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私の歪んだ『復職論』 〜双極性障害だって働きたい 13

みなさん、こんにちは。
双極性障害2型+強迫性パーソナリティ障害のフツーの会社員、パピヨンです。

前回まで4日に1回のペースで記事を書いていたのに、急に書けなくなってきました。
11月頃から始まった軽躁期間はどうやら終わったようです。
元々、双極性障害の気分の波を自分でキャッチする実験として始めたnote。
それなりに指針にはなりそうです。

書く内容は決めていたので、続きを書きます。
休職から復職へ、私が取ったプロセスを回顧します。
↓↓


『復職』許可が下りる

約2ヶ月弱の休職期間が過ぎ、いよいよ主治医からも産業医からも『復職』の許可が下りました。
何よりも私自身が強く復職を訴えたことも大きかったと思います。

私は独身一人暮らしなので、やはりお金の不安、将来働けなくなることの不安がものすごく大きく、休職している方が不安に押し潰されそうでツラかったのです。

“とにかく社会人に早く戻らなければ、
人生が終わってしまうのではないか?”

そんな強迫観念の方がはるかに強く、半ば強引に復職を願い出ました。


精神疾患者が与える負のオーラ

それでも私が1番恐れたのは、私が会社に戻った時に「私の存在が周囲に“負”の影響を与えるのではないか?」ということです。

これは私自身の実体験によるものです。
私が休職する2年くらい前に、同じ部署にうつ病の先輩がいました。
ずっと一緒に働いていたし、センスも良くて仕事が出来る大好きな先輩だったのですが、
ある時期から始業と就業の30分くらい、デスクに顔を突っ伏して全く話さなくなりました。
他の同僚は理解を示し、そのままそっとしたり、さりげなく声をかけたりしていましたが、
私はだんだんその先輩が全く別人になってしまったようで恐ろしく感じてしまいました。
最後にはデスクに突っ伏している姿を見るのも怖くて、視界に入らないようにわざわざ遠回りして自分のデスクに行ったりしていました。
結局彼女は休職のまま退職してしまいました。

「私みたいに精神疾患者を怖いと感じる人がいるかもしれない」
という刷り込みが強く残りました。


頑張れない人、来るべからず


復職にあたって、私には強く歪んだ『復職論』がありました。
「会社とは、頑張る人が集まる所。給料をもらっている以上、頑張れないなら復職すべきではない」

言っていることは正論ですが、今思えばいささかエクストリームですよね。
まさに白黒思考の極み。
私が強迫性パーソナリティ障害の診断ももらってしまった所以です。

しかし、どうしてもこの考えを変えることが出来ず、慣らし出社ではなく「最初から定時出社したい」旨を主治医に伝えました。
そして復職する前に、同僚全員に「何日から私が復職すること。今出来ること、出来ないこと。」を宣言してから戻りたいと言いました。ただの復職では無い、

『完璧な復職』

を目指したのです。
今思えば「何やそれ??」って感じです。
もっと緩く行っても良かったんじゃないの、6年前の私。


『復職宣言』

私の『歪んだ復職計画』も主治医は許可してくれました。
その代わり、残業はダメ、出張もダメ、必ず定時で上がること、を強く言い渡されました。
それを踏まえて、診察の帰り道に部署全員のグループLINEに「〇〇日から復職すること。今出来ること、出来ないこと。こんな風に接してもらえると助かるということ。その代わりしっかり仕事は頑張ること。」などなど書き綴り送りました。

みんな、温かい返信をくれました。
「よし、また頑張れる!」と思っていました。


『復職』は簡単じゃなかった

初日はとても緊張しました。
しかし「復職宣言」が功を奏したのか、みな以前と変わりなく接してくれましたし、私がつい熱中していると「はいはい〇〇、もう帰る時間ですよ〜」と笑いながら声をかけてくれました。

「だんだん慣れていくはず」
そう思っていました。
しかし想いとはウラハラに、立ったままミーティングしていたら何の前触れも無くいきなりブッ倒れたり、朝礼中に過呼吸発作を起こして、みんなをハラハラさせまくる始末。

デスクの固定電話を取ろうとすると、受話器がガチャガチャと音を立てるくらいに手が震え、頭が真っ白になる。
「代わりに出ようか?」と言ってくれる隣の同僚に、「いや、大丈夫。大丈夫だから。」と全然大丈夫じゃない震え声で返していました。

あれれ?
こんなはずじゃ無かったのにナゼ?

『完璧な復職』を目指していた私は、だんだんと現実を思い知らされていくのです。


続く

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