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現実とはなにか?来たるVR全盛期に向けて考えようぜ!アップデートされた哲学問答『リアリティ+』


VRは現実?リアリティを巡る哲学の冒険

 VR:ヴァーチャル・リアリティは現実か?って質問されたらなんて答えます?直感的にはいいえな気がしませんか?私はそうでした。
 じゃあAR:拡張現実は現実か?って言われたらなんて答えます?私ならいいえって言うけど前のVRほどの確信がない気がする。では、SNSを通して顔も見えない相手と恋をするのは現実か?って言われたら、ためらいもなくはいって言う。
 この質問でのはい、いいえの違いってなんだろう。何をもって私は現実と判断してるんだろうっていうのを、本気出して哲学者が言語化したよ!って本です。

VR時代のリアリティとは?哲学者がお答えします

 現実:リアリティってなんだろう。あなたが生きているのは間違いない。地球の1日は24時間で365日で太陽を一周するのも現実だ。人間社会には国、会社、学校、家族、とにかくやたららと色んな組織があるのも現実だ。
 日々上がっていく物価にうんざりしたり、給料日に嬉しくなったり、推しの活動に一喜一憂したりする感情も現実だ。あなたは肉体を持ち、日々の生活において様々な感情を経験して生きている、それこそが現実だ。
 では、この現実が実は信じられないほど細部まで設定され、動かされているシミュレーションだとして、あなたは現実に存在すると言えるだろうか?
 この質問をされたらあなたはどう答えます?ちょっと面食らう?それとも、この世界は現実だから質問自体がバカバカしいって答えを拒否するか。
 では質問をちょっと変えてみよう。私やあなたが生きているこの現実世界を可能な限り忠実に再現した世界をシミュレーションする、そのシミュレーションの中に発生した生命は現実に生きていると言えるだろうか?

 この本の答えはこうだ「VRの世界において真であれば、それは真である」、よって上記の質問に対しての回答はこうなる。
この現実が実は信じられないほど細部まで設定され、動かされているシミュレーションだとして、あなたは現実に存在すると言えるだろうか?
A. シミュレーションの中においてあなたは現実に存在する。ただし、それを証明する手段はない。

私やあなたが生きているこの現実世界を可能な限り忠実に再現した世界をシミュレーションする、そのシミュレーションの中に発生した生命は現実に生きていると言えるだろうか?
A. シミュレーションの中においてその生命は生きている。

 どうです、なんかはぁ?ってなりません?そう思って当然だと思う。実はこの質問、VRがどうこうっていうよりも、実は現実とはどう定義されるべきかを問う質問だから。
 現実をどう定義するかを考えないでこの回答だけ見ると、騙された気がするんだよね。

そもそも現実とはなんだろう?

 さて改めて現実ってなんだろう。ディズニーランドやUSJは現実か?って聞かれたら現実ですよね。宇宙ステーションも、潜水艦に乗って赴く深海も現実だ。でもなんでそれって現実なんだろう?
 今挙げた場所には全て物理的な実態を持つって特徴がある。ディズニーランドも宇宙ステーションも建材があって、設計図があって、人の手によって作られた人工物だ。犬も猫も道端に生えてる草木も触れられるから実態だ、空に浮かぶ雲だって気球とか飛ばせば中に入り込めるし、物理的な実態を持つという定義はOKそうだ。
 じゃあVRゴーグルで体験する世界や、ゲームでさまようオープンワールドは現実?って言われたら、上記の前提で考えるといいえになる。VRゴーグルやゲーム世界の空間はコンピュータで演算されて出力された仮想空間になる。物理的な実態を持たないという点において現実ではない。
 ではVRゴーグルやゲームのオープンワールドをさまよう中で経験するあなたの感情は現実だろうか?と聞かれたら、これはイエスだ。なぜならゲームもVRも自分がその空間に入り込んで、その「世界の住人として」味わうものだからだ。
 あるいは、好きなドラマや漫画のキャラが劇中で死んだとき味わう悲しみって、本物ですよね。傍目にはバカバカしいかもだけど、推しキャラに本気で入れ込んでるときはその感情は本物だ。二次元のキャラに感情移入してるけど、身体は三次元にある。
 だからVRは物理的な肉体と、感情が仮想空間に別れる二元論な体験ということが出来る。あれ?これってどこか聞いたことのある話じゃありません?こんなゴチャゴチャした設定を一言で表現してしまう事ができる。
 映画『マトリックス』の世界で覚醒してない人は現実で生きていないのか?そう、私たちはすでにマトリックスの世界に生きている。幸いにもまだ私たちの現実は機械と主導権を争うとこまで来ていないけど。

胡蝶の夢からマトリックス世界へ、実は身近な世界だった実在という問題

 前ぶりが長々としてしまったけどこの本は強引に言っちゃえば、伝統的に哲学が取り組んできた問いかけを現代にアップデートしたものになる。それは実在とはなにか?現実とはなにか?ということだ。
 古くは胡蝶の夢という中国の哲学問答に始まり、時代はマトリックスになったというか。この視点に私はかなり衝撃を受けた。生まれて始めて哲学が身近に感じられた瞬間だったからだ。
 今まで哲学って言えばやたららと難しい言葉がずらずら並ぶ何回なイメージが先行していた。ウィトゲンシュタインやらドゥルーズやらデリダとか、吉本隆明とか名前だけ知ってるけど読みたいとも思わない本の作者だった。
 せいぜい哲学史とか、入門書をたまに読んで「ふーん」ってなる程度で、身近に感じたことがない。具体的な対象がある自然科学の本とか、言語学や歴史についての本の方が面白かったんだよね。対象が具体的でイメージがしやすいから。
 
 でもこの本は違った。VRっていうものを入り口にして、哲学って学問を体験させてくれた。哲学ってのはつまるところ、物事の捉え方それ自体を定義するというか、視点の位置を自らずらす作業なんだなって。アクティブなものなんだって。
 いやきっとね、現役の哲学者さんとか哲学の勉強した人はもうそんなのとっくにわかってるよって話なのよ。でも、私としてはこんだけ生きててようやく「!」ってなったと言うか。自分の体験と本の世界が地続きになったものすごい一冊なんだよね。
 
 少し前にゲーム実況で『ドキドキ文芸部+』を見てものすごい熱中した。一見するとギャルゲーなんだけど、実はとんでもないサイコホラーへと変貌するゲームだ。
 繰り返し動画を見るくらいこのゲームに熱中したけれど、その理由がこの本を読むと理解出来た。『ドキドキ文芸部+』はゲームという構造を利用した上で、プレイヤーの持つ無意識的な実在への不安を刺激してくる作品だ。
 ゲームだと思ってのんきにプレイしていたのに、実はそうじゃない。ゲームが自分の世界に侵入してくる恐怖、なんと!『ドキドキ文芸部+』は哲学じゃん!ってなったわけ。
 同じ理由で今追っかけているゲーム実況で『Serial Experiments lain』があるのだけど、これも構造が同じだって気がついた。この作品も表面的には人間の心理を巡る話に見えるけど、実はあるキャラクターの実在への不安がプレイヤーにリンクしてくる構造が恐怖を煽る。
 ってな感じでこの本を読んで、なんで自分が熱中するのか説明が難しかったのが、説明出来る様になったと言うか、新たな視点が獲得された。いやぁー久しぶりにぶっ飛んだ気分になった。

『Serial Experiments Lain』と『ドキドキ文芸部+』はどっちもプレイヤーの実在への不安を刺激する。

それで、現実って結局何なの? A. それは読んでのお楽しみ!

 さてそれじゃあ現実って結局なんなのさって話だけども、それは読んでのお楽しみで。おい、逃げるなよって思うかもだけど、説明できんもん。というか、それはこの本のメインのアイディアだから自分で味わってもらいたい。(言い訳)
 一つ言えるのはこの本を読んだからって世界が崩壊するなんてことはない。むしろ世界がいくつもある、あるいは世界の捉え方がいくつもある、と気がつくだけだと思う。
 VRは物理的な実体を持たないけれどそこで体感する感情は本物だ。Pokemon GOに熱中する気持ちも本物だし、本や漫画に夢中になる感覚も本物だ。大事なのは自分が何にどう熱中し、どんな種類の熱中をしたいのかを選択していくこと。
 今まで私はディズニーランドが楽しいと思ったことはないし、今でもあそこに遊びに行く人の喜びが分からない。けどこの本を読んでなんとなくその心境が想像出来た気がする。
 ディズニーランドに自ら行く人たちはあの世界にダイブして、あの世界の中に生きた感覚を持っているのではないだろうか。私はその没入感がないために、全てが人工的で悪夢めいて見える。
 どちらも正常な感覚だ、あるのは差だけ。そう思うと、自分が理解出来ない趣味も似たようなものかもしれない。「あんなものに熱中するなんて!」という言葉を言う前に、その人にとってどういう意味があるのか?と立ち止まれるいいヒントをもらった。
 ともかく、ここ数年ハマっているゲーム実況の魅力と長年分からなかった哲学の面白さが噛み合った稀有な読書体験でした。あーすごかった!現役の哲学者ってスゴイ。

おまけ、もしかすると参考になるかもしれない本紹介

  『リアリティ+』の中に登場するシミュレーション仮説という理論があるのだけど、この本はガチでそれに取り組んだ作品。読んだ当時はピンとはこなかったけども、今になって内容が理解出来ました。
 





 





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