくさんの前例から学べる立場にいる私たちは、〈コモン〉メンバーとしての自覚を持ち、意識を変え、考えを成熟させていかなければいけないのだろうと思う。

資本主義にどっぷりつかっている私たちにそれが可能かというと難しいだろうなと思うけど。
デメリットは目に見えやすいから批判しやすいが、無意識的に資本主義の恩恵にあずかっている部分はたくさんあって。
脱成長コミュニズムの方針をいざ取りはじめたら「思ったんと違う」の声が噴き出すんだろうな。
で、口にのぼるのは批判だけで、それを良い方に向けようと行動する人はほんの一部で……
あれ? これはどこかで見たことのあるような構図。

私たちは、あまりに無責任に他人の批判をすることに慣れすぎてしまい”自分へ”の反省の構図が足りないのかもしれない。
そもそも普段の自分が人間力の高い行動をとっているとはまったく思えないので「いつも他者のことを思って行動しているか」という自分へのツッコミからしないとな。
本当に、本気で、美しい世の中を目指すなら。


# 読書感想文
# 人新世の「資本論」

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?