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言葉と時代と戦いの記録。母語でない言葉で綴らたエッセイ『優しい地獄』


ルーマニア出身の文化人類学者の稀有なエッセイ

 どぎついタイトルに対象的な装画が印象的な表紙である。『優しい地獄』はルーマニア出身の著者イリナ・グリゴリが日本語で書いたエッセイだ。
 著者は社会主義が終わりの頃のルーマニアに生まれ、国を離れ、現在日本で獅子舞と女性の身体性やジェンダーを研究している文化人類学者である。 
 この本はルーマニアから日本へ移動し、自身の研究対象のフィールドで活躍する一人の学者が、己の幼少期から現在までを回想している。家族の思いで、ふと胸に残った印象や事件がスナップショットのように、次々と登場する。
 なんてまとめてしまうのは到底無理な本である。母国から異文化の環境へ動かざるを得ない鋭敏な感覚を持った著者の、息が詰まりそうな回想だ。読んでてつい自分も息を潜めてしまう。
 そんな密やかな緊迫感が満ちた、滅多にない本だ。

激動のルーマニアを生きる著者に感じる身近な息苦しさ

 著者の幼少期にルーマニアは社会主義から資本主義に転換している。祖父が、父が、母がそして著者がどのような影響を受けたのか。社会主義と独裁者の時代を見つめる著者の語りに、読んでてなんとも言えない息苦しさを感じてしまう。
 もう一つ読んでてドキリとしたのは、チェルノブイリが登場するときだ。ルーマニアはウクライナと国境を接しており、チェルノブイリ原発の事故で著者は被爆している。
 そんな激動の幼少期を経て大人になれば、こんどは社会主義から資本主義へとルーマニアは方向転換する。
 都会で暮らし始めた著者が出会う経済格差や、ジェンダーの差、一つの地獄から逃げても違う地獄に行くしかないという閉塞感に、読んでてこちらも身を潜めてしまう。

はっとさせられる、瞬間の魔法

 上記のような緊迫感のある下りも惹きつけられるが、同時にこの著者の鋭い視覚を感じられる描写も魅力的だ。すれ違った人を映像として記憶し、その情景をスナップショットとして語るとこなど、その瑞々しさに驚かずにはいられない。
 ゴミ捨て場で見た子ども、病でなくなった同級生、祖父母の住む森での生活、都市での生活。そして本書の後半に出てくる日本での生活や、住んでいる場所への眼差し。
 物静かで、それでいて鋭い視線を持っている著者の姿が目に浮かぶ。

アゴタ・クリストフの『文盲』とイリナ・グリゴリの『優しい地獄』

 ハンガリー出身でスイスへ亡命したアゴタ・クリストフはフランス語で作品を書いた。彼女のエッセイ『文盲』は活字中毒の少女時代から、亡命先スイスでの生活と、母語を失いフランス語を用いて作家になっていく経験を語っている。
 そのエッセイの中で、アゴタ・クリストフは自分のフランス語はネイティブとは違うと語っている。書くこと自体が自分の、一人の文盲の挑戦なのだと書いている。
 
 イリナ・グリゴリは亡命をしたわけではない。しかし、母国を離れて日本へとやって来た。そうしてアゴタ・クリストフのように母語でない言葉でエッセイを書いている。
 なんて逞しいのだろう。どちらの作品も読みやすいのに、ずしりと重たくて、息が詰まる。それなのに、同時に自分も頑張らねばと励まされる気持ちになった。
 


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